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〈凛空〉第17話

 紙飛行機で空を飛びたかった。

 こんな夢を掲げたのは、いつだっただろうか。少なくとも、漢字や足し算を覚えるよりも前だ。物心がついたときには、既に思い描いていた夢のような気もする。

 小学校で、あらゆることを学んだ。知識を蓄えた。現実を知った。そのたびに、僕の夢は音を立てて砕けた。粉々になって、二度と戻らなくなった。

 それでも、紙飛行機で空を飛びたかった。無理だと分かっていても、受け入れたくなかった。夢を諦めることで、現実に近付くのが怖かった。現実を知ることで、夢を忘れたくなかった。

 大人になりたくなかった。子供のままでいたかった。

 ようやく気付いた。僕は、とてつもない思い違いをしていたんだって。

 大人になるってことは、夢を諦めることじゃない。夢を与える側に回ることなんだって。

 僕の番がやっと来た。ここからは、最高に子供じみた方法で、大人への階段を駆け上ってみせよう。

 パンナコッタから受け取った最後のマテリカを、パンナコッタに分け与える最初のマテリカとして。

 ポケットに潜んでいた紙飛行機。これを巨大化させて、操縦できるようにした。もちろんマテリカの力だ。だけど誰のためかは定かじゃない。闘技場に潜入した純太を助けるためかもしれない。今は亡きパンナコッタの夢を、僕が代わりに叶えるためかもしれない。

 確かなことはただ一つ。

 僕を乗せた紙飛行機が、たった今、闘技場のフィールドに着陸したってことだ。

「なんだ、あの飛行物体っ」観客が怒鳴り散らす。「見たことねえ、あんなの」

「おれたちの敵に違いない。ぶっ壊せ!」

「落ち着け落ち着け、まずは装甲を確認するんだ」

 慌てふためくルプスたちを余所目に、僕はフィールドに降り立った。すぐにマロンが走り寄ってくる。

「大丈夫です」マロンは一度振り返り、チロルたちに声をかけた。「これは紙飛行機。私たちの味方ですよ」

 ゆっくりと近付くチロルとムギ。僕は二匹を安心させるために、笑みを浮かべてみせた。それでチロルも理解したのか、「助かったあ」と呟き、勢いよくムギを抱きしめた。

 同時に、フィールドの外から、勇ましい雄叫びが聞こえてくる。なんだろう。観客のものじゃないみたいだ。僕たちが目を向けたとき、丁度雄叫びの主が現れた。

「自警団です!」ムギが声を弾ませた。

 団長が先頭に立ち、スパーダを持って突入する。しかも自警団だけじゃない。有志のファミリアも含めたら、その数はルプスたちと同じくらい。希望の光が見えてきた。

 紙飛行機、そして自警団の乱入。統率の取れていないルプスたちは、絶叫しながら逃げ惑った。フィールドは大乱闘。体育館の鬼ごっこみたいに、至る所に必ず誰かがいるような混沌状態だ。

「凛空、みんなを紙飛行機に乗せてやってくれ」純太がスパーダを構えた。「俺は最後に乗る。まだ油断はできない」

 純太の意向に従い、まずは僕が紙飛行機に乗り込んだ。翼の部分に立ち、マロン、チロル、ムギの順番に手を取る。三匹には、中心のくぼみに収まるように指示した。その部分なら落ちにくいはずだ。

 最後は純太だ。だけど純太がいない。急に消えたんだ。こんなときに、どこに行ったんだろう。辺りをキョロキョロして捜すけど、自警団とルプスでごった返して、一向に見当たらない。

「あっちです」チロルが身を乗り出して、遠くを指さした。

 純太のやつ、ルプスとの戦いに巻き込まれていたんだ。

「世話が焼けますよ」マロンが紙飛行機を飛び出した。

 彼女は脇目もふらずに走る。手にはスパーダ。助けるつもりだろう。マロンに任せておけば大丈夫という保証が、なんとなく僕の中にはあった。

 純太とルプスの鍔迫り合い。均衡状態。瞬きすら許されない。

 一瞬、純太の手が緩んだように見えた。ルプスが一気に押す。スパーダが、純太の首すぐそこまで迫る。刃物じゃないから死にはしないけど、かなり痛いはずだ。前に足を叩かれた経験がある僕には、その苦痛が十二分に理解できる。

 マロンが飛び込んだ。ルプスの首に一撃。打撃音が僕の元にも届く。ルプスは悶え、前方に倒れ込んだ。

 僕の呼吸が安定した。マロンに任せておけば大丈夫とはいえ、結構心配だったんだ。

 そのとき、次なるルプスが純太に走り込んできた。でも純太は気付いていない。後ろからの突撃だったからだ。僕が「後ろを見ろ」と声を張り上げたって、乱闘の喧騒に紛れてしまう。

 一早く反応したのはマロンだった。純太の手を引き、僕たちの方向に駆け出した。ルプスの攻撃は空を切る。勢い余って、自警団の団員と衝突していた。

 間もなくして、マロンたちが紙飛行機の元に到達した。これで大丈夫だ。最初にマロンの手を取って、次に純太を誘導する。

「悪い。俺が一番油断してた」純太が苦笑した。

「まあ、今回はマロンのおかげってことで」

 全員がくぼみに収まったのを確認して、僕は一番前のくぼみに入る。まだマテリカは使えるはずだ。だって、パンナコッタが沢山与えてくれたんだから。

 目を閉じて、願う。

 このマテリカを、みんなを救うために使わせてほしい。

 強い風が吹いた。紙飛行機が、ふわっと浮いた。闘技場をぐるりと回転して、段々と高度と速度を上げていく。僕は紙飛行機を掴み、振り落とされまいと必死になった。

 幸いなことに、弓や銃を持ったスパーダはいないようだった。そもそも、アムネルにそういった武器が存在するかも分からないけど。なんせ、飛行機もヘリもないんだから。

 ルプスたちは、空中の敵を迎撃するような方法を持ち合わせていないようだった。僕たちの紙飛行機は、難なく闘技場から脱出した。

 これでひとまずは安心だ。チロルもマロンも僕のそばにいる。気がかりなのは、自警団がルプスたちを鎮圧できるかどうかだ。もうちょっと応援を要請した方がいいだろうか。それとなくチロルに相談してみる。

「ぼくが真っ先にすべきことは、みなさんを送り届けることです。あとのことは、我々ファミリアがどうにかします」

 ムギも同じ意見のようだ。どうやら、僕たちはこのまま日本に帰ることができるらしい。騒ぎを起こしたまま帰るのは忍びないけど、変に関わって、また純太やマロンとはぐれてしまうのはごめんだ。素直に従うことにしよう。

 紙飛行機は、風を切るほどの快速で市街地を抜けた。住宅街を通り越したところから、次第に速度を落とし始める。心なしか、機体が小さくなっているようにも思える。

 丘を上ったところで、紙飛行機が着陸した。いつの間にか機体の大きさは戻っていて、僕の股の下に収まっていた。それを右手で拾い上げる。こんな小さなものに、僕たちは乗っていたらしい。ポケットにしまいながら、ちっぽけだなと感じた。

 丘の上には、秘密基地にそっくりな木がある。中心には、僕たちが通ってきた空洞がある。もう一度通れば、きっと日本に帰れる。

 純太が頭を掻いた。「色々騒がせたな。ごめん」

「本当に激動の三日間でした」チロルが苦笑いを浮かべる。「ですけど、なんとか丸く収まりそうでよかったです。その分、犠牲もありましたが……」

 チロルは、ログハウスを一瞥した。

「これからは、ファミリアが一丸となって、アムネルの平和を守っていきます」

「あなたに言われても、信用できないですよ」マロンが軽口を叩いた。

「そりゃあ、決闘は専門外ですから。ぼくの仕事はお菓子作りです」

 ふうん、とマロンは興味なさげに相槌を打った。

 市街地の方から、煙が上がってきた。闘技場だろう。どちらが優勢かなんて、丘の上からじゃ分からないけど、きっと自警団の方なんじゃないかと思っている。

 僕たちは帰った方がいいだろう。ただでさえ部外者なんだから、できることは限られている。きっと親も学校も心配しているだろう。日本とアムネルでは時間の流れが違うらしいけど。

「マロン、そろそろ帰ろうか」純太が呼びかける。

「どうなのでしょう。このまま帰るのも、責任を放棄するみたいで恐れ多いですが」

「任せてください」ムギが言った。「アムネルのことは、アムネルのファミリアが解決します。マロン様、どうかお気を付けて」

 マロンは微笑んで、「ありがとうございます」と頭を下げた。

「じゃあ、帰るか」純太が木の空洞に足を踏み入れる。

 そのとき、僕の目にログハウスが映った。しまった。大事なことを忘れていたみたいだ。あんな大乱闘に身を投じていたから、ついうっかりしていた。

 僕は「待って」と声をかけてから、ログハウスに歩み寄った。

 家の横には、パンナコッタが埋められている。土の中から、白い髪が飛び出ている。

 パンナコッタの髪の毛は、まだ埋められていない。

 ちゃんとお別れを言わないと。

 土を両手ですくった。パンナコッタの前に立ち、じっと見下ろした。

 蘇ってきてほしいと思う。そんな奇跡が起こらないのは分かっている。僕は現実を知っている。

 パンナコッタの葬式から、丸一日。どういう言葉を投げかければいいか、ずっと考えていた。

 ありがとうとか、大好きだとか、元気でねとか。

 お前の分まで生きるからなとか。絶対に復讐してやるからなとか。

 色々言葉を並べては、全部とっ散らかして、今に至るまで何も残りやしなかった。パンナコッタに相応しい言葉が、どこにも見つからなかった。皮肉だよな。どれだけ学校や塾で漢字を習っても、いざ伝えようとすると、何も出てこないんだ。

 勉強なんて何のためにやっているんだろう。大人に褒められるためか、承認欲求を満たすためか。どちらもか、どちらでもないか。

 今の僕には分からない。歳を取ったって、理解できないかもしれない。

 だけど、勉強をしたくないとは思わない。知識を蓄えて、現実を知って、夢は夢なんだと悟ることに、意味がないとは思わない。

 大人になるってことに、意味がないとは思わない。

 僕が持っている土は、それを示すためのものに過ぎない。言うならば、これは思いやりなんだろう。死者に向ける愛情、もしくは忘却。

 パンナコッタ。今から僕がすることに、どうか腹を立てないでほしい。君にとっては屈辱かもしれない。だけど、僕が大人になるための一歩なんだ。許してくれ。

 僕は屈んだ。手に持っていた土を、どこでもない場所に乗せた。

 髪の毛は、埋められていない。埋めなくたっていい。

 その代わりに、僕は紙飛行機を取り出した。それを、髪の毛の上に置いた。

 パンナコッタ。お別れは言わないよ。

 もう絶対に忘れない。忘れてなんかやらないからな。

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