「てめえ何してんだよ!」
街路樹が並ぶ十字路で、煌綺が叫ぶ。
「一歩間違えたらてめえ死んでただろうが!」
未來と煌綺は、横断歩道が終わる位置、つまり歩道と車道の境目に、重なるように倒れこんでいたのだった。
「ご、ごめん。危ないと思って体が勝手に」
当初は未來が煌綺を押し倒しているような格好だった。
しかし煌綺がすぐに上半身を起こしたため、今は、煌綺が未來を腕に抱いているように見える。
ただ、この体勢に戸惑う余裕は未來にはなかった。
なにせ、状況が夢と同じだったのだ。
公園と神社の間の、坂道を抜けた先。
街路樹が並ぶ十字路の、青信号を渡る高校生。
きらめく金髪、白さが際立つワイシャツ姿。
そこに、まっすぐ向かう大型トラック。
「嘘つけ!」
煌綺の怒声に、未來の肩が跳ねた。
嘘なんてついていない、君に死んでほしくなかったんだからと思いつつ、頭の中では夢の映像と現実の映像が、うまく重ならずにいる。
煌綺が生きていてくれたのは、純粋に嬉しい。
だが、今日はあの日ではなかったのだろうか。
何度思い出そうとしても、思い出せなかったトラックのナンバー。
それ以前に、車は何色だった? 大きさは?
わかっていたはずのことすら、曖昧に溶けていく。
動揺する未來に、煌綺が言った。
「お前、車より先に走り出してただろ」
「え……」
「急にお前が突っ込んできて、そのあと、車のクラクションが鳴った」
未來はとっさに両手を舗道についた。
めまいがした。
きっと予知夢を意識しすぎのだ。
心配のあまり、似たような状況を『その日』と勘違いした。
傍から見たら、トラックに轢かれそうになっていたのは、交差点に飛び込んだ未來だっただろう。
だから煌綺は怒ったのだ。
未來から身を離して、煌綺は立ち上がった。
ズボンの埃を払って、彼は言う。
「最近やたら挙動もおかしいし、何かあんだろ」
「おかしいって……」
「放課後、俺のことつけ回してる」
未來は息を飲んだ。
言われてみれば、遮るものもない一本道で、毎日後をつけていたのだから、気づかれないわけがないのだ。
ただ、理由を言うことはできない。
未來は口をつぐんだ。
煌綺は両膝を開けてその場にしゃがみこむと、座ったままの未來の顔を覗き込んだ。
「言え」
「でも」
「言えっつってんだよ!」
ここまではっきり聞かれたら、もう隠すのは無理だろう。
「はい……」
未來はうなずいた。
だがこんな路肩で長話をするのは無理だ。
小学生の頃ならどちらかの家で話したのだろうが、今の二人に家を行き来する習慣はない。
返事をしたきり黙り込んだ未來に、煌綺が声をかけた。
「ほら、立てよ」
「うん……」
未來は、言われるままに立ち上がった。両手でスカートの埃を払う。
そうしながら、気がついた。
「私、舗道に手、ついてたよね……」
未來は開いた両手をじっと見た。
立ち上がりながら、煌綺がため息をつく。
見れば、切れ長の目元が、かすかに笑っているように見えなくもない。
だが煌綺は、未來を置いて、すぐに歩き始めてしまった。
「公園行くぞ。昔よく行ったとこ」
「うん」
未來は慌てて追いかけ、煌綺の隣に並んだ。
こんなふうに歩くのは、どのくらいぶりだろう。
久しぶりの行動に、遠い記憶がよみがえる。
「ねえ、覚えてる? 昔、君が猫に餌をあげて、懐かれちゃったことあったよね」
未來が言うと、視線はまっすぐ前のまま、煌綺の唇が「おー」と動いた。
彼はたいていこのような、聞いているのかいないのか、怠そうに伸びた返事をする。
もともと、身を乗り出して話をするようなタイプではないのだ。
未來は少しだけ顎を上げ、煌綺の顔を見て、先を続けた。
「首輪ついてなくて絶対野良猫なのに、すっごい人懐こい子で。ベンチに置いたランドセルの上でくつろぐから、帰れなくなっちゃって、夜まで公園にいたの」
「あー」
「そういえば、あの公園によくいたレトリバーがね、ほら、君のランドセルにじゃれついてきた……」
未來は猫の話をきっかけに、忘れていたたくさんのことを思い出した。
それを煌綺に話せることが、とても嬉しい。
未來はスキップでもするような軽やかな足取りで、煌綺の隣を歩き続けたのだった。
※
子供の頃、未來はこの公園の空色のブランコが好きだった。
しかし今は撤去されてしまったらしい。
老朽化が原因だろうか。
未來はリュックを下ろしてベンチに置くと、その隣に腰を下ろした。
「で? 何だって?」
煌綺は制服のズボンのポケットに両手を入れて、未來の前に立っていた。
金の髪が、春の日差しを浴びて輝いている。
それだけではない。
銀のピアスも、真っ白なワイシャツも、全部がきらきら輝いていた
「あのね……」
未來は、あの日に見た夢の内容を煌綺に話した。
六歳のときのように「おばあちゃんが死ぬ夢」という一言ですますことはしない。
街路樹の交差点でトラックが突っ込んでくることも、煌綺が轢かれてしまうことも、全部話した。
未來が話す間も、話し終えてからも、煌綺は黙って未來を見ていた。
未來を非難したり馬鹿にしたりしないかわりに、肯定もしない。
ただ煌綺の目は、呆れているように見えた。「お前本気で言ってんのか」「んなことあるわけねえだろ」と、そんな台詞が聞こえてきてもおかしくないくらいに。
「だから言いたくなかったの!」
煌綺の視線に耐えきれず、未來はスカートの上に手を置いてうつむいた。
以前の未來なら、この話はこれで終わりだと打ち切っただろう。
未來は煌綺に限らず、誰かの意見に染まりやすい性格だ。
白と言われれば白だと思うし、何の疑問もなく、自分が違っていたんだなと考える。
でも、今日はそれでは駄目なのだ。
未來は顔を上げた。
「私も、今までは偶然と思ってたよ。全部本気になんかしてなかった」
夢を見たところで、それがいつ、どこで起こるのか、未來にはわからない。
夢の対象が、知らない人物のことだってある。
そんな人たちの不幸は、気の毒ではあるが、対岸の火事と思わなければやっていけなかった。
すべてを本気で受け止めたら、未來の心が壊れてしまう。
だが、今回、夢の対象は、子供時代から一緒にいる煌綺なのである。
未來は制服のスカートを握ると、胸の中に溜めこんできた想いを吐き出すように言った。
「偶然だとしても、ううん、偶然だって、万が一にでも君が死ぬのは、私嫌なんだもん!!!」
久々に大きな声を出したせいか、喉がひりひりした。
煌綺は眉間にしわを寄せて、唇をへの字に曲げた。
「だったらなぁ……」
未來は手にこぶしを握ったまま、反射的に上半身を引いた。
ため息交じりに言った煌綺が、片足一歩、近づいてくる。
「だったらてめえごと突っ込んでくんじゃねえよボケ!!」
言葉と同時に、煌綺の顔が、未來の鼻先まで寄せられた。
間近で思い切り睨まれる。
まっすぐに向けられた怒りの強さに驚き、未來の両手のこぶしが解けた。
「たしかにな、そうやって自己犠牲で俺が助かりゃ、てめえは救われるだろうなぁ。スッキリして解決。万々歳だ」
煌綺は吐き捨てるように言った。
その内容に、未來は息が止まりそうになった。
自己犠牲なんて、全く意識していなかったのだ。
まして自分が救われるなんて、未來は考えてもいなかった。
「てめえだけが何もかも我慢して、物理的に痛みに耐えりゃいい。シンプルな解決策だ。俺のことなんて、周りのことなんて、巻き込んでない気でいられる。安易な解決で自分は満足だろうよ」
「な……そんなふうになんて!」
未來は、再びこぶしを握った。
自分の死を覚悟して煌綺を助けようとしたのだ。
さすがに反論もしたくなる。
しかし言い返そうとした言葉は、煌綺によって遮られた。
「んじゃあてめえさっき俺がどんな気持ちだったかわかんのかよあぁ!? お前が必死な顔で突っ込んできて、俺がどんな気分だったか考えたかよ!」
未來を睨みつける煌綺の視線は、燃えるように熱かった。
あまりの激高ぶりに、未來は返す言葉がない。
「てめえが代わりに死んで、俺が何も思わねえとでも思ってんのかよ! 俺が心の底から助かったと思えんのか!?」
そんなこと、考えたことはなかった。
びっくりすることはあっても、気にしてくれるとは思わなかった。
未來はただただ驚いて、煌綺を見ていた。
「大層に人の命助けようってんなら」
煌綺はポケットに手を突っ込んだまま、勢いよく、ベンチに片足をのせた。
「てめえの命ごと、一緒に生かしやがれ!!」
自分ごと生かす、など考えたことがなかった。
言い捨て立ち去る煌綺を、未來はきょとんとした顔で見送った。
※
その日の夜、寝る準備をしながら、未來は煌綺の言葉を思い出した。
未来を変えるなんて。
変えられるなんて。
できるわけないのに。
「だったら、どうすればいいの……?」
ベッドに入り、眠りについた未來はまた夢を見た。
公園と神社の間の、坂道を抜けた先。
街路樹が並ぶ十字路の、青信号を渡る高校生。
きらめく金髪、白さが際立つワイシャツ姿。
ほら、またあの夢だと声がする。
その後、場面はコマ送りのようにゆっくり進んでいった。
次第に近づいてくるトラック。
その前に立つ煌綺の顔は……。
笑っている、ように見えた。
少しだけ見上げた、視線の先で。