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〈純太〉第4話

 チロルの住む家は、二階建ての白い館だった。至る所に窓。青いとんがり屋根に、パーティーができそうなくらいに広い庭もある。その豪壮な構えに、俺は目を見張った。

「しばしお待ちを。じきにムギが来ます」玄関の前で、チロルが立ち止まった。

 言われた通りに待っていると、扉がゆっくりと音を立てて開き、一匹のファミリアが現れた。黒のワンピースに、白いエプロンをつけている。チロルの家族だろうか。

「おかえりなさいませ」そのファミリアは、俺たちに深く頭を下げた。

「お客様をお連れした。サピエンスの純太さんだ」

「よくぞお越しくださいました。チロル様のご友人で?」

 広い意味で捉えると、確かに友人なのかもしれない。俺は小さく頷く。

「わたくし、ムギと申します。よろしくお願いします」

 立ち振る舞いや口調から考えるに、ムギは召使いだと思われる。チロルの服装からして、きっと裕福なんだろうと考えていたけど、召使いがいるなんて予想外だった。

「ムギ、純太さんを部屋に通してくれ」チロルが、そそくさと家の中へ入ってしまう。「ぼくは、ちょっと、用事があるから」

 チロルが視界から姿を消して、次第に足音も聞こえなくなった。俺とムギが取り残される。こんなとき、凛空は押し黙ってしまうらしい。というのも、知らない誰かと時間を共有すると、理由もなく気まずくなるんだという。取り繕うことはできても、居心地の悪さは消えないんだとか。

 俺も同じく黙っていた。凛空と違うのは、別に気まずくはないってこと。むしろ話しかけたいとすら思っていた。でも黙った。なぜなら、これからムギが部屋に通してくれるから。

 ところが、ムギは一向に動かない。何も喋らない。不思議に思う。

「どうかしたのか」気を利かせて、ムギに訊いてみた。

「あふっ」

 ムギは挙動不審になる。かと思えば、途端に静止する。おもむろに俺と目を合わせて、睨みを利かせる。威圧とか脅しとか、そういったものではない気がする。

「……違います」ムギが呟いた。

「違うって、何が違うんだよ」

「ぼんやりしていませんから」

 ああ、なるほど。ぼんやりしていたらしい。分かりやすい性格だと思う。俺が授業で居眠りしたときも、先生に同じ言い訳をしたものだ。

「案内いたします。段差に気を付けてください」

 そう言い終えた直後、ムギが段差につまづいた。間抜けな召使いだ。ムギが振り向いて、また睨んでくる。言い訳は通じないだろうに。

 それよりも、自分自身が不思議だった。ムギの失態を見ても、笑うに笑えなかったんだ。滑稽ではあった。いつもの俺なら、多分腹を抱えて笑っていた。そうに違いなかった。

 今の俺は、ムギがつまづいたことなんか、これっぽちも興味なかった。

 ルプスへの恐怖、そして逃亡。凛空を見捨てたこと。時間が経つにつれて、自分の未熟さが痛いほど分かってしまう。

 あのとき、俺の手に木刀があったなら。ルプスに歯向かえたなら。

 後悔だけが先走る。凛空なら大丈夫だろうという楽観視は、軽々しくするものじゃない。たとえ凛空と再会できたって、亀裂が生まれるに違いない。俺の後ろをつきまとうのは、腰を抜かして逃げ出したという事実だけなんだ。

「純太様、どうぞこちらへ」

 二度と逃げてやるもんか。悪意を顔の裏に隠しつつ、チロルの家へと足を踏み入れる。

「こちら、玄関となります」

「そうだな、うん。玄関だ」わざとらしく辺りを見渡した。廊下は、前と左右の三方向に続いている。

 ムギが左に歩き出すので、俺も後に続いた。ムギは背が低いようだ。俺は身長にコンプレックスを抱えているから、自分より小さな誰かがいると、なんとなく安心する。

「右側をご覧ください」ムギが促す。「右から順に、客室、客室、客室……」

「旅館みたいだな」修学旅行で泊まったら楽しそうだ。「俺の部屋は、まだ先なのか」

 ムギが振り返った。申し訳なさそうな表情だ。

「逆でした」

 これで召使いが務まるんだろうか。それとも、俺は知らず知らずのうちに翻弄されているんじゃないだろうか。心配が心配を助長する。

 ムギが急ぎ足で引き返す。後ろを歩くのも馬鹿らしくなったので、横に並んで歩くことにした。

 小走りしながら、俺は尋ねてみる。「ここに務めて何年になるんだ?」

「一歳の頃から働いているので、かれこれ十二年です」

 ベテランだ。それよりも、一歳の頃から働いていることが衝撃的だった。人間なら、まず考えられない。犬の子孫であるファミリアだからこそだろう。犬は一歳で大人になると言われているから。

 となると、ムギのことが、ますます不思議に思えてくる。十二年も務めている家の構造を間違えたりするんだろうか。おっちょこちょいの一言で解決するんだろうけど、今の俺は、どうにも納得できる回答を求めてしまうらしい。

 そこで、一つの仮説を立てた。白内障だ。

 犬は歳を重ねると目が悪くなる。犬とファミリアの寿命が似通ったものだとしたら、十三年も生きているムギは白内障である可能性が充分に考えられる。

 家の内装を見るふりをしながら、さりげなく、ムギの瞳を見る。

 瞳は、白い。

 仮説は正しかったようだ。玄関の段差につまづいたのも納得がいく。歩く方向を間違えたのも、きっと匂いで場所を判断していたからだろう。

「左側をご覧ください。左から順に、客室、客室、客室……」

 とはいえ、ムギがぼんやりしていたのは、白内障とは関係ない気がする。どこからどこまでを病気のせいにすればいいのか分からない。

 窓から光が差し込む場所で、ムギが足を止めた。「こちらの部屋です」

 一番奥の部屋だ。ムギが扉を開ける。獣のような匂いが鼻を撫でる。

 俺が通された部屋は、四畳くらいの大きさだった。木材のフローリングに、白色のシングルベッド。顔の大きさほどの小窓が一つあり、部屋の真ん中には一人用のテーブルが置いてある。

 館の外装と比べると、ずっと庶民的だ。親近感が湧いた。

「この部屋は、元々チロル様の部屋だったのですよ」ムギが言った。「内装も昔のままです。ご安心ください。掃除は欠かさずしております」

 驚くとともに、不自然に感じた。館の主であるチロルが、どうしてこうも質素な空間で暮らしていたんだろうか。他の客室と同じ場所に自分の部屋があるのは、謙虚といえばそれまでだけど、もっと特別な場所にしてもいいんじゃないだろうか。

 そこまで考えて、俺は気が付いた。「チロルの兄弟は何匹いるんだ?」

「あら」ムギは、呆気に取られたような顔をする。「ご兄弟がいると、よく分かりましたね」

「まあな」俺は頬を掻く。「勘だったけど」

 犬は、一度に何匹もの子供を産む。ファミリアに進化しても変わっていないんだとしたら、チロルにも兄弟がいるはずだ。そう考えた。

 だから、俺の「勘だった」という言葉は嘘になる。単なる照れ隠しだった。

「それで、何匹なんだろうか。兄弟は」

「八匹でした」ムギが目を伏せた。

「八匹だった、って」俺は、あえて無神経になる。「兄弟が減るなんてこと、あるのかよ」

 それ以上、ムギは喋っちゃくれなかった。なんらかの事情があったんだろう。そういえば、チロルのご両親の姿も見えない。豪邸に住まうなら、家族がいたっておかしくないと思うんだ。召使いがいるなら、なおさらそうだ。

「食事の用意ができましたら、お呼びしますので」ムギが扉を閉める。「ごゆっくり」

 部屋に一人取り残された。閉鎖的な空間。沈黙が不安を誘う。良からぬことを考えてしまう。

 チロルの兄弟は八匹だった。何匹かは問題じゃない。だった、という言い回しが気に食わなかったんだ。物騒な事件とか、突然の不幸とか、あるっちゃあるかもしれない。だけど、八匹の兄弟も母も父も家にいないだなんて、不思議でたまらない。

 凛空の件もそうだ。自警団にあれほど怒鳴りつけながら、いざルプスを前にすると、尻尾を巻いて逃げてしまった。逃げたのは俺も同じだから強く責められないけど、自分ができないことを誰かに押しつけるなんて、横暴でしかない。よほどの感情がないとできることじゃない。そのことがずっと引っかかっている。

 さっき聞いたムギの言葉が、壊れたレコードみたいに、繰り返し再生される。食事の用意ができましたら、お呼びしますので。

 チロルの言葉も、同時に思い返す。ぼくは、ちょっと、用事があるから。

 俺が真相に辿り着いたのは、丁度そのときだった。

 チロルは、ルプスの仲間で、人食いなんだ。

 まず、自警団を大声で批判することによって、アムネルの治安を悪くする。道行くファミリアにも、自警団の悪印象を植え付ける。これはルプスにとっての利益になるはずだ。

 生まれながらの犯罪者ルプスにとって、治安維持を掲げる自警団は、目の上のたんこぶだろう。だけど、ルプスが自警団を批判するのは、犯罪者が警察を批判するようなものだ。ただのファミリアのチロルが批判するから、批判に意味と価値が生まれるんだ。

 そう、自警団を批判することだけが重要だった。ルプスから尻尾を巻いて逃げたんじゃなくて、ただ単に俺を連れ出したかっただけなんだ。凛空のことなんか、もうどうでもよくなったのかもしれない。

 家族が一匹も家にいないのは、チロルが追い出してしまったからだろう。裕福な家に生まれた悪の種がチロルで、機会を窺って、ルプスと結託したんだ。たとえば、自警団の信頼を落としてやるから協力しろ、とか。

 その家族を追い出した理由は、都合の悪いことがあったからだろう。それこそが、サピエンス、つまり俺たちを食らうこと。ファミリアは、基本サピエンスを敬愛している。そんなサピエンスを食べるなんて許されない。でも衝動は抑えきれない。

 だからルプスを利用した。家族を追い出して、治安を悪くしてまで、チロルはサピエンスを食べようとしていたんだ。

 次の瞬間、俺は自己嫌悪に陥った。なんてことを考えてしまったんだ、と。

 チロルがそんなことをするはずがない。ムギだって、おっちょこちょいで目が悪いんだ。サピエンスを食べるなら、もっと落ち着いた召使いを雇うべきだろう。俺がチロルなら、ムギがどこで失敗するか怖くてたまったものじゃない。

 ただ、こうでも考えないと、チロルの不可解な行動を説明できなかった。凛空を置いていったという事実を、チロルの責任にしたかったのかもしれない。俺は最低だ、と思う。

 でも、仕方ないじゃないか。見捨てたチロルが悪いんだ。自警団に押しつけるチロルが悪いんだ。

 俺は決めた。もう逃げちゃいけない。チロルがルプスの仲間だって証拠を、必ず掴んでやる。俺が怯えたせいで、路地裏に一人きりにさせてしまった凛空のためにも。

 ようやく、あいつのために、何かできそうな気がする。

 部屋の扉を開けて、廊下の様子を窺う。チロルもムギもいない。足音も聞こえない。

 チャンスだ。廊下に出て、そっと扉を閉じる。俺がいたのは角部屋。隠密行動の始まりには、あまり向いていない。

 深く息を吸う。息を止める。玄関に向かって、一直線に走り出す。床がキシキシと軋んだ。足音がうるさいけど、ここは一気に駆け抜けた方がいい。ゆっくり歩いて見つかるより、よっぽどマシだ。

 玄関に辿り着く。まだ気付かれていないようだ。そっと胸をなでおろす。ここから逃げ出すこともできるけど、俺自身がそれを拒む。

 俺にできることが、ようやく見つかったというのに。

 玄関を背にして立つ。左、前、右に続く廊下。左右は客室だから、進むとしたら前だ。ただ、前にはチロルもムギもいるだろう。見つかったら、どんな目に遭うんだろうか。想像したくもない。震える足を動かして、ゆっくりと、一歩ずつ前に進む。

 全身を覆う恐怖に耐えながら、俺は、チロルの言った「用事」について考えていた。サピエンスを斬る包丁を選んでいるんだろうか。メインディッシュの前に、前菜を嗜んでいるんだろうか。それとも、他のサピエンスを調理しているんだろうか。

 どうしても悪い方にばかり考えてしまう。もっと前向きになろう。

 チロルには、普通に仕事があるのかもしれない。ムギが言った食事の用意を、家の主であるチロルが直々にしているのかもしれない。それなら人食いだなんて絶対にしない。ルプスの仲間なんかじゃない。

 俺が歩き回っているのも、そう、ただただ探検したくなっただけなんだ。

 どこかから物音がする。遠くから、ぎいと扉の開く音。俺は左右をしきりに見て、最も近くの扉を探す。

 左だ。左の扉だ。ドアノブには、青色の線が浮き出ている。気にしている余裕はない。俺はドアノブをひねり、扉を開けた。一畳ほどの空間。勢いよく飛び込んで、さっと扉を閉めた。

 息をひそめる。鍵を閉めたときに、鍵があることに驚いた。どうやらトイレのようだ。しかし便器は見当たらない。代わりに、お鍋のフタのようなものがある。取り外してみると、深い穴が姿を現した。鼻を摘まむ。この穴に用を足すんだろうか。こんな簡単な設計なら、自警団にもできると思ってしまう。

 やっぱり、チロルはルプスの仲間じゃない気がする。

 そのときだ。扉越しから、足音が響いた。次第に大きくなる。

 ふと、止んだ。

 沈黙が続く。幸い、鍵は閉めている。簡単には入ってこれない。

 待て、違う。逆だ。失敗した。鍵を閉めちゃいけなかったんだ。

 鍵を閉めているということは、トイレに誰かがいると教えているようなものだ。開いていると青色、閉まっていると赤色。外部から丸見えだ。今更鍵を開けたって無駄だろう。音が鳴ってしまうからだ。

 もう終わりだ。トイレに入ると、じゃない。ドアノブを見られた時点で。

 口を手で覆う。

 指の隙間から息を吸う。ゆっくりと吐く。

「あら」ムギの声だ。

 俺は目を見開く。口を覆っていたはずの手が、いつしか祈る手に変わる。今なら神様を信じたっていい。扉に額をつけながら、俯いて、ぎゅっと目を瞑っている。

「純太様、どうされたのですか」

 名前を呼ばれた。もう無理だ。隠し通すことはできない。

 降参の意思表示をするために、俺は鍵を開けようとする。

「違うよ、ぼくだ」

 すんでのところで手を止めた。

 そうだ、ムギは目が悪いんだ。俺とチロルを見間違えたに違いない。

「チロル様でしたか」ムギが話す。「申し訳ありません。やはり視力が落ちているようで」

「構わないよ。鼻が利くなら大丈夫だ」

 トイレに隠れたことを幸運に思った。ファミリアは、犬と同様に優れた嗅覚を持っているらしい。トイレから漂う排泄物の臭いがなければ、俺はとっくに気付かれていただろう。

「ところで、チロル様。その手に持っているものは?」

「ああ、これか」カン、という音が鳴る。「スパーダだよ」

 スパーダ。聞いたことがない。カンという音からして、棒のような何かだという推測はできる。でも、それだけだ。視界というのは、とても重要な情報源なのだ。

 やがて、足音が遠ざかっていく。もういないだろうか。でも不安だ。待ち伏せしている可能性がある。少し時間を置こう。

 廊下が静まり返ってから、体感時間で一分後。俺はトイレの鍵を開けた。恐る恐る扉を開けて、顔だけを覗かせる。二匹ともいない。

 トイレは共用スペースだから、籠っていても、いずれ見つかってしまう。俺は素早く廊下に出た。さっと扉を閉めて、また奥に進むことにした。

 歩きながら、スパーダという単語を復唱していた。スパーダ。スパーダ。調理器具だろうか。だとしたらムギが知っていてもおかしくない。つまり、スパーダは召使いのムギにとって馴染みのないものだ。しかも材質は不明。まさかと思うが、武器じゃないだろう。もしも武器だとしたら、俺の仮説が成立してしまう。となると、自分の命が危ない。

 振り返ると、遠くに玄関が見える。今なら引き返せるだろう。もう戻ってしまおうか。充分頑張っただろう、俺は。

 そうやって逃げていいのか。人食いの確実な証拠を掴んだわけじゃない。スパーダという単語で、良からぬものを連想しただけだ。まだ心の奥で怯えているんだ。

 大丈夫、俺はまだ進める。落ち着くために、深呼吸する。

「純太様あ」ムギの声だ。

 急に名前を呼ばれて、心臓が止まりそうになる。玄関の方からだ。退路を断たれたらしい。幸運なことに、ムギの姿は見えなかった。見えたとしても、ムギの視力を利用して、チロルのフリをすればいい。

 それに、奥に進めば大丈夫。

 とはいえ、またトイレに入るわけにはいかない。ムギは、今度こそ俺を探しているんだ。全ての部屋をくまなく探されるだろう。目が悪いとはいえ、鼻が利く。油断はできない。

 玄関を背にして、突き当たりまで走る。俺を待っていたのは、左と右の分かれ道だ。

 左は扉が一つで、右は二つ。

 考えるに、右二つの部屋は、それぞれチロルとムギの部屋だろう。となると、扉を開けた途端、チロルと鉢合わせる可能性がある。

 右側よりは危険性の低い左側に隠れるべきだ。

 まず、俺は右側に進んだ。でも隠れるわけじゃない。上着を脱いで、ゴシゴシと壁にこすりつけた。俺の匂いをつけるためだ。それで自分自身の匂いが消えることはないけど、多少のカモフラージュにはなるだろう。

 突き当たりまで戻り、今度は左側に進む。

「純太様あ」声が段々と近付いてくる。

 やれるだけのことはやった。あとは神に祈るだけ。

 満を持して、扉を開ける。

 暗くてよく見えない。扉を閉めたら、もう完全に真っ暗になる。

 壁に手を当てながら、照明を探す。入口付近にあったから、すぐに見つかった。隠れ場所を探すためには明かりが必要だ。俺はそっとスイッチを押す。途端に光が溢れて、目がくらんだ。

 腕で目を覆いながら、内装を確認する。床に散らばっているのは、剣、斧、槍、弓。

 目を疑う。腕を下ろして、本当に武器が落ちているんだと知る。部屋の隅には、所々赤色になった鎧が、大量に積み重なっていた。

 血だ。血がついている。

 よく見ると、散らばっている武器にも、赤色の汚れが付着している。目を見開く。手で口元を覆う。

 確かに人食いだって考えたのは俺だ。けれど、こんな言い逃れできない証拠があるなんて、思うはずないじゃないか。

 仮説が現実になってしまった。俺はひどく不愉快になった。信じたくなかった。スイッチを落として、もう一度暗闇に身を委ねた。何も見えないはずなのに、さっきの光景がフラッシュバックする。

「純太様、どこに行ってしまわれたのかしら」

 ムギの声が、すぐそばまで迫る。隠れないと。

 俺は、鎧が積み重なっていた場所を思い返す。あの山の中に埋もれれば、どうにか身を隠せるかもしれない。壁に手を当てて、ゆっくり、しかし確実に進む。

 コツン、と鎧が足に当たった。ここだ。

 俺は身をよじり、鎧と鎧の中に体をねじ込ませた。どうにか全身を隠せそうだ。部屋の隅を見つけて、そこに尻を置く。鎧が覆い被さってきて、どうにも窮屈だった。

 なんとなく凛空のことが気になった。あいつは大丈夫だろうか。危険な路地裏に入って、不安に苛まれていないだろうか。俺がそばにいるだけで、何かが変わったんじゃないだろうか。

 そこまで考えて、首を横に振った。路地裏に入った凛空は、むしろ俺より安全かもしれない。だって、路地裏が危険だなんて、チロルの意見でしかないんだから。居合わせたルプスだって、見た目が怖かっただけかもしれない。チロルに命じられた役者ということも考えられる。もっとも、本当に路地裏が危険だという可能性は否めないけど。

 どちらにせよ、凛空を一人ぼっちにさせたのは、俺の最大の失敗だ。今度は臆せずに立ち向かいたい。

 問題は、今度があるかは分からないこと。凛空にも。そして俺にも。

 コト、という音で、意識を現実に戻した。足音が近付いてくる。チロルか、あるいはムギか。俺は深く息を吸う。震えるな、大丈夫。ここなら絶対に見つからない。

 足音が止まる。ドアノブが回り、ギイと扉の開く音。わずかな光が差し込んだ。誰かが部屋に入ってきた。鎧の隙間から、それがチロルだと判明する。

 チロルの右手には、黒色の木刀。あれがスパーダだろうか。

 部屋の明かりが点く。扉が閉まり、密室になる。息を殺す。気配に勘付かれたら、抵抗はできない。俺にも武器があったら、と思ってしまう。

 チロルは、スパーダを両手で握る。おもむろに構える。心なしか、俺の方を向いているように見えてしまう。

 足音を立てながら、チロルは深く息を吸う。睨みを利かせる。

「逃げるなっ!」

 チロルが怒鳴った。声を震わせていた。

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