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黄昏時に

 ほどなくして、山小屋と塔は解体されると通知された。


 切符はないのだから、建物を元の時代に持ち帰ることはできない。令和の人々に後処理を任せることになってしまったから、私にも申し訳なさがある。


 山小屋はともかく、大量の雷をまとった塔の解体には、大変手間取ったらしい。文系の私には分からない技術を駆使して、どうにか放電に成功したとか。ただ、京都タワーが受け止めていたら間違いなく倒壊していた威力だったらしく、ミツルが塔を持ってきた意味はあったようだ。しかし、ミツルの塔がいくら帯電に特化していたとはいえ、令和が平安に負けては面目丸つぶれである。


 慶鈴に飛んだ古典塾の教室に関しては、市役所職員、特に松平さんの厚意によって、市役所の一室を使わせてもらった。


 私と森本先生が時間旅行者であることは、松平さんとの秘密である。もしそれが知れたら、まず騒ぎになってしまうだろう。せっかくミツルが穏便に解決してくれたのだから、私もそれに甘えておきたい。


 私の住む洋室は、また孤独になった。いや、ふわふわと空に浮かんでいた気持ちが、また地上に戻っただけだ。変わったことなどない。そう考えていても、キッチンに二人分の食器が並んでいるのを見ると、途端に憂鬱が襲いかかってきて、思わず泣き崩れてしまった。まだ慣れそうにない。


 一人で涙を流す夜が続いて、目が腫れてしまったものだから、生徒から寝不足を心配されるようになった。寝不足が原因の金縛りに苦しめられた生徒の意見だ。反論することはできない。


 ふと、生徒に心配される講師は不甲斐ないと感じた。それから、前よりも目の状態が良くなってきた。鏡越しで見た私も、健康そのものを表している。


 半年が経った。時間はあっという間に過ぎた。ミツルとの日々よりも、圧倒的に早く。


 古典塾は半年の授業を終えて、それ以降生徒を募集していないのだから、私が市役所に寄る必要もなくなった。とはいえ、松平さんは近所に住んでいるから、たまにすれ違って挨拶している。ただ、ミツルの話題を出すことはない。


 平安旅館には一度だけ訪れたものの、テレビの取材があったようで中には入れなかった。五十嵐さんと山岸さんにも会えていない。ただ、旅館が繁盛しているならば、それだけで嬉しいものだ。


 吾妻くんは、今も人力車の仕事を頑張っているらしい。そのような手紙が来て、もう半年も人力車に乗っていないことを思い出した。体を壊さないように、と返事を書いて、それっきりである。


 私と京都を繋げていたのは、ミツルだったのだと、今更ながらに思う。




 よく晴れて、夏も終わる頃だった。私は古典塾の跡地に訪れた。古典塾は、いつの間にか消えた建物だとして、近所ではよく騒がれていたものの、噂話は消耗品である。すぐに噂は消えて、誰も古典塾の話をしなくなった。


 半年経って、やっと正常な孤独に慣れてきた。元に戻ったのだ。変わったことは、夜が怖くなくなったことと、古典塾を辞めたこと。それ以外の私は、京都の歴史の一部。


 藤原から託された手紙には、源氏物語の雲隠の巻が書いていると思っていた。実際、彼は私の問いに頷いた。だが、手紙に書かれていたのは、物語を絶やしてはならない、という言葉だけだった。


 思うに、紫式部は、自分が亡くなった後の藤原の生涯こそ、雲隠の巻であり、同時に物語であると主張したいのだろう。自分を投影した紫の上と、藤原を投影した光源氏の物語だったのだろう。私は当事者ではないから、彼らの関係は判然としない。


 ただ、藤原と光源氏が同一人物であるかは疑わしい。なぜなら、藤原は手紙を全て燃やさずに、紫式部の存在を後世まで語り継ごうとしたから。物語を絶やしてはならない、という一見不可思議な手紙を残したのも、藤原という彼女の想い人が存在すること自体、源氏物語が完成されるための必要条件だったからかもしれない。


 ただ、誰との繋がりも途切れかけてきた今、全てが空想だったのではないかと思うことすらある。今でも夢に見る出来事だが、夢に出てくると現実との境界線が分からなくなるのだ。


 それを現実だと証明させるのは、チラシの裏の平等院や、期限切れの二日乗車券。そういった些細なものが、友人を失った今、牙を向いてくるのだ。


 私は一度、目を瞑る。たとえば、目を開けたらミツルが現れて、今日は海へ行こうとか、目的地まで走ろうとか、そういった幻想が巻き起こるのを期待していたのかもしれない。非日常に慣れてしまったが故の、消失。空虚感。


 もう、何も起こらないだろう。目を開いて、今日は早めに帰ろうと思った時だった。




 目の前に、古典塾が現れた。


 理解できない。もう一度瞬きするものの、古典塾は消えてくれない。戸惑いを隠せずにいると、玄関から、懐かしき友人が現れた。


「やあやあ。君のいない研究の日々は、随分と退屈したね」


 友人の菅原だった。三〇二三年の慶鈴から、はるばるやってきたというのか。動揺のあまり、狼狽を隠せずにいる。


「どうして狼狽えるのだ。君も見ただろう。かの菅原道真公からの『予言書』さ」


「『予言書』だって」


 ミツルが書いた予言書は、藤原道長を平安に送り返すことだけ記していたはずだ。他には、三〇二〇年から飛んではならないとか、それくらいである。


 いや、待て。私は予言書を見てはいない。ミツルが喋った内容を聞いただけだ。


「こう書いてあったよ。塾を閉じて、一つも未練を残していない君を迎えに行くこと。へえ、学問の神様と友人だったのか、君は」


 彼が予言書を書いたのは、私たちが古典塾に向かう前である。つまり、私の人生観は、全て見透かされていたということになる。未練なく元の時代に帰れるというのも加わって、つくづく、ミツルには頭が上がらないと感じた。


 あなたが怪異を止めたら、ある人に会いたい。平安旅館の温泉で誓った、ミツルとの約束。私は、友人に会えた。彼は願いを叶えてくれたのだ。


「ところで、時間旅行切符、買うのには苦労したよ。店でありったけの米を購入したら、店員から変な目で見られた。できれば予言書と一緒に切符を入れてほしかったものだ」


 彼は学者であるから、財政面で苦労はしないだろうと見越したのだろうか。いや、ミツルもそこまで考えてはいないだろう。そもそも、ミツルが自分で切符を買えるほど裕福なら、怪異を止めるのにここまで苦労しなかったに違いない。


 友人が、空を見上げる。私も同様にした。久々に再会したのもあって、すぐに言葉が出ないのだから、仕草を真似るしかない。これだから私は、人との繋がりが少ないのだ。


「いつの時代でも、変わらないものだなあ。晴れ空は平等に綺麗だ」


 にっ、と笑いながら、友人は私の方を向いた。


「成田。令和の国文学は面白かったか」


「まずまずかな。最近のマイブームは源氏物語」


「君らしいな。そういうの、嫌いじゃないよ」


 私の胸を、人差し指で、つんと突く友人。指は、令和の文字を指している。


「文字入りTシャツじゃないか。君って、そういう服を着るタイプだったかな」


「衣を替えたくなった」


 衣かあ、そうかそうか、と友人が大きく頷く。私が頓珍漢なことを喋っても、大体軽く流してくれるから、彼と過ごしていると安心する。


「じゃあ、今日は天ぷらを食べに行こう。君も好きだろう」


「ああ。でも、醤油はかけないでくれ」


 なんだか味のない天ぷらが食べたくなって、また素っ頓狂なことを話してしまった。ただ、久々に友人と会えたのだから、これくらい突き抜けた方がいいだろう。


「では早速、楽しい話を聞かせてくれたまえ」


 どうしようかな、と焦らしながらも、彼と共有したいことは沢山溢れていた。


 最後にとっておきの仰天話を用意すると決めて、私は、もはや学び場ではない古典塾へと足を踏み入れた。

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