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第三話  人造人間の理由

『その時、冷えかけた薄暗い光で、その造られたものの鈍い黄色の眼が開くのが見えた。それは荒々しく呼吸し、手足をひきつるように動かした。

 この大激変に接した時の私の感動をどうして書き記すことができよう……』



─アハハハハ…また一人馬鹿が出来た!

 ザマアミロ……





「うーん………」

 どんよりと曇った空の下、僕─間嶋久作は、その立派な庁舎を見上げて立ち竦んでいた。

 世田谷区にある世田谷北警察署である。


 丘の上の閑静な高級住宅地の真ん中にあるこの警察署は、ちょっとしたポストモダン建築と言うのか、洒落たラインの建物である。壁の色も赤褐色の煉瓦色で、官庁と言うより美術館とか文化会館の様な佇まいだ。緑も多いセレブな街の景観を壊さない為の配慮なのかもしれないが…入りづらい。

 入口の自動ドアの前には、立って辺りを監視している制服の警察官が一人いる。その警官は別にこちらを注視してはいないのだが、僕はどうも不審者としてマークされている気がしてならなかった。生来ネガティブ思考で被害妄想気味なので気のせいなのは分かっているが…入りづらい。

 実際には僕はこの近くのれいじょう学苑大学の一年生─ただの大学生であり、何もやましいところは無い。しかしボサボサ頭のヒョロヒョロした眼鏡男子で、安物のグレーの長袖シャツにヨレヨレの黒いチノパン姿は、セレブな御子息・御息女が通う名門の学生にしては我ながらみすぼらしいと言わざるを得ない。もし警官に『貴様偽学生だな!』と問い詰められたら、『僕がやりました!』と観念する自信がある。

 かくして建物にも人にも気圧されて、僕は警察署前の歩道で固まっていたのだ。

(他に出入りする人がいればどさくさ紛れに入っちゃうんだけどな……)

 僕は辺りを見回すが、正午前のこの時間、付近はエアポケットに入ったかの様に人通りが途切れている。もうここで何分こうしているか…。

 その時、立番の警官がこちらをチラッと見た。(うっ!)慌てて僕は近くにあった掲示板を眺めているふりをする。


 男女の警察官が止まれとばかりにこちらに掌を突き出した写真に、『ストップ、詐欺!』と大きくデザインされたB4サイズのポスターが貼ってある。警官役のモデルの厳しい表情に加え、背景に激しい稲妻がビカビカと走る気合いの入ったデザインだ。そしてその横の文字だけのもう一枚のポスターに、近年増え続けている様々な特殊詐欺の手口が紹介されていた。

(うわ、こんなにあんの?〈オレオレ詐欺〉に〈架空料金請求詐欺〉…〈預貯金詐欺〉に〈還付金詐欺〉…〈ギャンブル詐欺〉?〈国際ロマンス詐欺〉って何だ…?)

 細かく分類された詐欺の進化に僕はしばらく見入っていたが、我に返って入口を伺う。警官はもうこっちを向いてはいなかった。しかしこのままここにジッとしていて次に目を付けられたら、今度こそ……

 こうなったら仕方が無い。覚悟を決めた僕が右肩に提げた黒いリュックの肩紐をギュッと握りながら一歩踏み出そうとした─その時。


「ちょっと君」

「ひゃあっ!」 


 背後からの声に、情けない悲鳴と共に飛び上がる。慌てて振り向くが、ホラー映画で殺される時の様な表情を浮かべていたのだろう、その人物は呆れた様に笑った。

「ああ、やっぱり君か。そんなに恐れおののく事もないだろう?」

 それは面識のある世田谷北署の刑事─刑事課の沼警部補だった。痩身を黒いスーツで包み、頬も痩けて鷲鼻。ウェーブの掛かった前髪が顔半分を隠していて、左の三白眼がギョロリと僕を見据える。どう見ても悪役なので、刑事だと分かっていてもつい後ずさって必死に謝る。

「す、すみませんっ…この間は失礼しましたっ…」

 しかし実際は、この沼警部補は見た目とは裏腹に話の分かる刑事さんだ。先週の結月沙苗の転落事件の時に知り合ったのだが、その時例の厄介な先輩─希津水破一郎のラッキーパンチ的な推理を受け入れてくれた。ただ、一度遭っただけの僕の顔を覚えているのは、刑事としての観察眼もあるだろうが、その時の先輩の失礼千万な振る舞いの印象が強いせいだろう。その分僕が頭を下げておく必要がある。

「いやいや、君のお陰で容疑者を逮捕できたんだから」

 ペコペコする僕に、沼警部補は笑いながらヒラヒラと手を振る。確かに推理を展開したのは破一郎先輩だが、その論拠となる目撃証言は僕がした─事になっている。しかし実際にはそれは─どーるがやった事だ。僕は彼女の声に口パクで合わせていただけである。

「今日は何だね?あの事件ならまだ捜査中だが…」

 沼警部補は僕が何か言う前に釘を刺してきた。沙苗の事件は先週の水曜日で今日は週明けの月曜日、あれから五日しか経っていない。一時意識不明だった沙苗はまだ入院中で……

「幸い転落した女の子は怪我の快復が思ったより早くて事情聴取できたけど、被疑者の男子学生とは面識が無いそうでね。向こうは女の子がストーカーしてたって言ってるが、彼女の方は知らない人に突然呼び出されたって──」

「えっ、事情聴取したって…じゃあお見舞いにも行けるって事ですか?」

 思わず話を遮った僕に、沼警部補は意外そうな顔を向ける。

「何だ、君は彼女と同級生だと聞いたから、もう会いに行ったのかと思っていたよ」

「あ、いえ……」

 確かに僕と沙苗は同じ文芸学部国文学科の同級生だが、まだひと言も話した事は無い。こっちが一方的に気になっているだけだ。

 沼警部補は不思議そうに僕を見る。焦った僕は慌てて話題を逸らす。

「き、今日は別の件で来たんですっ…ちょっと調べたい事があって──」

「調べたい事?」

 沼警部補はちょっと首を捻るが、すぐに思い当たった様な顔をした。


「ああ、例の詐欺事案に興味があるのか」

「詐欺?」


 僕は一瞬ポカンとするが、警部補の目線を追って悟る。彼の目はさっきまで僕が熟読していた掲示版のポスターに向けられていた。

「随分熱心に見ていたね。何たって〈麗青の御令嬢〉は一種のブランドだ、狙われるのも分かるが…最近多発しているらしいから、もしかして君の知り合いも被害に遭ったのか?なかなか無実を証明しにくいケースだからな、相談に来たのなら生活安全課に──」

「え?え?」 

 話が呑み込めない。沼警部補も馬鹿みたいに「え?」を繰り返す僕に違和感を持った様だ。

「何だ、詐欺の話じゃないの?」

「ハ、ハイ、何です詐欺って…?」

「知らないのかね?大学でも話題になってるんじゃないのか?」

 残念ながら学内にほぼ友人がいない僕に、キャンパスのホットなニュースは一切入ってこない。〈麗青の御令嬢〉という事はウチの女子学生が被害に遭っている事件なのだろうが…。

「それじゃあ君、何しに来たの…?」

 沼警部補の目がスウッと細くなる。マズい。彼の中の不審者感知メーターの数値が上がっている。僕は慌てて言った。


「さ、最近この辺で行方不明になった人はいませんか?失踪届が出てるとか…。

 じゃなければ、人形の盗難届は出てませんか?」


「はあ?」警部補が怪訝な顔をした気持ちは物凄く分かる。つい勢いで言ってしまったが、普通並べてする様な質問ではない─身近に『人形になってしまった人間』がいなければ。

 僕がこんな事を調べに来たのは言うまでもない、あの可愛くて生意気な少女人形どーるの謎を探る為である。

 彼女は元々誰なのか?

 どうして人形になってしまったのか?  

 どーると出遭ったのも沙苗の事件と同じ日だが、それから僕はこのリュックに常に人形を入れて通学する羽目になっている。それで授業の合間に彼女が目覚めた公園周辺を調べたりしているが、事態の進展は全く無い。どーるの記憶も無ければ、コミュ障の僕に近所で訊き込みをするスキルも無いからだ。それで今日は講義の合間に、周辺一帯の所轄署であるこの世田谷北署にやって来たのだ。どーるが元々人間だったとしたらその人物は現在姿を消しているし、人形としても元あった所から無くなっている訳で──


「行方不明者の情報提供がしたいのかね?尋ね人に似た人を見かけたとか?」

「い、いえ、そういう訳ではっ…」

「じゃあ人形泥棒の行方を知っているとでも?」

「い、いえ、そういう訳でもっ…」


 沼警部補の返答はある意味想定通りだった。藁にもすがる思いで警察に来てみたが、何せ具体的に話せる事が無さ過ぎる。当然、人形が人間になったなどと言っても信じてもらえるはずはない。僕は警部補の物問いたげな視線に耐えかねて思わず目を逸らし、右肩のリュックを見つめた。その挙動が怪しかったのだろう。

「…そこに何か入っているのかね?」

「えっ…」僕の心拍数が跳ね上がる。沼警部補の鋭い視線がリュックに突き刺さる。

「べ、別に何も、入ってません……」

 そう言いながら僕の顔はどんどん強張り、沼警部補の表情はどんどん険しくなる。駄目だ、このままでは何の罪だか分からないが逮捕される─僕は言われる前に自分からリュックを前に回し、ジッパーを下ろして中を見せた。


「ホラ、人形なんか入ってないでしょっ?」

「…君は普段人形を持ち歩いているのか?」


 そう、今このリュックにはどーるは入っていない。万が一警察署で荷物のチェックを受けたら説明に困るので置いてきたのだ。なのに余計な事を口走った為、むしろ不審がられてしまった。『人形泥棒』というパワーワードも刷り込み済みである。今や沼警部補の僕を見る目はナイフの如く、完全に取調室で被疑者へ向けられるそれだ。

 結局何の収穫も無く、僕は逃げる様に世田谷北署を後にした。


 そしてどーるが今、どこにいるかと言うと──



「だからね、迷惑メールをブロックするフィルターをスマホに掛けとけばいいんだよ」

「スマホに掛ける?この上からこう…?」

「アハハ、そんな掛け布団みたいなんじゃなくてスマホの中の機能でね。この〈メールの設定〉って所から──」


 公園のベンチに座っている洋装の老婦人に、白いお姫様ドレスを着た人形がスマートフォンの使い方を説明していた。

 例のどーるが目覚めた麗青みどり公園の一角─林の中の遊歩道脇である。大きめの帽子を被った老婦人が両手で持って見ているスマホの画面を、どーるは横からニコニコと覗き込んで、白く細い指で指差して説明している。栗色の巻き毛が揺れて碧い瞳がキラキラと輝く。

「な……」僕は目も口もパッカリ開けて固まっていた。何て事を…動いて喋る人形を他人ひとに見られたら気味悪がられたり、逆に物珍しさから騒ぎになるかもしれない─そう思って必死にどーるの秘密を守ってきたのだ。わざわざ大学から離れたこの公園で待ち合わせたのも、なるべく人目を避ける意図もある。なのに…。

 そんな呆然とする僕の耳に、老婦人の声が聞こえてきた。


「ありがとうね、私このスマホってよく分からなくって…。

 それにしても貴女、ホントに腹話術上手いわねえ〜。麗青の学生さんでしょ?いつもこの公園で練習してるの?」

「ええまあ…」


(腹話術…そういう事か……)

 僕は脱力してひと息つく。

 年齢は七十代前半だろうか、ウェーブの掛かった白髪を品良くまとめ薄いパープルのワンピースを着こなした上品な御婦人だ。俯いてスマホを見ているのもあって目や鼻周りはピンクのつば広のストローハットに隠れて見えないが、口元は優しく微笑んでいる。

 その老婦人に伏し目がちに応えたのはどーるではなく、左隣に座っている女子学生─楠本真名だ。どーるは彼女の膝の上に乗っていた。老婦人は人形の動きも喋りも、真名がやっていると思っているようだ。

 真名も文芸学部芸術学科の二年生だが、黒髪のポニーテールに白いサマーニットと少し草臥れたブルージーンズという地味な格好通り、エスカレーターのセレブ学生ではなく僕同様一般受験で入った口だ。一見オドオドして大人しく、他人と目を合わせるのも苦手な人見知りなのだが、実は天才的な演技力を持つ演劇部のホープである。主役を努めた昨日と一昨日の土日の公演『人形の家』では拍手喝采を浴びていたが、その舞台の小道具としてしたどーるの秘密も知っている〈同志〉だ。

 それで今日は僕が世田谷北署に行っている間、同じく講義が無かった彼女がどーると一緒にいてくれたのだ。僕や破一郎先輩同様〈表現者〉を目指す真名が、どういう経緯か分からないが生けるスマホのトリセツと化したどーるを、持ち前の演技力で腹話術で操っていると誤魔化したのだろう。


 その時、離れた木の下に佇んでいた僕にどーるが気が付いた。

「あっ、久作〜!」

「あら、お連れさん?それじゃ私は退散しようかしらね…」

 パタパタと右手を振るどーるを横目に、老婦人はベンチから立ち上がる。

「それじゃあバイバイ、お婆ちゃん!」

 今度はブンブンと両手を振り始めたどーると紅い顔で頭を下げる真名に見送られて、老婦人は僕のいる方に遊歩道を歩いてきた。会釈しながらすれ違う老婦人に僕も慌てて黙礼する。僕よりだいぶ背が低いので帽子を見下ろす形になり、やはり顔は見えない。彼女が腰の前で両手で抱えている赤いスマホが目に入った。

(すれ違う老婆…これが山奥の村なら手毬唄が聴こえてくるな…)

 そんな埓もない事を考えているうちに老婦人は去り、僕はベンチの二人に駆け寄る。

「ど、どういう事?何でどーるがスマホの説明してたの?」

「うん、それがねえ〜……」


 どーるの話によれば、ベンチにどーると真名が座っていたところにあの老婦人が通り掛かったのだと言う。スマホを耳に当て、何だか慌てた口調で会話していたのでどうしたのかと思ったら、こう聴こえてきたそうだ─『ハイ、今ATMに向かってます。ホントにお金が還ってくるんですね?』と。

「あたし、もうピンときてね。つい叫んじゃったのよ、『お婆ちゃんそれ詐欺!』って…」

「ああ…」なるほど、最初からどーるが喋ってしまった訳か。そうなったら真名は腹話術を持ち出すしかない。真名も困った様に笑いながら言う。

「それでお婆さんにお話を聞いたんです。そしたら、ショッピングサイトから急にメールが来て『今月分の買い物料金が限度額に達してます』って言われたって…。

 ビックリしたお婆さんが添付されてた番号に電話したら、サイトの管理者を名乗る相手が『他人が貴女のクレジットカード情報を盗んで使ってる』『このままだと限度額まで引き落とされてしまう』『解除の手続きするからATMを操作しろ』って……」

 僕は嘆息して頷く。間違いなく振り込め詐欺─警察署のポスターで見た〈架空料金請求詐欺〉の一種だ。手口が進化して被害が拡大し続け、今は大学でも何か流行っているらしい特殊詐欺だが、相変わらず高齢者の被害者が最も多いのは変わらない。スマホの扱いに慣れていなさそうなあの老婦人では、まんまと騙されていただろう。どーるが思わず声をかけてしまった気持ちも分かる。

 それでどーると真名は老婦人を説得して、電話を切らせたと言う。これが詐欺グループの一員─金を受け取る役の〈受け子〉に直接会って金を渡すように指示されていたら、騙されたフリをして警察に通報する手もありだろう。受け渡すその場で逮捕も出来るからだ。しかし電話だけで指示してきているこの場合はとりあえず相手にしない事だ。


 真名が申し訳無さそうに言う。

「電話を切った後、そんな怪しげなメールはブロックした方がいいってどーるちゃんが言ったんです。でもお婆さんはやり方が分からないって言って…私もあんまりそういうの強くなくて…」

「ホントだよ、真名ちゃんったら最初スマホ渡されて画面覗き込んだと思ったら、シャッターパシャとか押してビックリしてさ。その後も何度も同じ事やってんだもん、何やってんだか〜」

 ケラケラ笑っていたどーるだが、真顔になって続ける。

「でも、お婆ちゃんも真名ちゃんもテキトーにSNSとか使ってちゃダメだよ?便利だけど、気を付けないと世界中に個人情報バラまいちゃうんだから!

 だからあたしが設定してあげようとしたんだけど、この指じゃスマホ反応しなくて〜」

 どーるはそう言って人差し指を立てて振った。彼女の体はレジンという合成樹脂で出来ている。

「ああ、だからキミが説明してお婆さんが操作してたのか…」

 どーるが思わず人前で喋ってしまったのも、人助けの為なら責められまい。真名のお陰で腹話術と思ってもらえた様だし、僕も結果オーライだと思う事にした。

 しかし──


「ん?久作、何考えてんの?」

 不意に前に立つ僕が腕組みして黙ったので、真名の膝の上のどーるは小首を傾げてこちらを見上げた。

「いや、そんなスマホとか振り込め詐欺とかにも詳しいって事は、キミはその…昔の人の幽霊が人形に取り憑いたとかじゃなく…」

 勢いで浮かんだ事を言ってしまったが、『幽霊』と言った瞬間にどーるの表情がサッと変わった。どーるには確かに人形になる前の記憶は無いが、直前まで生きていた実感があると言う。彼女にしてみれば自分が既に死んでいるというのはしっくりこないし、避けたい仮説なのだ。しかしそんな空気を読んでか読まずか、真名が普通に続けた。

「勿論ですよ、どーるちゃんは私なんかよりよっぽどイマドキのコです。お話ししててもデジタルでも最近のアイドルでも、私より詳しいもの…。えっと…TBS?」

「BTSね〜」

 顔の前で『違う違う』と手を振るどーる。僕は考え込んだ。どーるに最新のデータがインプットされている可能性もあるのでは…?さっき見た赤いスマホが目に浮かぶ──


「ふむ、近所に錬金術師がいれば辻褄が合うな!」


 憂鬱な曇り空にハイテンションな声が響き渡った。どーるも真名も真ん丸な目をこちらに向ける。振り向くまでもない、またいつの間にか僕の背後に破一郎先輩が忍び寄っていたのだ。 

 肩越しにジトッと見やれば、いつもの様に黒シャツ黒ズボン、靴下も靴も黒尽くめの格好だが、今日はベルトだけが赤である。必ずどこかにワンポイントで赤を入れるのがこだわりの様だ。そしてこれもいつも通り、先輩はチェシャ猫の様にニマ〜ッと嗤って言った。

「錬金術は狭義ならば化学的手段を用いて卑金属から貴金属─金を精錬する試みの事だが、広義では金属に限らず様々な物質、果ては人間の肉体や魂までをも完全なる存在として練成しようとする研磨・攻究の道だ。その試行の過程で硫酸・硝酸・塩酸等多くの化学薬品が発見され、数多あまたの実験器具が開発された。歴史学者もこの錬金術が現代の自然科学の祖になったと認めているのだよ。

 中でも錬金術の研究過程で医学に化学を導入し、酸化鉄や水銀等の金属化合物を初めて医薬品に採用して『医化学の祖』とも称されるのが偉大なる錬金術師パラケルスス。


 その彼が造ったと言われるのが─〈ホムンクルス〉だ!」


「人造人間…?」どーるの顔が引きつる。

「蒸留器に人間の精液を入れて四十日間密閉し腐敗させると、透明で人の形をしたモノが生まれると言う。それに毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の37〜38度で保温しつつ四十週間保存すると、人間の子供らしき姿になるそうだ。ただし、その大きさは本物の子供よりはずっと小さくてね──」

「…ちょっとあんた、それがあたしとか言わないでしょうね…?」

 また怪しげな事を言い出した先輩を、どーるがギロリと睨む。


 見れば真名は相変わらず唖然としてこっちを見ている。そう言えば『人形の家』の通し稽古ゲネプロの時先輩と遭っているはずだが、彼女にちゃんと紹介しただろうか─?

「あ、真名さん、こちらは僕の高校の時からの先輩で、今は映像学科三年生の希津水破一郎さんと言って……」

「え、ええ、どーるちゃんからお話は聞いてます…。ゲネプロの時は事件を解決していただいて……」

「ワハハハ、何、礼には及ばん!」

 ゲネプロを含めて昨日までの三日間、どーるは真名と共に舞台に上がっていた。他の人がいない時は二人でガールズトークに花を咲かせていたらしく、その時破一郎先輩の事も仕方無いので説明していたのだろう。高笑いする先輩に困った様な笑顔で頭を下げる真名…。


 どーるが話題を戻す。

「で、本気であたしがそのホムンクルスだとか言うつもり?」

「うむ、君は自分が本来人形ではなく、人間だという感覚があるのだろう?それこそ人造だとしたら成り立つではないか。

 そしてホムンクルスは生まれながらにしてあらゆる知識を身に付けていると言う。どーる嬢にはスマホでもアイドルでも最新の知識があるのだから、これもやはり符号する」

「え〜、そんな風に造られたとか、何かドロドロしてそうじゃんっ…ヤダあたし…。

 …でも、ホントにこの辺にその錬金術師が住んでるなら……」

「いや、君はどう見ても生物と言うより職人の技が光る人形だからな、精液と血液から生まれたカンジではない。それに近所どころかそもそも現代の日本に錬金術師はそうそういないだろうし、大体パラケルスス以外にホムンクルスの生成に成功した者はいないそうだ。  

 うむ、違うな!」

「違うのかよ!」


 先輩とどーるの不毛な漫才に僕はほとほと呆れていたが、真名はいつしか二人のやり取りを真剣に見つめていた。何か演技の参考になるとでも思っているのだろうか…?そんな熱視線にもお構いなしに先輩の暴走は続く。


「どーる嬢の様にもっと物質的な材料から造られた人造人間と言えば、やはりあれだな、ヴィクター君の傑作」

「ヴィクター君?誰?」

「知らないのかね?スイスのジュネーブに生まれたヴィクター君は様々な学問を究める聡明な青年だったが、錬金術にも大いに興味がありパラケルススの著作も愛読していた。ドイツのインゴルシュタットの名門大学で最新の自然科学を学んだ彼は『科学の発展は人類を更に進化させる』という信念の下、危険な研究に挑む」

「危険な研究?」

「パラケルススが行なった以上の完璧な生命の創造だよ。その神の領域に向けて彼は仮説と実験を繰り返し、遂に、繋ぎ合わせた死体に電気エネルギーを注入する事で超人的な人造人間を生み出す事に成功した──」

「死体…?」またどーるが厭な顔をしているが、先輩は嬉々として言う。

「筋骨隆々の逞しい体格で身長は8フィート─2メートル40センチあったそうだ。かの伝説的なプロレスラーの〈人間山脈〉アンドレ・ザ・ジャイアントでも2メートル24センチだから、まさにだな。尺貫法で言うなら八尺、私は都市伝説の〈八尺様〉もここから来ているのではないかと個人的には思っている。世界的な共通の感覚として、ちょうどいい怪物感のある大きさなのだろう。何せアンドレよりデカいのだから!

 その怪物は感情豊かな人格で知性にも優れ、誕生から十一ヶ月でドイツ語とフランス語をマスターしている。どうかね、こちらの方がどーる嬢に近いんじゃないか?材料が死体かレジンかの違いくらいだ!」

「だいぶ違〜うっ!何者なのよ、そんな怪物造ったヴィクター君ってっ……」


「ヴィクター・フランケンシュタイン!

 有名人だろ〜?」

「ホラー映画の話じゃねーか、てめーっ!」

「女の子がてめーとか言っちゃダメよ、どーるちゃん…」


 膝の上で立ち上がって拳を振り回すどーるを真名が宥める。勿論先輩は止まらない。

「ホラー映画とは、もしかしてどーる嬢は顔が縫い目だらけで首にボルトが刺さった、フンガーな見た目を想像しているのかね?あれは1931年にユニバーサル・ピクチャーズが製作した『フランケンシュタイン』の際初めてデザインされたモノで、あまりにインパクトがあったので以降のイメージを決めてしまったのだ。怪物自身の名前が〈フランケンシュタイン〉だって誤解されちゃうし…。

 本来の1818年発表の原作では美男子にしようとしたヴィクター君のちょっとした計算違いで、眼が妖しく薄く光って白い歯が剥き出す様に目立ち、唇も青いのを通り越して黒かったり、肌も半透明で黄色かったりするくらいなのだよ」

「充分に嫌〜っ!」

「まあまあ、その『創造主に成り代わり生命を創造する事への憧れと畏れ』─〈フランケンシュタイン・コンプレックス〉こそが、現代のロボット工学を発展させたのだ。そして今や深層学習ディープラーニングで自ら進化していくAI─人工知能を搭載した、人間そっくりの人造人間アンドロイドが実現している時代だぞ?

 君がそんな存在ではないと言い切れるかね?スマホにも詳しいのは自身にICチップが組み込まれているからかもしれん」

「だからってあたしは怪物じゃないもん!」

 僕はどーるの手首を見た。球体関節がグリグリ動いている。機械仕掛けの人造人間…いやまさか…?

「怪物がお気に召さないならば『未来のイヴ』かな。それに出てくるハダリーは美しい女性の〈アンドロイド〉だよ。この初めて人造人間に〈アンドロイド〉という呼称を用いたヴィリエ・ド・リラダンの小説は、ギリシャ神話の『ピュグマリオーン』を下敷きにした作品だ。ピュグマリオーンは自分の彫った美しい彫像─に恋をして、その人形に生命が宿る事を渇望する男の物語だからな。どーる嬢を造った者が同じ願いを持ち、機械人形オートマータ人造人間アンドロイドの境界を越えたなら──」

「あ…そっか…!」

 膨れっ面のどーるに浴びせられていた先輩の世迷い言は、真名のひと言で断ち切られた。


「そうよ、どーるちゃんをはいるのよね、それが分かれば手掛かりになるかも…!」


 造った人─?僕は思わずどーると顔を見合わせる。

「もしかしたらどーるちゃん、有名な人形作家が造った凄いお人形かもしれないわよ?動きも綺麗だし、顔も可愛くて気品があるし…」

「え、そう?いや〜それほどでも〜♪」

 真名に褒められ、一瞬で怒りを忘れてクネクネと照れるどーる。確かに彼女は普通の人形より関節数が多く、自由自在に動き回れる。そこには製作者の拘りが感じられた。でなければ意識が芽生えてもここまで大暴れできなかっただろう。なるほど、量産品ではなく限定品、この世に一体だけの特注品かもしれない。僕も閃く。

「そうか、だったらどーるは麗青セレブのコレクションだったかもしれないぞ。部屋中に人形が飾ってある様なお屋敷のっ…!」

 どーるの持ち主を捜そうという発想なら元々あった。それで何か分かれば─だから世田谷北署でも盗難届の有無を訊いたのだ。だがこれが沢山ある人形コレクションのうちの一体だとすると、持ち主も無くなった事に気付いておらず、盗難届も紛失届も出ていない可能性がある。そうなると人間の迷子と違って住所や電話番号を記した名札も付けていない、『トイ・ストーリー』の様に靴の裏に名前が書いてある訳でもないどーるがどこの誰の人形なのか、調べようがない。そもそも子供のオモチャならいざ知らず、こんな精巧で高級そうな人形に普通名前は書かないものだし。

 しかしこれが作者ならどうだろう?画家や彫刻家と同じで、自分の作品にサインを入れていても不思議はないではないか。もし名のある人形作家の希少な作品なら、それを購入した持ち主も案外簡単に分かるかもしれない。

 メアリー・シェリー原作の『フランケンシュタイン』ではヴィクターの方が怪物を追うのだが、その逆、どーるが自分の創造主ヴィクターを捜すのだ!


「体のどこかに作者のサインとか、限定品ならロットナンバーとか書いてあるかもしれないよ。

 ちょっと服を脱いでみて!胸とかお尻とか見たいっ──」


 興奮してそう言ってしまった僕は、ハッと我に返る。真名は両手で口を覆い、どーるは般若の様な顔で睨み付けていた。

「えっち!変態!」

「あ〜あ〜、人間の女の子に相手にされないからっていかんなあ、童貞・間嶋久作〜…」

「えっ…そうなんですか……」

「違うっ…いや違わないけど、色々違いますっ!」

「さっき世田谷北署の前でいつぞやの刑事に尋問されていたが、あのまま逮捕された方が良かったのではないか?」

「なっ、何で知ってんの先輩っ…さてはどこかに隠れて見てたんですねっ?」

「何やってんですか久作さん…」

 怒るどーるにう破一郎先輩、そしてドン引く真名…。


 人形しか愛せない─〈ピグマリオンコンプレックス〉の烙印を押される訳にはいかない僕は必死に抗弁したが、結局むくれたままのどーるは真名が連れて帰る事になった。彼女の下宿でボディチェックしてもらうのだ。元々月曜日の今日は僕は実家近くの中学生の家庭教師をしているので、どーるを真名に託せるのはむしろ助かるが…この流れでは不名誉過ぎる。

 そしてこの場は解散となったのだが、どーるは午後の講義の間も真名と一緒にいると言って、僕に『あかんべー』をしてきた。

「じゃあ明日までにどーるちゃんの事調べさせてもらいますから…」

「ハイ…僕も人形作家について情報集めてみます…」

 気の毒そうに見る真名から目を逸らして宙に視線を彷徨さまよわせつつ、僕は小さな声で応える。沼警部補、どーる、真名と、皆から生温かい視線を貰ってしまった…相変わらず陰鬱な曇り空に向かって溜息をつく。

「いよいよどーる嬢の謎が解けるかもしれんな。各自、頑張ってくれたまえ。

 では明日またここに集合しよう!」

 元凶の破一郎先輩は能天気にそう言って、再びのチェシャ猫スマイルで締め括った。




 そして翌日─火曜日の午後。昨日同様スッキリとしない空模様である。朝のニュースで日本列島の南の海上で今年の台風一号が発生したと言っていた。本州に上陸はしないが接近する為、これから数日間は影響があるらしい。

 僕は三限目の講義を終えてキャンパスを一人歩いていた。すれ違う学生達は男女共に相変わらずお洒落なのだが、僕は朝寝坊して慌てて着てきたグレーのスウェットパーカーの袖がほつれている事にさっき気が付いた。談笑するグループを避けて俯いて端っこを歩く。

 そんなしょぼくれた姿通り、どーるの秘密に関しても僕の方では収穫は無かった。昨日帰ってネットの販売サイト等を色々調べてみたが、有名なメーカーや作家の作品でどーる本人や似た人形は見付からなかった。無名な作家が造ったか、非売品なのかもしれない。いずれにしても現状、検索する為にインプットできるデータが少な過ぎる。

(やっぱりどーる自身の手掛かりに期待か…)


 そう思いつつひとつ息を吐いて顔を上げると、行く手の学内の掲示版に昨日世田谷北署でも見た詐欺防止のポスターが貼ってあるのが目に入った。更にその隣にも別のポスターが貼ってあり、近付いて見れば麗青学苑附属中学校の生徒が描いたモノらしい。悪い顔をした鳥のさぎが受話器に『オレオレ、鶴だけど』と言っていて、横に大きく『サギです!』と書いてある。巧いなこれ…。

(そう言えば大学でも何か詐欺が流行ってるんだっけ。その注意喚起の為かな…?)

 と言ってもボッチの僕に教えてくれる友人はいない。ポスターを横目に独り校舎の壁伝いに歩いて正門を出て、昨日と同じく麗青みどり公園に向かえば──



「ホラ、このマヌカ蜂蜜ハニーの飴召し上がって」

「い、いえ、そんな申し訳……」

「いただきまーすっ…ん〜あんまあ〜い!」

 真名とどーる、そして昨日の老婦人が、ベンチに並んで座って蜂蜜飴を舐めていた。


「昨日ね、帰ってから知り合いの奥さんとかに訊いたら、間違いなく詐欺に遭う寸前だったって言われたの。ホントにありがとうね…もう一度お礼を言いたくてに来てみたけど、また逢えて良かった!」

 僕から見て一番左側に座っている老婦人が着ているのは昨日より清楚な白いワンピースだが、ピンクのストローハットで顔がよく見えないのは変わらない。曇っていても五月の紫外線は強いのでその対策なのか、或いは上流階級のご婦人はあまり人前に素顔を晒さないという事なのだろうか。

「こちらこそこんな美味しい飴貰えて、ありがとうよお婆ちゃん♪」 

 その老婦人の右隣にニコニコしたどーるがちょこんと座り、更にその右横に白い七分丈のレギンスにグレーのシャツワンピースを被る様に着た真名がいる。どーるを中央にして三人横並びな訳だが、真名がどーるの背中に手を当てているのはあくまで腹話術で動かしている体にしているのだろう。しかしこんなに自由自在に動き回る腹話術人形があるものか…僕は思わず頭を抱えるが、真名も微妙な半笑いである。


 すると老婦人は小脇のポーチから赤いスマホを取り出して言った。

「ね、お願い。お世話になった記念に貴女の写真を撮らせて?」

「うん、いいよ!」

 満面の笑みでVサインをするどーる。老婦人はコロコロと笑い声を上げる。

「ホントに面白いコね、貴女。ウフフ、そうね、お人形さんも抱えて一緒に撮らせてちょうだい」

「え、わ、私の写真…?」

 戸惑う真名。彼女は写真が苦手らしく、公演のパンフレット写真でも何ともぎこちない作り笑いをしていた。舞台の上ではあれほど表情豊かなのに…。

「ご近所さんにこんな親切で素敵な女の子がいるのよって自慢させて?ね?」

「そーだよ、真名ちゃんは可愛いんだから!」   

 老婦人がベンチから立ち上がるのと同時に、どーるはピョンと真名の膝に乗る。その二人の真向かいに立った老婦人は、オドオドする真名に構わずスマホを向けた。

「ハイ、笑って──」

 弾ける膝の上のどーるの笑顔。口元をヒクヒクさせるだけの真名…。老婦人は赤いスマホの画面を見たまま苦笑する。

「もう、笑ってってば──」


「任せたまえ!」


(出た……)僕は曇天を仰いだ。真名達が一斉に振り向いて、少しベンチから離れた木陰にいた僕に初めて気が付く。その僕の背後から、黒装束のチェシャ猫が足音も無く滑り出てきた。

「私は映画監督志望なのだ、撮影とあらば黙ってはいられない。スチール写真なら高解像度の一眼レフといきたいところだが、まあそこはそれ──真名嬢の最高の笑顔を引き出してみせよう。ささ、スマホをお貸し下さい」

「あっ……」

 今日はワンポイントで赤いフレームのサングラスを掛けた破一郎先輩は、戸惑って顔を逸らす老婦人の手からスルリとスマホを取り上げた。そして彼女が何か言うより早く、真名にレンズを向けて高らかに言う。

「ここにオタクの間嶋久作がいる!真名嬢は蓼食う虫も好き好きで付き合っているのだが、この間抜けはゲームのムスメ馬で徹夜して寝過ごし、大事なデートの約束の時間ギリギリで必死に公園に走ってくる。そして目の前まで来たところで、持ち前のマイナスの運動神経でズベーッと転んでしまった。優しい真名嬢は一瞬心配したのだが、無駄に丈夫な間嶋久作はすぐに立ち上がって、泥だらけの顔で『お待たせ!』と笑うのであった。

 さあ、そこで君の台詞──

『もう、馬鹿ね』!」

(何だその小芝居設定っ……)

 僕がそう思った刹那。


「もう…馬鹿ね」


 少し小首を傾げて、真名は笑った。

 それは無邪気で、相手への愛おしさに溢れていて、でもどこか蠱惑的な──

(か、可愛いいいっ……!)

 パシャッ。

「ハイ、カットぉーっ!」


 先輩の掛け声と共にハッと現実に帰った。僕だけではなく老婦人も真名に見れていたらしく、キョロキョロと辺りを見回している。やはり彼女は天才役者だ。シチュエーションを与えられた途端、一瞬であんな表情が…僕の心臓むねはバクバクと破裂しそうである。

「どうですかあ、良いが撮れましたよ〜!」

 破一郎先輩にスマホを返してもらった老婦人は、半ば呆然としつつも頭を下げながら帰っていった。見送るどーるが元気に両手を振る隣で真名はペコペコとお辞儀をしている。

(ホントにさっきと同じコか…?)

 僕はその横顔を見つめるばかりであった…。


「さてと──」

 老婦人が去り、一段落付いたとばかりに両手をパンと打ち鳴らした先輩に全員の注目が集まった。


「それではどーる嬢のボディチェックの成果、報告してもらおうか?」


 そうだ、それが目的で集合したのだ。僕がついベンチの座面に立つどーるを注視すると、腕組みをして睨み返された。まだ昨日のセクハラ発言を怒ってる…?

「くふふ…」情けない顔をした僕を見て真名が笑う。今度は演技ではない。老婦人の前ではオドオドしたままだったが、僕や破一郎先輩には慣れたのか彼女が素で笑う事も増えてきた。若干笑い方に癖があるが…。真名は傍らのどーるに優しい視線を送って言う。

「細かく話すとどーるちゃんが恥ずかしいでしょうから簡単に…色々見せてもらいましたが、作者のサインやメーカー名、商品番号とかはありませんでした」

「そう…ですか…」

 拍子抜け感が僕の顔に出たのだろう、真名が途端に申し訳無さそうに眉根を寄せる。いや、真名のせいではない─フォローを入れる前に先輩が口を開いた。

「では素人が造った可能性もあるな。球体関節人形─ボールジョイントドールを趣味で造る人は結構いると聞く。そうなると出自を調べるのは難しいか…」

 当てが外れたか─そう思った時。

「でもね、ホラ」

 そう言ってクルリと背を向けたどーるは、後ろ髪を両手でかき上げて僕に見せた。

「え?」


 彼女の首に小さな文字が書いてある。

「…To Sana…?」

「どーるちゃんはそのサナさんって人に、誰かが造って贈った人形なんじゃないかしら…?」


(サナ…?)僕は軽く目眩を覚えた。まさか……

「久作さん…心当たりがあるんですか…?」

「ああ…えっと…」

 僕の強張った表情を見て真名が尋ねてくるが、何と返していいか分からない。髪を下ろしたどーるが向き直って僕の顔をジッと見つめる。しばらくそのまま三竦みの様になって黙っていたが、やがてどーるがひとつ欠伸あくびをした。

「ふあ〜…何か疲れたな。夕べはつい、女子会盛り上がって夜更ししちゃったから…。

 今日は真名ちゃん、この後演劇部の活動あるんだもんね。しょうがないから久作んとこ帰ってあげるかあ…寂しかったんでしょ?」

(何だその、家出したお嫁さんが戻ってあげてもいいみたいな上からの言い草…)

 どーるの『許してあげるから感謝しなさい』みたいな顔にムッとしながらも、余計な事を言ってまたヘソを曲げられたら厄介なので黙っていた。どーるは更に欠伸を連発する。

「ふあ〜あ…帰りの電車で寝ちゃいそう」

「…寝言は言わないでくれよ……」

 そんな僕達のやり取りに真名がまた「くふふ」と笑う。


 その時、それまで何やら考え込んでいた破一郎先輩が呟いた。

「人造人間を造る理由、か…」

(?)僕は首を捻る。どーるが造られた理由についてまだ何か…?

「歌人としても有名な西行法師は亡き友恋しさのあまり、繫ぎ合わせた親友の骨から〈反魂はんごんの術〉で人造人間を造ろうとしたそうだ。しかし蘇ったのは金切り声を上げるばかりの異形の化け物で、法師は無責任に放置して逃げたと言う。

 かの怪物は自身を醜く造った創造主ヴィクターを恨みつつ、孤独に耐えかねて同じ人造人間の彼女を造ってくれと懇願した。しかしヴィクター君は完成寸前の彼女を怖くなってしまう。激怒した怪物はヴィクター君の弟、友人、遂には新婚の奥さんまでも手に掛けるのだ。

 人ならぬ人造人間は孤独と絶望を背負う。それでも贈り物として造られて可愛がってもらえるなら、それは幸せな理由だろう。

 だが身勝手な理由で人造人間を造れば、殺されても文句は言えんよなあ…」

「何の話です?」

 僕の問いにしかし先輩はそれ以上語らず、ニカッと笑って言った。


「よし、じゃあまた明日の放課後ここに集合で。解散!」


 そして大学の正門まで真名を送り、駅に向かって歩き出した時、来る時より重くなったリュックが囁いた。


「明日、お見舞いに行こうね」




 翌日─水曜日。四限目の講義が終わる頃にはポツポツと小雨が降ってきた。

 僕はビニール傘を差してキャンパスを後にする。生ぬるい湿気がじんわりと体に纏わり付く。僕はTシャツの上に青い長袖シャツを羽織っていたが、歩いているうちに少し蒸してきた。シャツを脱いでリュックにしまおうかとも思ったが、中のどーるに狭いと文句を言われそうなので止める。

 まだ日暮れ前だが天候のせいで辺りは薄暗い。ふと前方で人の声がしたので顔を上げる。100メートル程先、麗青みどり公園の入口の辺りに何人かの人影がある。何事かと訝しみながら近付いていくと──


 真名が警察に取り囲まれていた。


「署まで来て話を聞かせてもらおうか?任意だから拒否も出来るけど、大学に知られる前に進んで捜査に協力した方が良いと思うよ」

「で、ですから私が何をしたと……」

「だから、君が詐欺行為に関与した疑いがあるんだって」

「さ、詐欺って…一体何の…?」

「今の若い子はSNSを使いこなしてるつもりなんだろうけど、気軽に出来るからバレても大した事ないと思ったら大間違いだからね」

「え、SNSなんて使いこなせないです、私っ…!」

「〈麗青の御令嬢〉ならオトコが食い付くと思った?味占めて何度もやってんじゃないの?」

「やってませんってばっ……」

「まあとにかく署で話を聞くからさあ」


(真名さんが詐欺…?)

 白い長袖シャツにアプリコットのキャミワンピースを着た真名は、寒くもないのに震えている。彼女を四方から傘も差さずに仁王立ちで睨み付けているのは、制服の男性警官が二人、暗い色のスーツ姿の刑事らしき男が二人─いずれも真名より頭ひとつ以上背が高くガタイも良い。

 ここは僕が何とかしなくては…しかし昨日も世田谷北署の前で散々挙動不審になっていたヘタレである。『お前も詐欺の共犯か!』と睨まれたら『つい出来心でっ!』と土下座しかねない。そもそも何で真名に詐欺の容疑が掛かっているのか事情も分からないのだ。

(どうしよう…どうしたら……)

 パニックになりかけた僕の目に、赤い傘を握って泣きそうになっている真名の顔が映った──


「錬金術の取り締まり、ご苦労様!」


 警官達のみならず、真名も弾かれた様にこちらを振り返る。僕の横に破一郎先輩が必要以上に颯爽と立っていた。ヒロインを助けに現れたヒーローのつもりだろうか…。いつもの黒装束だが、傘代わりなのか赤いバケットハットを被っている。そのままツカツカと真名達の方に歩み寄る先輩に、一番手前にいた黒いスーツの年配の刑事が立ち塞がった。白髪混じりの短髪でいかつい顔立ち、丸眼鏡の奥では細く鋭い狐の様な吊り目が光っている。

「何だ君は、このコの知り合いっ…」


「その詐欺行為はSNSで気軽に出来るモノなのでしょう?ネットの混沌からあの手この手で金を生み出す─まさに現代の錬金術だ。

 そして『オトコが食い付く』と言うからにはつまり最近、〈麗青の御令嬢〉が関与したSNS上の〈恋愛詐欺〉が多発している訳ですね!」


 恋愛詐欺とは恋愛感情を利用して相手を騙し、散々金銭を搾取したり高額な物品を買わせたりした挙げ句、利用価値が無くなれば音信不通になるという詐欺行為の事だ。悪質なモノになると個人情報まで抜き取られ、知らないうちに借金の保証人にされるケースもあると言う。将来結婚するからと言って信用させる〈結婚詐欺〉も、自分は外国人で海外にいるからなかなか逢えないと言いつつ送金を繰り返させる〈国際ロマンス詐欺〉もこの恋愛詐欺の一種だが、いずれも金銭的ダメージと同時に信じて愛した相手に裏切られる精神的ダメージも大きい、ダブルパンチな悪行である。あの世田谷北署のポスターでも勿論注意喚起されていた。

 そしてこの恋愛詐欺が今は直接顔を合わさなくても、SNSを使って成立してしまう時代なのだ。

「察するに警察の皆さんは、真名嬢がSNSで『私はこんな可憐な女子大生です〜』などとのたまって、反応した相手に『貴方を好きになっちゃった〜』『今度逢いたいな〜』『その前にちょっと困ってるからお小遣いください〜』みたいな詐欺行為をやってるとお疑いなのでは?」

 先輩の言葉に警官達は黙ってしまった。捜査情報を迂闊には話せないのだろうが、図星らしい。僕は反射的に昨日の真名を思い出す。あの『馬鹿ね』の笑顔…彼女の天才的な演技力があれば大抵のオトコは騙せそうな─つい真顔で真名の顔を見つめたら、彼女は小刻みに『違う違う』と首を横に振った。先輩もチッチッチッと人差し指を振る。

「しか〜し、それは彼女の仕業ではない。犯人は別にいる」

「ほお、それは誰かね…?」 

 狐目の刑事の声が低くなる。破一郎先輩は勿体付ける様に腕組みをして目を閉じた。

「それは……


 です!」


「は?」

 狐の様に細かった年配の刑事の目が丸くなり、他の警官達、真名さえもポカンと口を開けた。その隙に先輩は続ける。

「かのヴィクター・フランケンシュタインは死体を繋ぎ合わせて怪物を造ったが、大学の解剖室に出入りできたお陰でそのには苦労しなかった。しかし集めた肉や骨を選別するのは大変で、夜な夜な研究室に籠もって集中したせいで『眼の玉が飛び出した』ってくらいだから、眼精疲労は半端なかったんだろうな。

 でも今はそんな苦労をしなくとも、人造人間が造れてしまう─犯人はその現代の錬金術で生み出された、真名嬢の顔をした怪物なのです」

「一体君は何を言っている?警察をからかうとっ…!」

 我に返った狐目の刑事が声を上げ、他の警官達もこの場の最たる危険人物と判断したのか、真名の横に残った若い私服刑事以外の三人で先輩を取り囲む。しかし先輩はその圧をものともせず、高らかに言い放った。


「だってそうでしょう?

 今はネットの墓場にゴロゴロ転がってる画像を拾ってきて、テキトーなプロフィールをでっち上げてアップすれば、あっという間にの出来上がり。楽なものだ!」


「え…じ、じゃあ誰かが、私の写真を使ってって事……?」

 真名が呆然と呟く。確かにツイッターでもインスタグラムでも、年齢も性別も全くかけ離れた他人になりすましたアカウントを簡単に作れてしまう。

「そうそう、〈国際ロマンス詐欺〉なんてほぼ外国人の拾い画像を使った日本人のなりすましだよ。海外を拠点に『アイ・ラブ・ユー ダーリン』なんて言っておっさんを手玉に取って荒稼ぎしてた金髪美女の正体が、やっぱりおっさんだったって話はなかなかのブラックジョークだねえ」

 そんな冗談の様な犯罪が成立してしまうのか…。先輩は肩を竦めて苦笑するが、狐目の刑事は険しい表情を崩さずに言った。

「詳しいじゃないか君…もしや君が指示してやらせているのかね?」

「滅相もない、間もなく売れっ子映像作家になる私ならもっと巧くやるに決まっている。フェイク映像の技術を使えば、今や写真どころか動画の顔を他人に差し替える加工も可能なのです。中国なんかでは社会問題にもなってるでしょ?私は人造人間をなんてヘマはしませんぜ、旦那!」

 江戸の盗っ人みたいな台詞を吐く先輩だが、刑事達がサッと目配せをした。

「造り損ねるとはどういう事だ…何か具体的な事を知っているのか?」

 狐目がギラリと光る。怖い。僕ならもう自白している。

 しかし狐に睨まれたチェシャ猫は更に細い目で、ニカッと嗤って言った。


「だって、なりすましに使われた真名嬢の写真にが記録されていたから、皆さんはこの公園に来たんでしょう?」


「何故それをっ…?」

 色めき立つ刑事達。しかし先輩はニヤニヤと続ける。

「特殊詐欺の被害が拡大し続けている昨今は、警視庁、各県警共にその犯罪の温床となっているネットの監視に力を入れている─そんなサイバーパトロールに彼女の写真を使ったの投稿が引っ掛かったんじゃないですか?そこで捜査官が騙されたフリをして、写真をメールで送らせたのでは?大手のSNSだと個人情報保護の為に例え写真に位置情報が入っていても、投稿した時点でその情報は消去される。しかしメールに添付すると、そのまま位置情報も相手に伝わるからなあ。

 勿論、元々位置情報を組み込まない設定で撮られた写真ならメール添付でも駄目だが、今回はラッキーにもバッチリどこでいつ撮った写真なのか分かった。しかも被害が多発している大学のすぐ傍だ。それで連絡を受けた管轄署の皆さんが勇んで撮影場所のこの公園に来てみたら、まさに写真の女の子がいた─だから即座に任意同行を求めたのでは?」

 刑事達は言葉を失って顔を見合わせる。どうやら先輩の推論が当たっているらしい。確かに僕が昨日見たポスターにも、警察は全力で特殊詐欺撲滅に取り組んでいるとアピールしてあった。警視庁と所轄の世田谷北署がここまでスムーズに連携できたのも、それだけ警察組織全体がこの事案に本気になっているという証左だろう。

「でも真名嬢がホントにこれまで詐欺を繰り返してきた手練てだれの犯人なら、そんな間抜けな造り損ねをするかな?写真にはこの公園の位置情報と昨日の日付がバッチリ記録されていたのでしょう?

 それに皆さんが真名嬢を発見即確保したのは、その写真が彼女の顔を全く加工していない素材のままだったからですよね?安全・安心に錬金術サギを行ないたければ、他人の写真で人造人間なりすましを造ればいいに決まっている。ヴィクター君がハダリーのフリして『貴方とのデートに着ていくドレス買うからお金送って〜』と言えばいい。正直に自分の写真を使う方がおかしい!」

「それは…確かに…」

 色々ごっちゃにして強引に畳み掛ける先輩の言葉に、制服警官の一人が呻く様に呟く。狐目刑事も眉根を寄せて考えていたが、やがてギロリと先輩をめ付けた。

「…待て。君は何故なりすましに使われた彼女の写真が、昨日撮られたモノだと知っている?」

「そりゃあ撮ったのは、私ですからね〜」

「何ぃっ?ではやはり君達が共謀して…!」

 マズい、このままでは僕達全員逮捕されてしまう…しかし破一郎先輩は大仰に両手を広げて言った。

「いえいえ、確かに私は昨日素晴らしい笑顔の写真を撮った。


 しかし犯人は、この公園で知り合ったですよ。

 彼女は一昨日から、散々真名嬢の写真を撮り続けていたのだから」


「えっ!」

 声を揃えて驚いたのは僕と真名、更にどーるも小さく叫んでいた。先輩の言う通り本当に昨日の真名の写真が使われたのなら、あの老婦人が確かに怪しい。しかし──

「で、でも私、一昨日おととい写真を撮られた覚えは…?」

 真名の言葉に先輩は鼻を鳴らす。

「フッ、最初にフィルターを設定して欲しいとスマホを渡されて、画面を覗き込んだらパシャッとシャッターを押してしまった─そう言っていなかったかね?しかもその後も何度もと…それは君が押したのではない。老婦人がカメラの写る向きを画面側に切り換えて、セルフタイマーを仕掛けてからスマホを渡したのだろう」

「あっ…!」

 口に手を当てる真名。確かにスマホのカメラにはそうやって視点を切り換えて、画面を見ながら自撮り写真を撮れる機能がある。ではあの老婦人は初めから真名の写真を撮るのが目的だったのか?その為にいかにも詐欺に遭っている様な電話をしながら注意を引き、スマホに詳しくないフリをして…。

「あの老婦人こそが、詐欺を行なう為に人造人間の素材を集めていた錬金術師だったのだ。その手口は現代のパラケルスス─いや、ヨーロッパ中の上流階級に巧みに入り込んでは胡散臭い商売を繰り返し、マリー・アントワネットをも巻き込んだ詐欺事件を起こして有名になったカリオストロに例えるべきか…それほど巧妙かつ悪質な常習性を感じさせる。

 しかしいざ帰って人造人間を造ろうとしたものの、その素材─真名嬢の写真は良いモノが撮れていなかった。だってそうだろう?彼女は普段とてつもなく控えめな女性なのだから。欲しいのはオトコを騙すのに使えそうな、天使のスマイルや小悪魔なウィンクの写真なのだ」

「それで…昨日もう一度写真を撮りに…?」

 おずおずと尋ねる真名に先輩はニヤリと嗤った。

「同じターゲットに再度接触するのは危険だが、老婦人も意地になっていたかもしれんな。だからお望み通り、私が最高の一枚を撮って差し上げたのだよ。


 オフになっていた位置情報を、しっかりオンにしてね!」


「ええっ?」「何だと、君がっ?」

 その場の全員の目を最大限に丸くした先輩は、両手を腰に当てて顎を思い切りドヤッと上げた。

ごく潰しの間嶋久作がかろうじて警察署で聞けた『〈麗青の御令嬢〉が狙われている詐欺事案』という情報と、しきりに真名嬢の写真を撮りたがる老婦人の行動を重ね合わせてみて、もしやと思ったのだ。それで位置情報入りの写真を掴ませれば警察の網に引っ掛かるかもしれんと考えたのだが、こんなに迅速に結果が出るとはなあ〜」

「…つまり、私を囮に…?」

「いやあ、あのアルティメット・スマイルの写真には老婦人も舞い上がって、細かくチェックするのを忘れて使っちゃったのだろう。見事にハマったねえ〜っ♪

 という訳で皆さんは総力を挙げて、くだんの御婦人を捜すべきでしょう!」

 真名はジトッと、警察官達は呆気に取られて、先輩の顔を見つめている。

 狐目の刑事が初めて先輩に真摯に尋ねた。

「じゃあ君達はその老婦人の顔を見ているんだね?どんな女性だったか教えてくれないか!」


「ワハハ、スマホを奪う隙ばかり窺ってたからな、顔は見ていない!」

「ぼ、僕も…帽子に隠れて見えなくて…」

「わ、私も…の目見るの苦手で……」

 どいつもこいつも欠片かけらも役に立たない。狐目刑事の顔がまた不機嫌そうに歪んだ─その時。


「髪はウェーブがかった白髪をフワッと纏めて、顔の形は細いうりざね型。色白で、鼻筋が通ってて、皺は鼻の脇から口元に掛けてスウッとあったけどそれ以外にはそんなになかったよ。目は切れ長で睫毛も長いけど、目尻が少し下がって優しげな印象。眉は細く書いてたな。七十代だと思うけど、上品で若く見えるお婆ちゃん…あっ、左目の下に泣きぼくろがあった!」


 リュックの中から小さな目撃者─どーるの正確過ぎる証言が聞こえた。そうだ、よこしまな動機を持つ老婦人は顔を隠す為に目深にストローハットを被っていたのだろう。しかしそれより目線が低いどーるにはバッチリと見えていたのだ。真名や僕にはおにこべ村に出戻ってきた元妻よろしく正体を晒さないように注意していた老婦人も、腹話術の人形の目を避ける必要があるとは思わなかっただろう。

 四人の警官達がまた揃って口を開けて固まっているので、僕はすかさず無理やりどーるに寄せた高い声を出す。

「そ、そうだっ、途中でいったん帽子が外れて見えたんだったっ!ゲホッゲホッ…喉の調子がっ……」

「犯人の似顔絵描くなら頑張って協力しまーす!」

「ゲホガハッ!」

(こんな事なら今日も真名さんにどーる預けとくんだった〜っ!)

 僕の突然の情緒不安定な証言に、狐目刑事は毒気を抜かれた様な顔で僕達全員を見回して恐る恐る言った。

「…じゃあ目撃者って事で署に来てくれる?」

「ワハハハ、それも一興だな!」

 こうして破一郎先輩の高笑いが雨天に響く中、喋る人形と奇怪な仲間達はめでたく連行されていったのだった──




 僕達は世田谷北署の応接室に通された。詐欺事案の捜査は生活安全課の担当であり、狐目の刑事─つちさんもその課に属する巡査部長だと言う。ソファに落ち着いた僕達にその槌田巡査部長がスマホで見せてくれたのは、とあるマッチングアプリの画面であった。出逢いを求める男女が登録して気に入った相手と連絡を取り合えるのだが、そのプロフィール紹介ページに真名の写真とメッセージがアップされていた。その抜群の笑顔と膝の上のどーるが映った写真は、紛れもなく昨日撮ったモノだったが──


『はじめまして!

 私は東京在住のナデシコと言います。

 都内の大学に通っています。

 真面目なお付き合い希望です。

 趣味は読書と音楽を聴く事、特技は腹話術……


 たくさんの「いいね」をお願いします!』


「ナデシコ…」

 思わず呟いた僕に槌田巡査部長が応える。

「適当な偽名だろうが、マッチングアプリではそもそも本名は名乗らないからな。そこは誰も気にしない。『いいね』をくれた相手と連絡を取り合って親しくなるまでは、互いの素性を明かさないんだよ。詐欺とかに引っ掛からない為にもね」

「なのに最近引っ掛かった人がたくさんいたんですよね?その多発している詐欺にウチの女子学生が利用されてるって事なんですか…?」

「そうなんだ、この数ヶ月、まさに今回の様にプロフィールに麗青学苑の女子学生の写真が大量に使われてねえ。このコの笑顔もとても可愛いけど、何せ麗青おたくには綺麗なコがいっぱいいるだろ?それでつい騙されたって男性からの通報が相次いだ。それと同時に、その写真を偶々見た女子学生本人や知り合いからも『勝手に写真が使われてる』という届け出が多数あってね。それで〈麗青の御令嬢〉が狙われてるって分かったんだよ。

 しかも複数のマッチングアプリで同様の事が行なわれていたんだ。有名な大手アプリなら厳しい審査があり、身分証明書もチェックしてからじゃないと会員になれないんだけど…今回使われたのはどれもこれも違法なアプリでね。チェックが杜撰でなりすましでも簡単に登録できちゃうから、被害が拡大しちゃったんだな」

 途中で巡査部長に『可愛い』と言われ真っ赤になってアワアワしている真名を横目に、僕は質問を続けた。

「それでこのアプリで知り合った相手をどう騙すんですか?直接逢えば写真と違うって、すぐにバレるでしょうけど…」

「うん、こういう時はかつての出逢い系サイトの時代から〈サクラ〉が使われてきたんだが…」

「サクラ?」

 怪訝そうな顔をする僕に槌田巡査部長が説明してくれた。サクラとはアプリのいちユーザーとしていかにもパートナーを真面目に探している様に見せかけ、知り合った相手を言葉巧みに有料サービスに誘導・課金させる偽ユーザーの事だ。アプリの運営会社と裏で繋がっているサクラは、そうする事でその業者から報酬を貰うのだと言う。

「そのサクラが進化して手軽に出来る様になってしまったのが、〈キャッシュバッカー〉という手口だ。これは男性が気に入った女性と個人的なやり取りを始めると、彼女にメッセージを送る度にアプリ側に課金をしなくてはならない仕組みを利用したモノでね。アプリ自体もその課金で運営されてるんだが、その課金分の何パーセントかは相手の女性にもポイントとして加算されキャッシュバックされる。つまり裏で業者と繋がっていなくても相手にメッセージを送らせ続けるだけで、どんどんお金が入ってくるんだ。

 今回はそのキャッシュバッカーが多発したんだよ。思わせぶりな甘い言葉を並べ時々写真を送るだけで、相手と直接逢う事なく楽々貢がせたのさ」

「なるほど…」

 僕が頷いていると、槌田巡査部長はチラリと僕の左隣に座る真名を見た。

「君は本当に関与してないんだね?」

「し、してませんっ…」

 真名は訴える様な顔で首を振るが、巡査部長は完全には警戒を解いていない目をしている。僕は真名の写真を見ながら唇を噛んだ。キャッシュバッカーなんてモノがあるのも驚いたが、厄介なのはこの手口、なりすましじゃなく本人でも出来てしまうではないか。となると真名みたいに写真を使われた女子学生達が自分はやっていないと訴えても、それを証明するには時間と手間が掛かるだろう。沼警部補も『無実を証明しにくいケース』だと言っていた。

 同じなりすましでも世間に顔や名前が知られている有名人の偽アカウントならまだ発覚しやすいだろうが、一般人となるとなかなか難しい。ましてや誰がなりすましの犯人なのかは、相手を名誉毀損等で訴えて情報開示請求が認められてようやく分かるのだ。

「大丈夫、犯人に白状させれば済む事だ。この滅多に役に立たない間嶋久作が、今回だけは完璧な証言をしますよ!」

「任せて真名ちゃん!」

 ソファーの背もたれに寄り掛かっていた破一郎先輩と、僕の膝の上のリュックの中のどーるが続けて声を上げた。慌てて口パクをしながら真名を見れば、彼女も僕にすがる様な目を向けている。そうだ、例え巡査部長から奇異な視線を向けられようとも僕が目撃者になりきるしかない。


 その後応接室にスケッチブックを抱えた似顔絵担当の女性警察官がやってきて、僕は必死に口パク証言をした。

「もう少し小鼻が小さかったかな…唇は薄めだけど、下唇だけちょっとぷっくりしてた!」

 どーるは僕が胸に抱えたリュックの〈ブタ鼻〉から見ながら、鉛筆を握る似顔絵捜査官に絵の直しを指示していく。それにしてもどーるの観察眼は凄い。もしかして彼女も絵を描くのが得意なのではないか?最近ではイラストを描くAIも話題だし、やはり現代の人造人間…?

「あ、これ!こんな顔だった!」

 やがてどーるのお眼鏡にかなう老婦人の似顔絵が完成した。上品で優しそうな顔立ちである。本当にこの人が女子大生になりすまして恋愛詐欺を…?それに真名の件はともかく、連続で起きているという『〈麗青の御令嬢〉なりすまし詐欺』の全ての犯人がこの老婦人なのだろうか?学校関係者ならまだしも、ただの近所のマダムだとしたらそんなに女子大生の写真を集められるモノだろうか…。

「ではさっそくこの似顔絵を元に訊き込みをしてみます。また事情を伺う事もあるかもしれませんが、とりあえず今日はご苦労様でした」

 槌田巡査部長はそう言って頭を下げてくれた。真名への微妙な疑念は拭いきれていない様だが、僕達は連絡先も教えたので現段階でこれ以上拘束される理由は無い。細かい事は似顔絵の老婦人を見付ければ自ずと分かるのだ。僕は最後に確認する。

「それじゃ、この人見付かったら連絡貰えますか…?」

「ああ、勿論」

 巡査部長から言質を取って、僕達は世田谷北署を後にした。



 表に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。もう午後六時を過ぎ、相変わらず降り続く小雨がオレンジ色の街灯に照らされた街路樹の葉をサラサラと鳴らす。

「今日はご迷惑をお掛けして…」

「何言ってんです、真名さんは何も悪くないですよ」

「そうそう、全ては人造人間の仕業」

「警察が来たのはあんたのせいでしょ!」

 頭を下げる真名を僕はフォローしようとしたのだが、破一郎先輩とリュックの中のどーるの小競り合いに掻き消された。確かに先輩の機転で真名の写真が詐欺に悪用されるのは防げたが、危うく逮捕されかけたのも事実─無許可で囮にされた真名はまたジトッと先輩を見ている。

「では私は失礼するかな。ご機嫌よう〜!」

 居心地が悪くなったから─という感じではちっともなく、先輩は手を振ってマイペースに去っていった。


「…じゃあ行こうか、久作?ちょっと遅くなっちゃったけど……」

 ポツリとどーるが言い、真名が首を傾げる。

「何の事?」

「あ、その…」

 僕はしばらく考えて言った。

「良かったら真名さんも付き合ってもらえませんか?もしかしたら、どーるの謎にも関わってるかもしれないし…」

「え?どこに?」

「お見舞い、です…」



 小田急線で新宿方面にひとつ戻った駅の近くに〈世田谷さくら総合病院〉はあった。面会時間は午後八時までだったが、僕達が到着した時間はちょうど夕食時間に当たっていた為、ロビーで少し待ってから四階の一般病棟に上がる。その四〇五号室の入口に三人分のネームプレートがあり、その中に『結月沙苗』の名前があった。

 時刻は七時─僕と真名はそっとドアをノックして中に入る。大部屋でベッドは全部で六つあった。三つずつが左右に向かい合って並んでいて、手前の左右のベッドには年配の女性が二人、それぞれ本を読んだりスマホを眺めたりしている。僕達は軽く会釈をしながらその前を通り過ぎ、奥の窓際へと進む。その奥の右手のベッドに沙苗はいた。

 彼女はベッドの上半身部分のリクライニングを斜めに起こし、開いた窓の外に顔を向けていた。雨の音だけが聴こえてくる昏い夜を黙って見つめている。眉の所でパツッとカットされた切りっぱなしボブ─本人に間違いないと思うが、向こうを向いていてその表情は伺えない。水色の入院着のせいか少し痩せた様に見える…。

「あ、あの、こんばんわ…」

 僕がそう声を掛けると、沙苗はゆっくりと振り向いた。


 その無表情からは何の感情も読み取れなかった。


「…誰…?」

 言葉にも生気は無い。転落事件からちょうど一週間、面会の受付で聞いた限りでは奇跡的に全身の怪我の程度は軽いが、右足が亀裂骨折、左腰にも打撲で痺れがあり歩行困難な為、もう少し入院させると言う。それ以外、脳にもダメージは無いので会話にも支障は無いという事だったが、突き落とされた精神的なショックがまだ癒えていないのだろうか…。

 しかし『誰?』という質問は当然である。僕は慌てて答えた。

「あ、えと、国文学科の同級生ですっ…間嶋久作と言います。と言っても話した事ないですよね?すみませんっ……」

「マシマさん…?同級生…?」

 沙苗は怪訝そうに僕を見ている。そう、僕が彼女に一方的に思い入れしていただけなのだから、この反応は当たり前だ。何故そんな面識の無い同級生がお見舞いに来たのか、僕にも説明のしようがない。沙苗の目の光に惹かれたなどと言えるはずもなかった。今はその光も無表情の中に沈んでボンヤリと霞んでいるが……


 キミも何かを目指してこの大学に来たのではないか─?

 それで孤独なのではないか─?

 僕と同じなのではないか─?


 僕達はトモダチになれるのではないか…?


 僕が絶句して固まっていると、後ろにいた真名が口を開いた。

「と、突然ゴメンなさい、結月さん…私は芸術学科二年の楠本真名です…。久作さんは貴女が怪我をした現場に居合わせて、し、心配してて…それで…」

「そう…ですか……」

 真名も僕同様他人とのコミュニケーションは苦手だが、何とか場を保たせようとしてくれている。僕は背中を押してもらった気がして、言葉を絞り出した。

「具合はどう…ですか?あの、これ、大したもんじゃないんだけど…」

 そう言いながら僕は手に提げていた紙袋を沙苗に差し出す。のろのろと受け取った沙苗は、紙袋から小さな紙箱を取り出した。大学のある麗青学苑前駅近くの洋菓子店の名前が入っている。

「ラスクだけど、良かったらっ…」

「…ありがとう」

 沙苗の表情が僅かに和らいだ気がした。

 僕の心臓むねが高鳴る。


─トモダチに、なれますか…?


 しばらく僕が紅い顔で腑抜けと化していたのに気が付いた真名が、背中をポンと叩く。ハッとしてもうひとつの目的を思い出した。

「あ、あの、ひとつ訊いてもいいかな…?」

「なあに?」

 少し柔らかくなった沙苗の態度に僕はホッとしながら、肩のリュックを前に回してジッパーを開ける。

「これ…キミのじゃないかと思って…」

 そう言いながら僕は両手でどーるを持ち上げた。どーるの首に書かれていた『To Sana』の文字─『サナ』とはの事ではないのか…?確証がある訳でもない、一縷の望みを託した質問だったが──


「…知らない」

 沙苗はあっさりとそう言った。その目にまた警戒の色が戻った気がする。

「あ、ゴメン、今のは忘れてっ…」

(外れ、か…)

 僕は慌ててどーるを仕舞った。



 それから当たり障りの無い会話を少しして、僕は沙苗と履修が重なる講義のノートを持ってきてあげる約束をした。沙苗は特に語らなかったが僕は彼女が学内で孤立しているのを知っている。他に頼める相手もいないからこちらの提案に乗ったのだろうが、また沙苗のお見舞いに来られると内心浮かれていた。

 そうやって浮かれていたから気付かなかったのだろう─途中から真名がすっかり無口になっていた事に。

 お見舞いを終えて、病院の正門を出た所で真名は足を止めた。正門横の鉄柵の上からり出した敷地内の木の葉を、降り続く雨が鳴らす。少し雨脚が強くなったかもしれない。

「真名さん?」

「どーるちゃんも出してあげてくれます…?」

 傘を差して俯く真名の表情は読めないが、その固い声に僕は嫌な予感を覚えつつ、言われるがまま肩のリュックのジッパーを開ける。間髪入れずにピョコンと顔を出すどーる。黙って僕を見上げている。傘を持ち上げた真名の顔も真面目だ。

「な、何?二人とも…何だか顔怖いけど…?」

 どーるが呆れた様に言う。

「全然気付いてないか…やっぱり女心分かんないんだねえ久作…」

「え?」

 真名は真剣な顔で言う。

「さっきは私、久作さんの背中に隠れて、頑張って結月さんを見てました…。どーるちゃんの観察眼も凄いけど、私もこれでも役者なので、人の表情や声色には敏感なんです……」

「は?」

 そして二人は顔を見合わせて頷き、代表するかの様にどーるが言った。


「嘘ついてるよ、あのコ。

 あたしの事、絶対知ってる」


 ザザッ……


 風に煽られた雨が傘をすり抜けて舞う。どーるの顔に降り掛かった水滴が、涙の様に頬を流れた。




 ──二日後。

 僕のスマホに槌田巡査部長からの着信が入った。昨夜例の老婦人が見付かったと言う。

「それであの人、ホントに詐欺の犯人だったんですかっ?」

『いや、それが確定出来なくてね…』

「え?取り調べしたんじゃ…?」

 首を捻る僕に、槌田巡査部長は暗い声で応えた。

『似顔絵を使って近隣に訊き込みをしたら女性の自宅を特定できた。ノートPCを押収して調べたところ、大量の女子学生の写真データが見付かったよ。またスマホに楠本真名さんの写真を使ってマッチングアプリに登録した履歴が残っていたからね、女性が事件に関与していたのは間違いない。

 ただ今回以外のマッチングアプリにアクセスした痕跡が無くてね、他のデバイスを使用したと思われるが見当たらなかった。被害の規模からグループでの犯行と考えた方が自然だし、共犯者がいるんだろう。本人の供述が取れれば詳細も分かったんだが…』

「黙秘してるんですか?」

『うん……』

 しばらく黙った巡査部長の次の言葉は、全くの予想外だった。

『君、沼警部補とも知り合いなんだって?』

「は?ハ、ハイ…」

 何故ここで沼警部補の名前が出てくるのか?

『彼も君達に話を訊きたいそうだから、また署に来てもらえるかな?』

 沼警部補は刑事課─詐欺事案の担当ではないが…。


『似顔絵の女性だが…自宅で死亡しているのが発見された。状況から他殺の可能性が高くてね……』


 破一郎先輩の言葉が甦る。


『身勝手な理由で人造人間を造れば、殺されても文句は言えない』──


(まさか……) 




─あーっ、頭痛い!

 全然「いいね」が付かないじゃない、この写真ならイケると思ったのに…。

 何が〈麗青の御令嬢〉だよ!ここは私の街だってのに、チャラチャラした小娘共がのさばって…馬鹿は私の小遣い稼ぎくらいにしか役に立たないんだ、どいつもこいつも詐欺で捕まっちまえ!

 それにしてもあのコ、ちっとも新しい写真送ってこないね。今回は何とか撮れたけどもう手持ちが無いんだからっ…お詫びに送ってきたこの飴はまあまあ高級だけどさあ…… 

 ホント「いいね」来ねえな!やっぱりもっとお嬢様風の女になりすませば良かったのか?くそおっ…ああっ、だから頭痛えんだよっ!


 ……って、ああ?もしもし…?


 は?誰なの…?


 何言ってるの?こっち来ないでよっ…。


 やめて!来ないで!


 入ってくるなっ、入ってきたら承知しないよ!警察呼ぶよっ!


 ……ハッ、何よやっぱりイタズラ…脅かしてっ…!



 ギャアアアッ!



『「こいつもおれの犠牲だ!」とその怪物は叫びました。「こいつを死なせたからには、おれの犯罪ももうおしまいだ。おれの存在のみじめな糸も、すっかり巻き終えられたというわけさ。

 おおフランケンシュタイン! 寛大で献身的な人だった! いまおれが赦しを求めたところで、なんの役に立とう? おまえの最愛の人たちをみな殺して、おまえを死なせてしまったのだ、おれは。

 ああ、冷たくなっている、もう、おれに答えてくれないのだ」……』


     『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』

             ──メアリー・シェリー著

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