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〈純太〉第2話

 たとえば、幼馴染がいるとしよう。

 そいつは勉強も運動も人並み以上にできる。誰にも優しいけど、それ以上の関係にはならない。自分の価値観で行動するから、クラスを支配するピラミッドからも逃れることができる。そいつが羨ましかった。妬ましかった。

 俺は知っている。そいつは荒々しい口調で喋るし、小突いてくる。肩を組むことだってある。本当は普通の子供だってことを、俺だけが知っている。

 それが嬉しかった。誰よりも最初に出会ったということだけで、そいつは俺の隣にいてくれた。秘密を共有するということが、どんなものよりも心を満たしてくれた。

 俺は、全てにおいてそいつに劣っている。どうすれば、そいつの足を引っ張らずに済むんだろう。どうやって、そいつの力になればいいんだろう。

 きっとそれは、俺が子供だからだ。大人に言われたことができないからだ。勉強や運動さえできれば、俺は自慢の幼馴染になれる。そいつの力になれる。

 大人になりたかった。子供のままでいたくなかった。

 それなのに、大人になんかなりたくないと、口走ってしまった。


 前触れもなく「あれっ」と呟いて、近くの適当な建物を指さした。トイレに向かった凛空の時間を稼ぐためだ。あいつのことだから、チロルに知られたら嫌われるとでも考えているんだろう。

「あの建物は、なんだろう」問題は、その後の段取りを組んでいなかったことだ。「とても良いね、うん。めっちゃいい」

 俺には考えるよりも先に行動してしまう癖がある。実際、それでクラスの空気を凍らせたこともあった。直したいものだけど、どうにも上手くいかない。

「あれは自警団の駐屯地です」チロルが言った。「確かに、外装はこだわっているようですからね。その実態はともかく」

 ただ、今回の場合は助かったようだ。その駐屯地は小学校のような見た目で、車が通れそうな門まである。門の前では、緑色のローブを着たファミリアが、退屈だといった様子であくびをしていた。上半身も大きく揺れている。自警団の団員だろうか。

「自警団のファミリアと話してみたい」時間稼ぎのために、そう提案してみた。「アムネルのこととか、知りたいしさ」

「構いませんよ。ぼくは話したくないのですけどね。あれ、そういえば……」

 話題を振られる前に、俺は駐屯地へ急ぎ足で向かった。ちらと団員と目を合わせると、その途端、団員は上半身をピンと伸ばした。

「これはこれは、サピエンスのお方ではございませんか」

「今更姿勢正さなくてもいいよ」言ってから後悔する。俺は、思ったことをすぐ口に出してしまうんだ。

 だけど、団員は「いえいえ、気の乱れです」と譲らない。とっくにボロが出ているのに、何を気取っているんだろうか。

「普段は、もっとシャキッとしています。しかしねえ、あまりに平和なもので、つい気が乱れてしまいました」

 彼が愛想笑いを浮かべる。言葉をどう返せばいいか迷う。とりあえず場を取り繕おうと、俺も口角を上げたとき、「ふざけるな」という怒号が飛んできた。

「気の乱れだと。この大嘘つきめがっ」

 チロルだ。足音を鳴らし、大股でずかずかと歩み寄ってくる。

「闘技場の建設を止められず、トイレの設置もろくに進んでいない。それも気の乱れで誤魔化すつもりか」

 鋭い声で一喝するチロル。視線が集まるのを感じる。それでもチロルは怯まず、悠然とした態度で睨み続けていた。全体的に黒い彼のことだから、結構威圧感がある。

「しっ、しっ……」

 団員が肩で息をする。歯から息が漏れ出る。

「仕方ないじゃないですかあっ。自警団の我々にできることなんか、なあんにもありゃしませんよお!」

「そうやって逃げるのか」

「逃げてなんかいませんっ。やろうと思ったときに、どれもこれも、魔導士様が解決したあとなのです」

「言い訳になっていない!」チロルが怒鳴る。「魔導士様の手が回らなかった、闘技場とトイレ。これはどう説明するんだ」

「魔導士様にできないことが、自警団にできるはずないでしょう」

 チロルは、落胆したように肩を落とす。それから俺に「行きましょう」と声をかけて、踵を返した。

 当の俺はというと、呆然のあまり立ち尽くしてしまった。予想外だったんだ。チロルが大声を出すなんて。紳士的なイメージだったから、ちょっとだけショックを受ける。

「そんな怒鳴らなくてもいいのにねえ」

 当の団員は、黒い鼻を掻いて、わざとらしくため息をついた。「どうせ、自警団は誰にも期待されていないんだから」

 居た堪れなくなって、その場を離れた。凛空の時間を稼ぐとはいえ、安易に話しかけなかった方がよかった気がする。反省しよう。次はもっと上手く立ち回ろう。

 駐屯地を離れたところで、チロルに「見苦しいところをお見せしました」と頭を下げられた。俺は作り笑いをしながら、そろそろ凛空が帰ってくる頃合いだろうと思った。駐屯地にいたのは数分程度だけど、用を足すだけの時間は稼げたはずだ。

 それなのに、まだ凛空は帰ってこない。何度も周囲を確認する。結果は同じだ。

「純太さん、純太さん」チロルが怪訝そうな顔を浮かべる。「凛空さんの姿が見えないのですが、何かあったのでしょうかね」

「いや、ええと、すぐに帰ってくると思う」

 チロルの様子からして、もう時間は稼げない。早く戻ってきてほしい。でも、凛空の姿は一向に見えない。小便だったはずだ。あいつは小便に数分以上かけるようなやつじゃない。何度も連れションしている俺が言うんだから、間違いない。

 途端に不安に駆られる。何かあったのかもしれない。

 俺は「ちょっと探してくる」と伝えて、凛空が入った路地裏に足を踏み入れようとした。

「どこを探すのですか」

「路地裏。あいつ、路地裏に行ったんだ」俺はぶっきらぼうに言った。

 その瞬間、チロルの顔色が青白くなる。目を皿のようにする。口を開けて、ぽかんとしている。ただならぬ雰囲気を感じた。俺まで胸騒ぎがした。

「路地裏って、本当ですか」

 絞り出すような声だった。あまりの衝撃に、放心しているようにも見えた。

 俺が一度頷くと、チロルは手で顔を覆った。指と指の隙間から、落胆と悲哀の入り混じったようなため息を出した。

「なんということだ」

 顔を覆ったまま、チロルは項垂れた。

「路地裏は、ルプスの巣窟なのです」

「ルプス」俺が復唱する。

「そうです。近年では、ルプスの増加がアムネルの社会問題となっています」

「そのルプスがどうしたんだよ」項垂れるチロルの背中を撫でる。

「ルプスは、灰色のローブを着たファミリアの蔑称です。強盗や殺しもいとわず、それどころか、サピエンスに恨みを募らせている者もいるのです」

 思わず声が出た。チロルの背中を撫でていた手を、ゆっくりと下ろした。

 凛空は路地裏に向かった。俺の助言を受けてだ。

 俺は、犯罪者がはびこる路地裏に、幼馴染を誘導した愚か者だったんだ。後悔がしみじみと湧き出てくる。もう遅いと分かっているのに。

「自警団が、いや、ぼくが目を離さなければ……。申し訳ございません」

 謝られる筋合いはない。悪いのは俺なんだ。能力がないのに、チロルに相談せずに、自分一人で考えてしまった。路地裏の存在を教えてしまった。

 だって嬉しかったんだ。凛空に頼られることなんか、数えるほどしかなかったんだから。トイレのことは、言うなれば、俺と凛空だけの秘密だったんだから。

「違う、俺が全部悪いんだよ」

 もう秘密にしちゃいけない。チロルに、凛空が路地裏に行った理由を包み隠さず話した。

「トイレですか。やはり自警団が、いえ、なんでもありません」

 俺は、凛空の身を案ずると同時に、チロルがこうも自警団を嫌うことを不思議に想っていた。

 なにかと理由をつけて自警団を批判するけど、なんだか常軌を逸しているようにも思えるんだ。だって、強い感情がなければ、駐屯地で自警団を怒鳴りつけることなんかしないはずだ。

 たとえば、過剰なまでの正義感とか。もしくは、もっとドス黒い感情。

「助けに行こう」

 返答を待たず、俺は路地裏に向かう。石畳を踏み鳴らし、救出への決意を固める。ルプスがなんだ。犯罪者がなんだ。俺は凛空を一人にはできない。奮い立つ。足を踏み出す。

 踏み出した足が、一向に前へと進まない。

「行ってはなりません」

 耳を疑う。振り返る。チロルが、俺の手首を握っていた。

 あれほど自警団を罵ったチロルが、路地裏へ行くことを止めたんだ。

「死にたいのですか、あなたは」

「死にたかねえって」声を荒げる。「凛空が危ないんだろ。教えてくれたのはチロルだぞ」

「でも、ルプスがはびこっているのですよ」

 俺を止めるチロルの手が、心なしか、小刻みに震えている。とんだ臆病者だ。自警団には正義と秩序を強制するのに、いざ自分の番になったら、途端に腰抜けになる。大口を叩くなら、せめて行動してからだろう。

「俺一人でも行く」

「なりませんっ」チロルが怒鳴った。より強い力で手首を握られる。「なりませんっ、絶対になりませんっ!」

 チロルの手を振り払おうと躍起になる。しかし予想以上に力が強い。「離せよ」と怒鳴っても、「なりません」の一点張り。力が弱まったと思ったら、両手で握り始めた。爪が食い込んで痛い。それでも振り切ろうと腕を振り回す。

 すると、路地裏からファミリアが現れた。灰色のローブ、土っぽい濃褐色の肌。今まで会ったファミリアとは違う、氷のように冷めた目つき。

 すぐに悟った。こいつがルプスなんだと。

 ルプスは、俺とチロルを交互に睥睨する。俺は、振り回していた腕を、自然に下ろしていた。先生に怒鳴られたときみたいな、真面目にならなきゃという空気だった。

 そのルプスは、わざとらしく舌打ちした。

「なんだよ」

 その一言で、俺はすっかり戦う気力をなくしてしまったんだ。

 怖かった。鳥肌が立った。本能的に逃げたいと思ったのは、そのときが初めてだった。

 だから、チロルが俺の手を引いて走り出したとき、抵抗できなかった。このまま逃げようとすら考えていた。路地裏に入るべきじゃない。ルプスがあんな冷たい視線を向けると分かっていたら、最初から、丸腰で助けに行こうとしなかった。

 チロルと一緒にいても、俺は怖気づいてしまった。一人で路地裏に向かった凛空のことを考えると、恐ろしくてたまらなかった。謝ったって許されないだろう。それでも「ごめん」と何度も呟いた。胸が苦しかった。心臓が窮屈な思いをしていた。

 その一方で、チロルのことが怪しく思えてきた。ルプスの危険を知っていた上で、自警団を怒鳴った。他人行儀といえばそれまでだけど、どうにも違う理由があるような気もする。その理由を話さないということは、俺にとって都合の悪い理由だということ。

 何を信じていいのか分からない。唯一信頼できる幼馴染には、俺が路地裏へと誘導してしまった。当の俺は、路地裏から逃げてしまった。

 全部が全部、自分で蒔いた種だった。やっぱり、俺は何もできやしなかった。

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