公園と神社の間の、坂道を抜けた先。
街路樹が並ぶ十字路の、青信号を渡る高校生。
きらめく金髪、白さが際立つワイシャツ姿。
そこに、まっすぐ向かう大型トラック。
――衝撃音が響く。
「ダメッ……!」
右手を持ち上げ、開いたばかりの目を押さえる。
心臓が、早鐘のように鳴っている。
全身に汗が滲み、頭がガンガンした。
カーテンの隙間から、春の朝日が差し込んでいる。
庭にやって来た小鳥の鳴き声が聞こえた。
いつもと変わらない朝だ。それなのに、妙に臨場感のある夢だけが違った。
ただ、あの高校生には見覚えがある。幼馴染の
「――コウくんが、死ぬ……?」
死というワードで思い出すのは、祖母のこと。
祖母が亡くなった六歳のとき、初めて自覚した不思議な現象を、未來は思い出した。
※
「変な夢を見たの」
祖母の葬儀の後、未來はそう煌綺に打ち明けた。
火葬場に行く大人たちと別れ、子供たちだけが祖母宅に帰されたときだった。
「変な夢ぇ?」
庭で虫や花を弄っていた煌綺が振り返った。
未來はうつむいた。煌綺が呆れた顔をしていたからではない。単純に、顔を上げて話す元気がなかった。
「おばあちゃんが死ぬ夢を見たの。お母さんが聞いたのと同じ。見たのは死んじゃう前なんだよ」
うつむいていると、胸に垂れたみつあみの先が見えて、余計に悲しくなった。
結んだゴム紐は、祖母がくれたものだった。
※
「母が、救急搬送された?」
父親が残業になり、母親と未來の二人で夕食を食べた後のことだった。
病院からの電話を受ける母親の言葉に、未來は、心臓が縮まる思いがした。
「はい、はい……わかりました。すぐにうかがいます」
「おばあちゃんどうしたの? この前会ったときは元気だったのに!」
未來は、電話を切った母親の腕にしがみついて尋ねた。
「おばあちゃんねえ、和室に倒れていたところを、近所の人が見つけてくれたんですって」
素早く荷物を準備しながら、母親が説明した。
「意識がなくて……おばあちゃんの携帯に登録されていた、うちの番号を見つけてかけてくれたみたい」
「意識がないって……おばあちゃん死んじゃうの!?」
母親は、暗い顔で黙り込んだ。その表情を見て、未來は数日前に見た夢を思い出した。
六畳の和室で、祖母はテレビを見て笑っていた。
しかし、いきなり顔をしかめた。
頭を押さえて立ち上がったが、足が震えてうまく歩けない。
祖母は、這いずるように隣室へ向かった。
座卓の上に、携帯電話が置かれている。
祖母は手を伸ばした。
しかし、届かない。
届かないまま、腕がだんだん落ちていった。
※
「おばあちゃん、苦しそうな顔してた……」
未來は、震える声で言った。
しかし煌綺は「んなもんグーゼンだよ、グーゼン」と、ぶっきらぼうに言い捨てた。
「グーゼンなんだからさ、んなこと、いつまでも気にしてんじゃねえよ!」
煌綺の声は、いつもよりも力強く聞こえた。
未來は顔を上げたが、煌綺はすぐに、未來に背を向けてしまった。
その視線は、庭の片隅に見つけた、サッカーボールに向いていた。
未來は、壁打ちして遊ぶ煌綺の背中を、ぼんやり眺めた。
煌綺はサッカーがうまく、蹴ったボールは全部、煌綺のところに返って来ていた。
それを見ていると、煌綺が言った「グーゼン」という言葉が正しく感じられた。
「……そうだよね。うん、グーゼンだ」
未來は呟いた。
しかしその後も、未來は様々な予知夢を見た。
数多くの夢のうち、誰もが知るような大きな事件になったものがふたつある。
ひとつは、女性が、深夜の路地裏で、馬のマスクをかぶった暴漢に襲われたことだ。
それは後日ニュースで、犯人がつけていたマスクの写真を見て、夢と同じだと気がついた。
もうひとつは、高速道路の玉突き事故だ。
潰れた車をドローンで撮影した映像がニュースに流れたとき、未來は、夢と完全に一致した映像が恐ろしくて、その場にへたり込んだ。
ただ、それでも未來は「グーゼンだよグーゼン」と言い聞かせて、自分が予知夢を見ているという事実から目を背けていた。
「――でも違う。偶然じゃない。だからきっと、コウくんも……」
未來は無意識に呟き、聞こえた言葉に、心臓が縮まる思いをした。
ただ、夢は予知夢だ。見えたのは未来だ。
つまり、煌綺はまだ事故に遭っていない。
しかし未來の脳みそは、本当に? と疑ってもいた。
だが、事実を知る方法はある。
「学校! 学校行かなきゃっ!」
未來はベッドから飛び起きると、急いでパジャマから制服に着替えた。
教科書の入ったリュックを持って部屋を出る。
そのまま玄関に向かい、歯磨きも洗顔もしていないことに気が付いた。
「ああ、もうっ!」
未來は洗面所に移動して、歯を磨き、長い髪にブラシを通した。
勢いよく顔を洗ったせいで、制服のブラウスに水が飛ぶ。
でも、気にする余裕はなかった。
「行ってきます!」
「えっ、もう!? 朝ごはんは?」と聞いてくる母親に「いらない!」と答えて家を出る。
息が切れても、胸が苦しくなっても止まらないで、学校まで走った。
階段を上り、教室に着くまでも、不安で仕方なかった。
だからだろうか。
「コウくん、いたっ……!」
二年A組の教室に金髪姿を見つけたとき、未來はつい、呼び慣れた愛称を呼んでしまった。
慌てて両手で口をふさぐ。
煌綺は昔の呼び方で呼ばれることを、ひどく嫌がるからだ。
もともとその無愛想な態度から、ただでさえクラスメイトに距離を置かれている彼のこと。未來に怒る様子を見せてしまえば、理由を確認することなく、悪者になるのは煌綺だろう。そんなことになったら、クラスメイトとの溝は一層深くなる。
「未來ちゃん、入口に立ってどうしたの?」
「あっ……ううん、なんでもないよ。おはよう」
「うん、おはよう」
声をかけてきたクラスメイトに、未來は少しだけ首を傾けて挨拶をした。
すぐ目の前の自分の机にリュックを下ろし、椅子を引いて座ってやっと、未來はほっと息を吐いた。
未來の視線は、自然に、席に座る煌綺に向かう。
今回は生きていてくれた。でもいつかはあの夢のように……と思うと、未來は、またも心臓が縮まる想いだった。
未來は、どうしたらコウくんを守れるだろうと考えた。
子供のときのように、夢のことを話してみようかと思ったが、きっと呆れたような顔をするだけだろう。
いや、話を聞いてもらえるならまだましかもしれない。
小学生の頃、未來は煌綺と、毎日のように遊んでいた。
しかし中学、高校と成長するにつれ、一緒に下校することも、食事をすることもなくなった。
しかも最近は、教室で未來が話しかけると、煌綺は渋い顔をするのだ。
教室外や校外で偶然会ったときだけは、昔のように話してくれるが、あの夢がいつを示しているのかわからない以上、その偶然を待つわけにはいかない。
――そう。未來は、夢の中のことが起こる日時を知ることができないのだ。
何月何日の何時に事故に遭うとわかれば危険回避できるのに、わからないから、問題が複雑になる。
今未來にわかることといえば、煌綺があの街路樹の交差点を横断しているのは、歩いている方向的に、おそらく下校時。つまり事故発生は放課後だろうということくらいである。
「でも、もっとほかになにか……」
未來は予知夢の内容を思い出してみた。
見たくない場面を何度も脳内再生し、どこかに見逃している要素はないか、日時を特定できるものはないか、必死に考える。
だがそもそも、未來は夢のすべてを覚えているわけではなかった。
夢では全部見えている……気がする。
しかし、未來が煌綺の姿ばかりを追っているせいか、彼以外のことが記憶に残っていないだ。
ゆえに、集まる情報は断片的だった。
ただそれでも、未來は諦めたくなかった。
今回は、ニュースでどこかの誰かが犠牲になるのではない。
この世界から消えてしまうのは、幼馴染の煌綺なのだ。
「……もう、この方法しか思いつかないや」
――結局、予知夢を見たその日から。
未來は放課後、煌綺の後をつけ、無事を見届けてから家に帰るようになった。
十字路に続く坂道を選ばないならそれでいいし、安全に超えてくれればもっといい。
事故発生の正確な日時がわからないのなら、毎日一緒にいるしかない。
昔のように隣を歩けないなら、陰からこっそり見守るしかない。
これが、未來が出した結論だった。
未來は、煌綺の後ろを、煌綺と同じスピードで進んだ。
揺れる金髪を眺めながら、そういえば、コウくんを見上げるようになったのはいつからだろうと考える。
強気の三白眼は、いつだって同じ高さにあった気がするのに、と思いつつ、今未來が、彼の目を見つめることはほとんどない。
※
煌綺の後を追って過ごすようになって三日目に、未來は六歳の頃のことを思い出した。
祖母の予知夢について煌綺に打ち明けたとき、煌綺は「グーゼンだよ!」と言って、すぐに遊びに戻ってしまった。
でも一回だけ、未來を振り返ったのだ。
煌綺は何も言わなかった。
だから、何を考えていたかはわからない。
煌綺の後を追って過ごすようになって五日目、未來は、煌綺が猫と遊ぶところを目撃した。
煌綺は建物の陰から出てきた母猫を一瞥し、続いて子猫が出てくると、その場にしゃがみこんだ。
「お前ら散歩か。この先道広いから事故んじゃねえぞ」と言いながら、大きな手で小さな子猫を撫でる。
気をつけるのはコウくんなのに、と思いつつ、未來は、猫と戯れる煌綺を見つめていた。
その後、八日、九日と時は過ぎ、未來は煌綺の背中を追うことに慣れた。
昔と比べて背が高くなったなあと思うことも、猫を撫でている姿をちょっと意外に感じることもなくなった。
そのうちに、未來は、あの夢は予知夢じゃなくて本当の夢だったのかなと思うようになった。
そのくらい、事故につながりそうなことは何も起こらない。
十日目、「そうだ、きっと私の取り越し苦労だったんだ」と思いつつ、未來はいつも通り、きらきら光る金髪を眺めて歩いていた。
公園と神社の間の、坂道を抜けた先。
街路樹が並ぶ十字路の、青信号を煌綺が渡る。
そこに、まっすぐ向かってくるのは――。
「トラック!」
気づいた瞬間、未來は走り出していた。
あのトラックではないかもしれないとは思わなかった。
自分がここにいることで、何かが変わったかもしれないとも思わなかった。
それどころか、どうするのが正しいのか考える余裕すらない。
未來は、煌綺の背中しか見ていなかった。
「コウくん!」
突き飛ばすように手を伸ばし、叫んだ声が、クラクションにかき消される。
その音が、あまりにも近いと気づいたときには、遅かった。
十字路に飛び込んだ未來に、トラックが迫る。
未來は目を見開いた。
足は止まらず、かといって走り抜けるほどの勢いはない。
そのときだ。
未來の手が、グンと引かれた。
走っていたスピードのまま、道路に転がり、倒れこむ。
体を起こす間もなく、怒声が聞こえた。
「てめえ何してんだよ!」
未來は驚き、顔を上げた。
視界いっぱいに、額にかかる金髪と、睨みつけてくる三白眼が見える。
横断歩道を渡りきった舗道の上で、未來は煌綺に、抱きとめられていたのだった。