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〈純太〉第10話

 耳を疑った。理解が追いつかなかった。決闘の相手を聞いただけなのに、どうしてマロンの名前が出てくるんだろう。

 まず俺が考えたのは、同じ名前のファミリアという可能性だ。マロンという名前のファミリアがいて、たまたま剣術に秀でていて、闘技場で連戦連勝中。考えられない話じゃない。第一、マロンは犬だ。犬とファミリアは別の生物なんだ。

「どうかしましたか」

 チロルが怪訝そうな顔で、俺の顔色を窺う。動揺が顔に出てしまっていたらしい。

「なんでもないよ。続けて」俺は笑顔を取り繕った。「決闘相手は、どういうファミリアなんだい」

 チロルに話せるはずがなかった。そのマロンが、俺の捜している犬かもしれないって。

 だって、チロルはいずれマロンと戦わなくちゃならないんだから。

 外を見る限り、雨はとうに止んでいる。地面はまだ湿っていそうだけど、稽古をするには支障はない。でも稽古を再開できずにいた。

 気になってしまったんだ。その決闘相手のことが。

「ええっと」チロルが頬を掻く。「どういったことを話せばよろしいでしょうか」

「なんでもいいよ。ほら、外見とかでも全然いいし」

 実のところ、外見のことが一番聞きたかった。自然体で尋ねるってのは、どうにも俺には難しいみたいだ。凛空なら簡単にできるんだろうけど。

 チロルは、俺の懸念なんか知ったこっちゃない、といった風に、よどみなく話す。

「闘技場でしか見かけないので、ぼくもあまり分からないのですけどね。ローブの色は青です。というのも、決闘では赤か青のローブの着用が強制されるもので。観客から見えやすくするための配慮だとか。ああ、これはどうでもいい情報でした」

 俺は首を横に振る。「いいんだ。知ってること、全部教えてほしい」

「髪の色は茶色でした。アムネルでは珍しくありませんが、決闘に身を投じるファミリアは、大体が黒や白といった色の髪でしてね」

 マロンは柴犬で、きつね色の毛並みをしている。きつね色というのは俺のさじ加減だ。チロルが見たら茶色に思うのかもしれない。

「一週間前から闘技場に現れました。一般市民にも思える姿形と、例を見ない戦闘スタイルから、アムネルでもだいぶ評判です。決闘に勝利したとしても、相手のマテリカを頑なに受け取らない姿勢も珍しいです。なんでも、マロンの哲学なんだとか」

「ええっと、その、例を見ない戦闘スタイルって、どういうこと?」

「アムネルの剣術は、大体が俊敏性を意識したものなのですが……」

 チロルは顎に手を当てたかと思うと、俺の目をじっと見据えた。

「マロンの剣術は、防御に徹して攻撃を我慢することにより、相手の隙を捉えるものなのです」

 剣道だ。俺が先生に習った剣道と、全く同じものだ。

 つまり、マロンは闘技場にいることとなる。マロンが剣士ということになる。

 そうなると、犬の子孫がファミリアなんじゃなくて、犬とファミリアは同じものだってことだ。よく考えれば不思議だった。俺たちは日本で人間と呼ばれて、アムネルでサピエンスと呼ばれる。それなら、アムネルでファミリアと呼ばれる生物は、日本でどう呼ばれるんだろうか。最初から、それに目を向けるべきだったんだ。

 犬が人間に近い姿になっている理由とか、マロンが一週間前からアムネルにいることとか、分からないことはまだ分からない。考えたくもない。そういう理論的な話は凛空に任せておくべきだ。

 俺が理解すればいいのは、チロルの語るマロンが、そのまま俺の捜すマロンだってこと。

 そうと決まれば話は早い。俺は屈伸を始めた。闘技場まで走るためだ。今日もきっといるだろう。この目でマロンを確認して、あわよくばチロルの家まで連れて帰る。それから凛空を捜す。この予定で決まりだ。

「ごめんな、チロル」屈伸を終えてから、チロルに頭を下げた。「ちょっと自主練しててくれ」

「自主練、って、ぼくだけで稽古をするのですか」

「そう。ちょっと、闘技場に用事ができちゃったみたいなんだ」

 闘技場と聞いた途端、チロルは顔色を変えて「気でも狂ったのですか」と問いかけてくる。俺の肩を揺さぶる。心配してくれているようだ。でも、マロンがいるって知ってしまった以上、飼い主として行かないわけにはいかない。

「マロンを見に行くのですか。まさか、ぼくとの決闘を取り止めるように説得する気ですか」

 嘘はつきたくない。でも真実は隠したい。そしてチロルを巻き込むわけにもいかない。

 俺は曖昧に頷いてみせる。半分正解、といった意味合いも兼ねて。

「純太さんだけでは危険です。なにしろ、闘技場はルプスが営む施設。サピエンスというだけで恨まれるかもしれません。それなら、ぼくも同行します」

「いいや、一人で行く」

「なりません。ぼくを、また薄情者に仕立て上げる気ですか」

 凛空のことを言っているのだと瞬時に悟った。

 チロルもチロルなりに考えていたんだ。苦しんでいたんだ。

 マロンをこの目で見ることは、絶対に譲れない。でも、苦悩する友達を放置できるほど、俺は卑劣な人間にはなれないらしい。

 結局、チロルも連れて行くことにした。

 昼食の準備中だったムギに一声かけて、俺たちは外に繰り出した。車なんてないから、走るしかない。走ることは別に嫌いじゃない。ちょっと不便だと思うだけだ。

 こういうときに車があったらな、と考える。チロルに訊いてみたところ、アムネルには乗り物の類は一切存在しないらしい。船も飛行機も、自動車はおろか、自転車までもない。ファミリアは足を動かすことが好きだから、その楽しみを奪うような乗り物は発展しなかったようだ。

 俺たちはスパーダを持っていた。稽古の途中だったのもあるけど、それより、戦闘になるかもしれないということが、心のどこかで分かっていたからだと思う。

 もちろん、そんなこと望んじゃいないけど。

「純太さん」

 隣を走るチロルが、スパーダを持つ手を震わせた。

「どうして、最初、ぼくを置いていこうとしたのですか」

 俺は答えなかった。

「また、尻尾を巻いて逃げてしまうと思ったからですか」

 沈黙を貫いた。走りながら喋る体力もなかった。その場を取り繕う言い訳なんて、ちっとも思いつかなかった。

 それ以上、チロルが何か問うことはなかった。沈黙を肯定と捉えたんだろう。その横顔は寂しげで、視点が定まっていないようにも見えた。

 俺だって、チロルを悲しませたくはない。でも、「そんなことない」と言葉を返すわけにもいかなかった。その場しのぎで嘘をつくより、よっぽど正しい行動だと思ったんだ。

「ぼくは、もう逃げません」

 隣から、凛々しい声が聞こえる。誰の声なのかは明白だ。

「剣道を習った以上、逃げられないのです」

 スパーダを持つチロルの手が、ぐっと血管を浮き上がらせた。

 とはいっても、スパーダを使う機会はないと思っている。万が一あるとするならば、俺とマロンとの間に壁を隔てるルプスが現れたときだ。ルプスが相手なら遠慮はしない。

 だけど、それすらも杞憂だろう。俺が来たとだけ教えてやれば、マロンはすぐに駆けつけてくれる。ルプスが立ちはだかったとしてもだ。あいつは連戦連勝中の剣士なんだから。

 どうしてマロンが闘技場にいるのか。なぜ剣士になったのか。そして、俺たちは二日間しかアムネルにいないのに、どうしてマロンは一週間も闘技場で戦っているのか。

 そういったことは、あとで考えるべきだ。凛空を頼るべきだ。

 大切なのは、そこにマロンがいるってこと。

 大丈夫。マロンはきっと戻ってきてくれる。犬が飼い主を忘れるなんて、絶対にないはずなんだ。

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