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柳生オブザデッド
西紀貫之
歴史・時代日本歴史
2024年09月01日
公開日
7,452文字
完結
島原の乱よりひと月。
屍山血河と化した城下にひと柱の神が舞い降りる。
そこで宮本武蔵は見た。何かを。

死の国へと変貌した島原へ向かうは、公儀隠密、柳生十兵衛。

というのをたぶん書きたかったんだろう、8年前の僕は。

柳生オブザデッド

柳生オブザデッド




プロローグ



 ***



 島原の乱が終結してひと月が経とうとしていた。


「ひどい臭いだ」


 一揆の残党狩りも落ち着いた時分、名もなき足軽の男は腐った沼のように泥濘んだ平野を前に、顔をしかめる。

 かつては人間だったものが、もはや腐汁をまとった白骨となり、とりわけ水気の多い赤黒いものが踏み固められた窪地に溜まっている。


「腐り、土に還ることも叶わぬほどの死体の山、か」

「武蔵どの」


 脚絆で足下を固めた初老の男が、足軽の後ろから姿を現す。


「武蔵どの、足はもう大丈夫なのですか」

「大事ない」


 男、宮本武蔵は頷いた。

 一月前の戦いで痛めた右足は、もう完治している。武蔵は頷く。


「獣が喰うでもなく、蛆がわくでもなく。腐敗し肉汁が溜まるだけ。自然とは言えぬ」


 武蔵の黄白色に濁った野性的な眼差しは、多くが農民であったはずの逆徒たちの、かつて死体であったものを眺めている。

 やせこけた、死体である。

 腐るものすら貧弱な肉体である。


「餓えか」


 武蔵は口を真一文字に、目を伏せる。


「武蔵どの、日が暮れまする」

「もはや野犬すら近付かぬ。――ん?」


 形骸化した巡回を切り上げたそうに足軽は声を掛けるが、頷きかけた武蔵はふと足を止める。

 沈みかけた陽が西の海辺で最期の煌めきを放ったそのとき、居るはずのない死の荒野に佇む、人影を見た。

 足軽と、武蔵は、湧いて出たかのようなその人影。

 顔の判別ができぬほどの距離。


「誰じゃ」


 足軽の呟きに、武蔵は目を細める。よく見るためだ。

 腐汁にまみれた、おそらく、人。

 頭に、両手両足。

 鍛えあげられた剣士の目は、それがモゾモゾと蠢いているのを観た。体の表面という表面を覆う腐った肉が、骨が、汁が、そして――障気が。

 肌が粟立った。

 危険な存在であると剣士の本能が告げていた。


「生き残りか」


 その気配も察せずに、腰の後ろに携えていた中太刀を引き抜きながら、足軽の男が近付いていく。


「待て」


 武蔵の制止の声も聞かず、男はまるで引き寄せられるようにその人影に。もはや術中にあると看破した武蔵は、臍下三寸に気を集中しながら半身に構えた。

 残党を一人狩るごとに出る報奨金に心を奪われた足軽だが、欲に駆られたその足取りが、徐々に、のろのろとしたものへと変わっていく。


 腐肉と腐汁の人間が、そのときゆっくりと振り向いた。

 背は、高い。

 日本に於いて巨漢とされる武蔵に匹敵する。

 腐泥の人物は、その胸の膨らみを揺らす。

 女であった。


 魔性の者であることは明白であった。

 足軽がその魔性に抱かれた瞬間、白骨と化した。

 命を吸われたのだ。

 腐泥の体に、柔らかさが漲った。吸った命で、この世に受肉したのだ。腐った肉体を、吸った命で塗り固めた悪魔がそこに立っていた。


「知性のカケラも無い者であったが、こちらの言葉は、やや覚えたぞ」


 魔神が、悪魔が、口を開いた。

 そのような呟きが聞こえる間合いではない。武蔵はしかし聞いた。その声を。


「良い。この地は死に満ちている。神の信徒とやらが敗れ、無念の雄叫びが満ちている」


 笑った。

 暗灰色の長髪を揺らし、黄金色の瞳を光らせる、異人。いや、魔神である。骨を象ったであろう胸甲と緋色の腰巻き。そして巨大な剣を持っていた。手甲脚絆こそ身に付けているものの、肌が露出した部分はあまりにも多い。


「戦う者の姿ではない」


 武蔵は遠く視線を鋭く交わしながら、その女魔神を見据え、そう断じた。

 しかし、底が見えぬ。

 武蔵は重心をやや落とし、ゆっくりと息を吐く。


「肝が据わっている。――ほう?」


 女魔神は、吸った命の記憶――その些末な残滓からその男のことを知った。


「宮本武蔵。なるほど、その剛胆さ、敬意を払うに値する男よ」

「…………」

「名乗ろう。我が名はタロゥマティ。死の女神ドゥルージに仕えし者」

「……死の女神」


 タロゥマティは頷く。


「これだけの命が燃え尽きた極東の地はめずらしい。信念も無念も、愛も憎悪も、腐泥に潰えた地。気づいているか剣士よ」

 構えを解き、武蔵は頷く。


「いま、この地には死があふれておる」


 死と生は隣り合わせ。

 死んだものは他の生きるものの糧となる。

 腐肉は土に還る。獣に喰われる。虫に食われる。

 腐敗そのものは死を匂わせるが、土に還るための生命活動に他ならないのだ。

 しかし、いま、この地には、その『生』がない。

 中途半端に留まった腐敗。

 獣にも喰われず、土にも還らず、死が死として留まっている。


「心せよ、剣士。今からこの地は地獄――いや、魔界と化す。日の本に生きる者共を、徐々に殺し征き、下僕と為す」

「貴様、この地に来たのは偶然ではないな」


 魔神は口元を歪めた。笑ったのだ。


「……薩摩か」


 薩摩は関ヶ原以降、幕府に恨みを抱く筆頭外様である。南端、南洋に面したこの藩は、海外との密貿易の疑いも深い。


「南蛮の妖怪か」


 今ここで討つか。

 武蔵は半歩踏み込む。

 遠間に過ぎる間合いだが、そこがかの魔神の間合い、ぎりぎりであると看破している。

 その踏み込みに、魔神タロゥマティはむず痒さを覚えた。「もう少し踏み込んでいれば、斬り捨てるところであったのに」と、思わず斬りかかる気配を見せたまま身悶える。


 勘の良い剣士だと、苦笑する。


「まあ、良い」


 タロゥマティは油断なく構えたまま、「死の国よ在れ」と、その鍵となる言葉を紡いだ。


 その瞬間、世界は固まった。

 死の臭いが、島原を包み込む。

 武蔵は悟った。島原は閉じた――死の国となったことを。


「魔の種よ、在れ」


 薄闇の空から、濃褐色の光が降り注ぐ。

 島原の焼け落ちた城を中心に、魔の種が降り注ぐ。幾十幾百、幾千、そして幾万。


「喜べ、剣士。お前が望む屍山血河の世が来るぞ」


 タロゥマティは、今度こそ笑いなく見据えてきた。

 武蔵はじっと受け止める。

 そして、魔神はその翼を――漆黒の翼を広げ、浮き上がる。羽ばたきはしない、静かな浮遊である。


「さらばだ。生き残るようであれば、いずれまみえよう」

「どこへ往く」


 魔神は空を観る。


「城へ。――剣士よ、仲間の元に戻るが良い」

「――」

「ふふ、どちらにしろ同じこと、か。全ての者は死に絶える。そして死に続けるのだ。永久にな」


 そして最後に一言言い残すと、魔神は飛び立つ。北の城に。

 島原城に。


『苗床となれ』


 彼女に言い残された言葉を胸に、武蔵は「ふむ」とあごを撫でる。


「未だ、世は乱れるか」


 武蔵は、やや溜息混じりに首を振る。

 もはや暮れもせず、明けぬであろう紫の空を見上げる。


「妖怪変化を斬るのは初めてだな」


 さてどう斬るか。


「あの者を斬らねば、こちらが死ぬ。それだけの話であろうか。果たして――」


 武蔵は思案しながら踵を返し腐泥の地を引き返す。

 人間の常識がこうも覆った世界に於いて、武蔵の思考は尚不動である。理性的に、この状況を飲み込む。

 魔神対、人間。

 極東の島国の南で、その恐ろしい戦いの火蓋は、静かに斬って落とされたのであった。



 ***



 島原藩の諸々の処分に追われる幕府内において不穏な情報が流れ始めたのは、かの地で武蔵がタロゥマティと邂逅した翌月のことであった。


「死人が蘇るだと?」

「は」


 三代将軍徳川家光の前に座し報告をする柳生但馬守の表情は、常日頃の生真面目さをかけらも失わぬ凛々としたものであった。


「馬鹿なことを申すなと言いたいところだが、但馬」


 家光は脇息の先をトンとひとつ叩く。『近くに来い』という合図である。

 但馬は膝を進めると、息もかかる距離まで身を寄せる。


「上様。これは配下の者の言でありますが――」


 但馬の言う配下の者とは、伊賀忍軍の首領である服部半蔵のことである。半蔵が各地に放っている忍者からの情報をまとめ上げ、定期的に但馬に報告を上げているのである。


「島原藩の混乱に乗じ、不穏な動きをする者多数。薩摩か、はたして。動きを追う中、身辺怪しき浪人風の者多数、島原入りしたとのこと。何かが島原にあり、何かを島原に求め、隠密が入り込んでいるは明白にござる」

「その何かが、『蘇る死人』なるものか」

「如何様」


 深く頷く但馬の顔に浮かぶのは、やや深く刻んだ眉間のしわである。


「重ねて、島原入りした手の者が、誰一人として帰っては来られませなんだ」


 それを黙って聞き、家光は「何故だ」とは問わない。誰も帰ってこないのだから、理由は不明なのだ。


「死人が蘇るという眉唾物の話、どうとる」

「あくまでも、口を割った隠密の言。……眉唾と申せば、さらに『不老不死』という世迷言まであり申す」

「神仏を省みぬ妄言と切り捨てるには、やや『過ぎる』な」


 懐に差し込んだ扇子をピシリと叩きながら、家光は頷く。


「但馬、裏を動かせ」

「は。――それでひとつ、申し上げたい義が」

「申せ」

「此度の一件、他家の隠密がどれほど入り込んでいるのか想像もできませぬ故、裏柳生の者のうち、最も確かな者を送り込みとう存じます」

「……となれば」

「は。倅の十兵衛に任せまする」


 但馬の眉間のしわが、やや深まる。

 家光の深い頷きに呼応するかのように刻みを増すそれは、何を表すか。


「十兵衛か」


 しかし、そう呟き、果たして家光は了承した。


「委細任す。事をあからさまにし、平らかにせよ」

「御意」






 徳川幕府には、政治的な仕組みを守るための裏の組織が存在する。

 諜報組織である、伊賀忍者の軍団。各地に根付き情報を探る、通称、『草』。

 武闘組織である、柳生一族の手の者。もともと大名である柳生家の裏の顔として、こちらは『裏柳生』と言われている。


 部門の頭領、徳川家のみならず、他藩の他家も同じような組織を持つことは公然の秘密である。表に隠れ、密かに行動するものとして、『隠密』と呼ばれる者たち。彼ら隠密が暗躍する、江戸期最大の内乱の地である島原。幕府がその生き馬の目を抜く未曾有の地に派遣する者として白羽の矢を立てたのは、裏柳生の頭領である柳生十兵衛三厳その人である。


 彼は今、江戸を離れ、柳生本家、大和国柳生の里にいた。


「鬱だ」


 縁側に面した私室の畳に、うつ伏せで一畳ピッタリに収まるように気を付けの姿勢でぼそりと呟いている。


「鬱だ」


 昼下がりの暖かい日差しが背中をほんのりとさせている感触が、少しでも自分を溶かして柔らかくしてくれると信じて、彼は日が昇っている間はこうやってじっとしていることが多くなっていた。


「鬱だ」


 二呼吸に一回はそう呟き、十兵衛は固く気をつけの姿勢を崩さぬまま、うつ伏せを保ち続けている。

 畳の縁から出ないように、ピシリと整った姿勢のまま、「鬱だ」とまた呟く。


「十兵衛さま、また日向ぼっこですか」


 一声掛けて縁側を歩いてくるのは、還暦も過ぎた老人である。

 大坂の陣で死んだとされる、二代目服部半蔵――正就である。伊賀忍者の頭目として生きるために、表向きは部下の信頼を失い失脚、その後、偽装死を経て裏に生きる。生粋の忍者である。


「何の用だ。俺はもう人を斬らぬぞ。斬りたくない。なんなんだ、お前が来るたびに俺は人を斬らねばならん。この疫病神」

「十兵衛さま、大義のためでござる」


 大義と言われ、気を付け不動のまま「けっ」と毒づく。十兵衛はそのまま背を逸らせるように首をもたげ、ゆらゆらと船のように体を揺らしながら半蔵を睨む。


 十兵衛の右目は潰れているので、左目だけでギロリと睨め付けるかたちになるが、その澱んだ瞳にはまったく力がない。


「どうせ島原の残党狩りとか、そんなとこだろう。これ以上誰かを斬ってどうするってんだまったく。くだらぬ」

「残党狩りではござらぬ」


 再び気を付けでうつぶせになる十兵衛のそばにあぐらをかき、半蔵は頭をかく。


「島原は島原でございますが――」


 そこで半蔵は、十兵衛の父である但馬が将軍家光に語ったことを、同じように十兵衛に語った。


「鬱だ」


 しかし十兵衛は動かない。

 半蔵が『部下の信頼を失い、失意から大坂の陣で逃亡の後死亡』という表向きの理由で影の仕事に就いたように、十兵衛もまた『将軍家光に楯突いたことにより疎まれ、職を追われた』という表向きの理由で、二十歳の頃より裏柳生として働いていた。


 お互い、古くから汚れ仕事を請け負ってきた。

 とにかくべらぼうに強い――剣をとっては江戸で並ぶ者なしと謂われた十兵衛は、柳生新陰流の配下を使い、各地に潜む幕府転覆を企む者たちを影で斬ってきた。影に徹してきた半蔵、伊賀忍軍は並み居る権力者たちを失脚させてきた。


 権力者は半蔵が。

 その護衛は十兵衛が。


 伊賀忍軍と裏柳生は共に汚れ仕事をこなしてきたのだ。

 でも、元来、剣に一筋と生きてきた十兵衛にしてみたら、不本意この上ない。おかげで鬱病になった。但馬守――父宗矩の権力が盤石となって以降、ひどくなった。武士であるが、これと決めていた剣の道すら嫌になった。何をするのも嫌になった。


 それでも、そんな自分をいけないと思い、最後に数人斬った。

 斬ったときは気分が平坦になったのだが、そのあとがひどく落ち込んだ。自分の形をした穴から地の底に心が沈み込む、どこまでもどこまでも落ちていく感じに苛まれた。


 いちばん自分が落ちないようにするには、畳一畳に気を込めて、大海原に漂う船に見立ててうつぶせになり身動きを取らないことだ。


 現に今、十兵衛はそうしているし、そうしていた。


「死人が生き返る? 知らん知らん」


 そう言って無視を決め込んだが、続く半蔵の言葉に思わず身を乗り出した。


「ですが十兵衛さま。島原には宮本武蔵がおります」

「なに?」


 島原の乱に客将として参戦していた武蔵の話は聞いている。乱終結からすぐに小倉へと戻ったと思っていたが、そうではなかったのか。


「宮本武蔵が島原に残る理由、か」


 十兵衛はあぐらをかきながら首筋をさすった。


「よもや甦る屍人に興味が出た、というわけではなかろうが」


 自分以上に剣に生きてきたあの宮本武蔵が島原に居続ける理由。それを考えるだに、十兵衛のはらの底に明るいものが生まれてきた。


「なんだろう、強い奴がいるのか」


 違うだろうなと、十兵衛は首を振る。

 どう考えてもあの宮本武蔵という男は剣鬼だ。枯れた剣鬼だ。誰かを討って名を上げるのに疲れ果てた剣鬼だ。宮本流たる二天一流を立ち上げたのち、軍鬼としての出世を夢見て、最後の内乱である島原に臨んだ剣鬼だ。


 今さら、個人の剣に拘泥する男ではないはずだ。


「武蔵どのが、島原に」


 十兵衛の目に生気が宿る。

 白く濁った右目がきらりと澄んでくる。


「もしかしたら、島原に集結している各隠密と戦ってるやもしれません」

「隠密か」

「忍者、剣達者、さまざまかと」

「忍者か」


 十兵衛の住まう大和柳生の里は、伊賀と甲賀の狭間に位置する。古来から両方の里の忍者と交流があり、忍びの術と剣術を併せた新しい剣術を確立させている。いまさら忍者であることは彼ら柳生へのアドバンテージにはなり得ない。

 もちろん、途方もない剣鬼である宮本武蔵然りだ。


「謎だな」


 十兵衛は立ち上がる。


「ははは、謎だ」


 呵々と笑う。


「それを調べに行かねばなりません」


 床の間の刀、大小を渡しながら半蔵も頷く。


「ん~、謎だな」

「謎ですな」

「――さて、屍人の謎に、その臭いに群がるハエ共の駆除か」

「早めに済ませましょう。南から日の本が崩れる前に」

「また『大義』か」


 十兵衛の問いに、半蔵は肩をすくめる。


「このタヌキ親父め」


 十兵衛は笑った。

 こうして島原に、十兵衛と半蔵が向かうことになる。

 魔界、島原に。

 しかし、彼らはまだ知らない。

 島原で何が起こっているのかを。








第一話「島原侵入」




「やや、これは面妖な」


 十兵衛は島原藩の手前にある農村に差し掛かったとき、昼下がりにもかかわらずこちらへとたどたどしい足取りで歩み来る幽鬼のような農夫を目に留める。


「お侍さま、お侍さまぁ~」


 共である半蔵は先行しているため、農夫のいうお侍さまとは十兵衛に他ならない。

 話しかけられるのは嫌だなぁと思いつつも、十兵衛は深編み笠をとって立ち止まる。


「いかがいたした」

「わ、その隻眼! 眼帯! 江戸に於いて並ぶ者なし! あの柳生新陰流の柳生十兵衛さま!」

「隠密も何もない喃」


 剣名が轟くのも考えものである。


「聞いて下さい、うちの村は、いやこの国は終わりですじゃ」

「ぬう、やはり島原には何かが」


 口を真一文字に引き締め、西に在る国境へ目を向ける。


「なに、不思議な赤い壁?」


 農夫が言うには、島原城の方から徐々に国中を包み込むような赤く光る皮膜が広がり、侵入は良いが出ることが叶わない不思議な檻として村はずれまで浸食してきているとのことだった。


「人が入ると出られませぬ。犬や狸は出たり入ったりできます。覗きに行った者や、寝てるうちに飲み込まれた者は、皆……皆……」

「皆どうしたのだ」

「バケモンに、殺されましただよ」

「なに、化け物」


 眉唾な話が続くが、十兵衛は「うぬ」とひとつ唸って頷いた。

 忍びかもしれぬ。

 赤い皮膜も結解か何かの忍術であろうか。


「どんな化け物だ」

「へえ、身の丈八尺はあろうかという、熊みたいな大男でさぁ」

「ん、それは確かに化け物であろう」


 比喩である。


「金太郎さまがもってるような馬鹿でっかいマサカリで……家も……五兵衛も……。あのバケモンは、赤い壁を行ったり来たりできるし、どうなってるのか、もう」


 敵はかなりの膂力なのだろう。武器はマサカリ――巨大な斧だろうか。結界を張った忍者とは別の者だろう。


「うぬう、隠密がこうも入り込んでいるとは。こうしては居られぬ。百姓、お主は東の村まで逃げ、このことを多くの者に伝えよ。……して、その不思議な赤い壁の広がる速度は?」

「三日で、一里ほど。いやあ、でもなんか早ぉなってる気がしますだよ」

「ぬう。なんという強力な術よ。百姓、生き残りは?」

「おりませぬ、儂一人でさ」

「そうか、では急ぐが良い」


 十兵衛は軽く路銀を渡し、促す。

 東に走り往く農夫を見送り、十兵衛は深編み笠をかぶり直す。


「これは天下の一大事。武蔵どのも、出てこられぬのではあるまいか」


 急がねばならぬ。

 十兵衛は早足で西へと向かう。


「ふふふ、あれが柳生十兵衛。公儀隠密、ついに大物が出てきたか」


 その後ろ姿を見送る影に、十兵衛――彼はまだ気が付いていなかった。


 しかしそのとき、突如として倉庫のシャッターを突き破り、政の乗るリムジンがブレーキを響かせながらマフィアたちの前へと止まる。


「往生せいやぁ~!」


 運転席を蹴り開けて飛び出した政のマシンガンが唸りを上げてマフィアたちを、その場にいる者すべてを蜂の巣へとしていく。


 絶叫と硝煙が収まるにつれ、熱した銃身とは裏腹に、政の心はしんと冷めていくのであった。


「戦いはいつも虚しい」


 煙草に火を付け、政はそう呟き、目を閉じる。

 そう。


 これですべてが終わったのだ……。



打ち切り完













































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