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第一話 三

 幼馴染が死ぬ夢を見た。

 またあの日と同じ夢だった。


 公園と神社の間の、坂道を抜けた先。

 街路樹が並ぶ十字路の、青信号を渡る高校生。

 きらめく金髪、白さが際立つワイシャツ姿。


 近づいてくるトラック。

 スピードは落ちないまま。

 君に、手が届かない。


 最後に。

 最後に、君は――。


 ※


 カーテンの隙間から、春の朝日が差し込んでいる。

 庭にやって来た小鳥の鳴き声が聞こえた。

 いつもと同じ朝。

 起き上がり、未來は呆然とした。

 夢の中の煌綺が、"微笑って"いたように見えたからだ。


 ――あのときの君は微笑っていなかったのに。

 もしかして、今回は予知夢じゃないの?


 一瞬思う。だが未來の感覚は、これは予知夢だと告げていた。


 ――じゃあ、どうして夢が変わったの?


 未來の記憶違いではない。

 感覚違いでもない。

 そこまで考えて、未來は気づいた。


 ――もしかして。

 未来は、変わるの?


 ※


「岡田のあの顔、怖いったらない」


 昼休み。二年A組の教室にて。

 未來は机の上を片付けながら、友人の豊守瑞葉とお喋りをしていた。


「あはは、大変だったね」

「何も授業中まであんな顔しなくてもさぁ」


 瑞葉は口を尖らせた。

 くるんと丸い猫目と外はね茶髪のショートヘア。

 快活な性格で、はっきりと意見を言う瑞葉は、未來の憧れでもあった。


「ミライも苦手でしょ? 岡田」

「あはは……」


 未來は曖昧に笑った。

「顔怖いもんね」と呟く瑞葉に苦笑する。


 岡田渋也は数学教師で、二年A組の副担任だ。

 長身痩躯。波打つような黒髪で、四角い黒淵眼鏡をかけている。

 いつも眉間にしわが寄っていて、時々ニヤリと笑うのだが、今朝、担任の代わりにホームルームにやって来たときは、教室にいる間中、ずっと渋い顔をしていた。

 いかにも嫌々な様子を、瑞葉は「一応副担任なんだっけ」といじっていたけれど。


 とはいえ未來は、岡田の顔つきや言動が怖いわけではない。

 未來は、岡田に敵意を持たれているように感じているのだ。

 なぜ、と考えても答えは出ない。

 そのときだ。


「人の悪口を言う暇があったら、宿題の一つでもやるんだな」


 突然聞こえた声に、未來と瑞葉は勢いよく顔を上げた。

 見れば、教室の入り口に岡田が立っている。


「岡田先生!? 何で戻ってきたの!? 授業終わったのに」

「悪かったなぁ、戻ってきて。 忘れ物したんだよ」


 立ち上がった瑞葉を横目に、岡田は教壇からノートを取り出し、ふと未來を見た。


「お前も、そんなわかりやすい顔してると、悪いのに騙されるぞ」


 驚きに未來の肩が跳ねる。

 そんなに顔に出ていたのだろうか。

 未來は両頬を手のひらで包み込んだ。

 一方瑞葉は、腕を組み、口を尖らせる。


「何それー! あたしが悪い奴みたいじゃん!」

「陰で教師の悪口言う奴が良い奴か?」

「先生の意地が悪いからだもんねーだ」

「あーはいはい」


 岡田は呆れ顔で、ひらひら手を振って去っていった。

 二人とも本気で嫌いあっているわけではないからこそ、穏やかな時間を感じられるやり取りだ。


 そこに、聞き慣れた声が。


「コウキー。お昼ー」


 後ろの扉から聞こえた声に視線を向けると、さらさらストレートの頭がひょこりと飛び出した。

 煌綺の友達の野川草太だ。

 彼は一年のときに煌綺と仲良くなったらしく、C組からA組まで毎日、お昼の誘いにやって来る。

 人付きのする笑顔は、煌綺とは正反対だ。

 草太は、けだるげに入口にやって来た煌綺を、十センチ下から見上げて言った。


「何食べる? たまには食堂行く?」

「だるい。購買でいい」

「じゃあ僕もいつものパンにしよ」


 草太と並んで教室を出て行く煌綺の様子は、未來が夢の話をする前と変わらない。


 ――やっぱり、信じてるわけない、のかな。


 昨日。

 自分を生かして助けるなどと難しいことを、煌綺は言った。

 運動も勉強もできる煌綺が避けられないトラックを、未來がどうにかできるわけなどないのに。

 どうしたらいいんだろう、と思う。

 その思考を止めたのは、瑞葉の声だった。


「ミライー? 購買行かないのー?」


 いつの間にか廊下に出ていた瑞葉が、不思議そうな顔で教室を覗き込んでいる。


「行く行く!」


 未來は慌てて立ち上がった。


「今日はしらたきたらこパン食べるんだ」

「あれ食べるの!? しらたきだよ!?」


 などと話しつつ、瑞葉の隣を歩く。

 たとえこのまま煌綺と話せないとしても、こうして過ごす日常が、ずっとずっと続けばいい。

 あんな未来、こなければいいと、この安らかな昼の時間に、未來は心の底から思ったのだった。


 ※


 ただ、日常にも変化が起こる。

 放課後、帰る準備をしている未來に、瑞葉が聞いた。


「ミライは今日も用事があるの?」

「あ、うん……」


 未來は困惑した。

 昨日までは、煌綺を事故から守るため、彼の後をつけるのが日課だった。

 だが今日は、それができない。煌綺にバレているからだ。

 あれだけ怒られた以上、強行突破するわけにもいかない。

 リュックに詰めた教科書を見ながら、未來はどうしたものかと考えた。


 ――そのとき。


「おいコラ帰んぞ」

「へ?」


 未來は振り返った。

 が、一拍あいた反応の遅さに焦れたのか。


「あぁ?」


 リュックを背負った煌綺は、顔を斜めに傾け、睨むような視線で未來を見た。


「あ、か、帰る! 帰ります!」


 未來は急いで残りの荷物をリュックに詰め込んだ。

 それを背負って教室を出ようとすると、ニコニコ笑顔の瑞葉と目があう。


「何ー? デート?」

「違う違う。ちょっと用事があるの!」

「へえ〜頑張ってね〜!」

「何を!?」


 瑞葉はニヤニヤと笑った。

 一緒に帰るというだけで、一体何を頑張るのか。

 未來には、全く意味がわからない。

 煌綺は二人の会話を無視して、さっさと廊下を歩いていく。

 未來は瑞葉にバイバイと手を振って、慌てて煌綺を追いかけた。


 ※


 学校を出てすぐは生徒も多いが、公園と神社の間の坂を登る頃には、まばらになっている。

 片側一車線の道の、神社側にだけある舗道を、煌綺は歩く。

 春の温かな陽気が心地いい。

 坂の下の方は、公園の石垣や植物、神社から伸びる木の枝葉で、少しだけ木陰になっていた。


「あの、何で一緒に帰るの?」


 未來は煌綺の隣に並べるよう、早歩きしながら尋ねた。

 煌綺は前を向いたまま「作戦会議に決まってんだろ」と言う。


「作戦会議……?」


 怪訝な声で、未來の心情がわかったのだろう。


「そうしねえとまた突っ込んでくるだろ。一緒に考えてやるから、もっと予知夢についてわかってること詳細に教えろ」


 続けた煌綺に、未來は驚いた。

 煌綺は、相談しろと言っているのだ。


「うん!」


 未來は、予知夢についてわかっていることを、思いつくままに説明した。

 過去に見た夢の内容も、夢の中では自分という存在がなく、映像が流れるかのように見えることも、夢はすべて不幸な結末を迎えていることも、全部伝えた。

 それを、煌綺は無表情で聞いていた。


 本当は、思い出したくもないし、言いたくもなかったが――。


「あとね、昨日も、同じ夢見たの」


 最後に、未來はうつむき、大事なことを付け加えた。

 煌綺は黙って前を見て、話の続きを待っている。


「でも、最後、君が笑ってた」


 伝えなければと思うのに、言葉にしたら、恐怖が溢れた。


「二回も同じ夢見たの初めてなの。同じ夢なのに、内容は少し変わってるの」


 初めてのことばかりで、それがいいことか悪いことなのかもわからなくて、未來は次第に早口になっていった。

 不安を抱えた未來に、煌綺が告げる。


「そりゃ、お前の予知がガチってことなんじゃねーの」

「……何で?」


 煌綺の言うことは、意味がわからない。

 しかも未來が尋ねても、煌綺は「さーな」と言うばかりだ。


 未來は、また無言になってしまった煌綺の半歩後ろを、黙って歩いた。

 最近の煌綺はずっとわからない。

 もしかしたら元々わかっていたわけじゃないのかもしれないと。

 わかったつもりでいただけなのかもしれないと。

 未來は悲しくなった。


 だって未來は思いもしなかったのだ。

 あんな……あんな、本気で怒った顔を、煌綺がするなんて。

 煌綺とは小さい頃からふざけてばかりで、冗談ばかり言っていて、本音なんて、知らなくてもよかったから。


「君が、遠い」


 少しだけうつむいて、未來は胸の内で呟いた。


 ※


 公園と神社の間の、坂道を抜けた先。

 街路樹が並ぶ十字路に、未來と煌綺はやって来た。


「制服で一人でこの十字路、な」

「うん」


 車が通る道を見ながら確認した煌綺に、未來はうなずいた。

 夢ではここでコウくんが、と思うと怖い。

 だが煌綺は平然とした顔のまま「だとしたら塾だな」と言う。


「塾……?」

「多分な。他に一人で行く用事ねえよ」

「塾……」


 たったひとつの単語に、頭を殴られたようだった。

 未來は煌綺が塾に行っていることを、知らなかったのだ。

 交差点を無事に通過するところを見届けたら、いつも家に帰っていたから。


「何だよ」


 呟いたきりの未來に、煌綺が言った。


「ううん。君は頭良いのになって、思って」


 ショックを受けたことを言いたくなくて、嘘をつく。


「野川には勝ってねえだろ」

「そうかもだけど……。すごいね……」


 なんでもないことのように言う煌綺に、未來は、そうとしか返せなかった。

 未來は自分の将来について、あまり考えてはいない。

 目の前のテストを無事に終えられればいいと、それだけだ。

 だが煌綺は高みを目指している。

 それは未來にとって、煌綺の知らない姿だった。


 いつの間にこんなに遠くに行ってしまったのだろう。

 ううん、もともと、遠くにいたのかもしれない。

 せっかくこうして普通に話しているのに、わからない、なにも。


 沈黙が落ちる。


「つーかな、一回通ったくらいで満足してんじゃねえよ」


 唐突に、投げるように聞こえた言葉に、未來は顔を上げた。

 きょとんと煌綺を見た未來に、煌綺はぶっきらぼうに言う。


「万一もう一度あそこを渡るようなことがあったらどうすんだ」

「あ」


 未來の喉から予期せぬ声が出た。

 その事実を、全く想定してなかったのである。

 呆れた声で「アホか」とこぼす煌綺の正論が突き刺さる。

 自分のあまりの間抜けさを実感し、未來は落ち込んだ、が。


「で?」

「え?」

「お前はどうしたいんだよ」

「……私?」


 まさかここで聞かれると思わず、未來は困惑した。

 黙った未來に、煌綺は、この交差点を通らないこともできるが、状況によっては通らざるを得ない可能性があることを説明した。


「そもそも、夢変わったんだろ。つーことは、何かの拍子に別の状況に変わるかもしれねえ。そしたら予測も何もできねえ」


 そう続いた言葉に、未來は愕然とした。

 胸が苦しい。

 だって、それではまるで、どう足掻いても無理だと言われているようではないか。

 それでも、煌綺は問いかけてくる。


「それで、お前はどうしたいんだよ」


 そんなの、そんなの一つしかない。


「私……、私は……」


 君を助けたいのだと言おうとして、未來は言いよどんだ。

 できるかわからない、と思ったのだ。

 だって、私はただ、君が――と。

 うまく言葉にならない想いが、未來の頭の中をぐるぐる巡る。

 未來の混乱に、煌綺は気づいたのだろう。

 彼は言葉を変え、再び未來に尋ねた。


「お前は、何がしたくて昨日みたいな行動をしたんだ」


 未來はやっとの思いで口にする。


「……君に、死んでほしくなくて」

「それで?」

「私に、できること、あるのかな」


 煌綺はそっぽを向いて、「んなこと知るわけねえだろ」と言った。

 冷たく、見放すようにも聞こえる言葉だ。

 だが、未來にはわかる。

 それは間違いだと。

 煌綺は予知夢の話を信じてくれた。

 今度歩み寄るべきは、未來なのだ。

 だから未來は、勇気を出して、口を開いた。


「っ……一緒に、帰ってもいい?」

「いつだよ」


 煌綺はそっぽを向いたまま言った。

 視線は合わない。でも、すぐに戻った声に鼓動が跳ねる。


 ――伝えたい。この気持ちを、コウくんに。


 言っていいんだという安心感が、未來の声を大きくする。


「――できるだけ。 できるだけ、一緒に!!」


 未來は、煌綺の顔をまっすぐ見上げ、目を見つめて、はっきり告げた。

 こんなに強く何かを望んだことも、伝えることも初めてで、必死だった。


「理由は」

「君に生きててほしいから」


 断言して初めて、本気で思う。

 煌綺を心の底から守りたい、と。

 守れないかもしれないのではない。

 なにがあっても守るのだ。自分が、煌綺を。


 数秒間、未來を見たまま、煌綺は沈黙した。

 それから、視線を外して、


「……もう二度とアホなことしねえって約束すんならいい」

「うん!! 約束する!!」


 未來は破顔した。

 煌綺が、受け入れてくれた。

 それだけで、充分だった。


 大輪の花が咲いたような笑顔を、煌綺は黙って見つめている。

 その口元にはかすかな笑みが浮かんでいたが、自身の喜びに夢中な未來は気づかない。


「帰るぞ」

「あ、待ってよー!」


 死なせないように。

 死なないように。

 この日常を、守るために。

 いつものようにポケットに手を入れて歩く煌綺の隣に、未來は並んでいる。


「あの、本当に未来が変わるんだと思う?」


 未來は煌綺を見上げて聞いた。

 煌綺は前を見たまま、平然と。


「変わったんだろ。夢」

「でも、君は死んじゃって」


 ちょっとは変わったけれど、結末は変わってないのだと、未來は不安な声を出した。

 それでも煌綺は、前を見ている。


「だから合ってんだよ。それで」

「何で……?」


「何でも」と答える煌綺の横顔は、相変わらずの無表情だ。

 そのくせきっぱり断言するから、意味がわからない。

 合ってるのに、未来は変わるの? と、未來の頭は混乱中だ。


 だが、煌綺がそうもはっきり言うのなら、未來は信じたいと思う。

 未来は変わるということを。


 ――ううん、信じたいんじゃない。


 煌綺の顔を見つめて、未來は確信した。

 未来はぜったいに変わる。


 ――だって、他でもない君が笑ったんだから。


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