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第53話信長、悲しむ

 武田観柳斎がいた場所は――隊士が訓練に使っていた壬生寺だった。

 多くの隊士がひしめく中、信長たちは堂々と中に入る。

 隊士たちは信長が火を点けたと思い込んでいる。しかしあっさりと寺内に入ることができたのは――海援隊を引き連れていたからだ。


「やはり、総長は新選組を乗っ取るつもりなんだ……」

「おそらく土佐の軍勢で周りを囲んでいるんだ……」


 ひそひそと話す隊士たちだが、信長に襲い掛かったりしない。

 信長は事前に三人の隊士から話を聞いていた。

 武田観柳斎がこんな話をした――信長が土佐藩と結託して新選組を我が物にしようとしていると。


 それを聞いた信長は、逆手にとって噂通りの行動を取ることにした。

 まず海援隊の者たちを坂本に頼んで集めてもらい隊を作った。

 加えて土佐藩邸から数名借り受けて壬生寺を囲んでもらっている。

 無論、壬生寺にいる隊士たち全員倒せる人数はいないが――


「おう、武田観柳斎。これが軍法というものだ」

「……お見事ですね。一滴の血も流さず、私の元に辿り着くとは」


 武田観柳斎は感服したように両手を挙げた。

 信長は「一緒に池田屋を戦い抜いた誼だ」と言う。


「正直に白状したら許してやる」

「ありえないでしょう。私は法度に叛いたのですから」

「であるか。ならば今、儂と戦うか?」


 海援隊がいるとはいえ、五番隊の隊士の数のほうが多い。

 しかし武田は「それも叶いません」と首を横に振った。


「総長は容赦ない。私が命ずる前に短銃で殺すつもりだ」

「……おぬしは何がしたかったのだ? 伊東に唆されたのか? そこまで愚かだとは思わなかったが」


 信長は多少なりとも武田を評価していた。

 賢い男だと思っていたのだ。


「私はね、あなたみたいになりたかった。新選組を動かせる知恵者になりたかった。そして新選組を――もっと大きくしたかった」

「土方と同じだな」

「副長はただ大きくしたいだけです。私は大きくして天下のために何かしたかった。尊皇攘夷でも佐幕でも、何か大きいことがしたかった」


 信長は「まだ間に合うと思うが」と慈悲を見せた。


「伊東に騙されたと儂が証言してやる」

「結構です。私がますます、惨めになりますから」


 武田は懐から短銃を取り出した。

 信長と坂本以外がどよめく――山野と吉村が刀を抜く。海援隊も各々の武器を構える。


「これからどう日本が変わるのか――あの世で見させてもらいます」


 誰も止める間もなく――武田は銃口を己の顎下あごしたに当てて、引き金を引いた。

 どたんと後ろに倒れる武田に憐みの目を向ける信長。

 その肩を坂本は優しく叩いた。


「ノブ。皆の誤解を解くぜよ」

「坂本……ああ、そうだな」



◆◇◆◇



 沖田と鈴木三樹三郎の戦いは熾烈を極めた。

 流石に鈴木は北辰一刀流の使い手である。数度剣を交わしても決着がなかなかつきそうにない。


「ただの腰巾着だと思ったら、案外やりますね――」

「舐めるなと言ったはずだぞ――沖田ぁ!」


 一対一ならば沖田に軍配が上がるのだけれど、鈴木以外の隊士が加勢しているので、決定的な一撃を与えることができずにいた。

 沖田以外の隊長たちも多数に無勢という感じで状況を打破できずにいる。


 せめて鈴木を討ち取れば状況は変わるのだけれど――

 沖田の体力も限界に着そうになったとき、鈴木の放った突きが額に当たる。

 掠めただけだが、派手に血が噴き出て視線が塞がれる。

 沖田がしまったと思う間もなく、隊士の一人が斬りかかってくる!


「総司! ――くそ!」


 副長の井上が急いで駆けつけるが、間に合わない。

 永倉と原田も沖田がやられると感じた――


 そのとき、沖田の脳裏に浮かんだのは。

 多摩にいた頃の思い出か、京での斬り合いの日々か。

 師匠である近藤の真面目な顔か。

 それとも信長の不敵な笑顔か――


「…………?」


 いつまで経っても斬られる感触が無い。

 血を拭って視界がまともになる――隊士が倒れていた。


「総司。てめえ、油断し過ぎじゃねえのか?」


 月の光を背中に浴びた、新選組の羽織を着ている男――土方歳三がそこにいた。

 呆れたような声で沖田に手を差し伸べる。

 沖田は立ち上がると呆然と土方を見つめた。


「土方さん……生きていたんですね」

「勝手に殺すんじゃねえ。六番隊の連中と一緒に避難していたんだ」

「それにしても、来るのが遅いですよ。池田屋を思い出します」


 土方は口の端を歪ませて「軽口を叩けるなら平気だな」と言う。


「それじゃ、こいつら片付けるか」

「ええ。そうですね――」


 鈴木たちの背後には六番隊の面々がいた。

 数において不利になった――鈴木は退却するか判断に迷った。

 一瞬の迷い。それが鈴木三樹三郎の運命を分けてしまった。


「行きますよ――鈴木三樹三郎!」


 沖田が鈴木に向かって一足飛びで迫る。

 鈴木は沖田の突きを一回は防いだ。

 しかし、二回目と三回目の突きは防げなかった。

 それぞれ右胸と左胸に突き刺さり――引き抜いた跡から血が噴き出る。


「こ、この――」


 ふらふらとよろめき、その場に大の字に倒れる鈴木。

 そして――


「奸賊、ばら――」


 そう言い残して――鈴木三樹三郎は絶命した。


「鈴木は討ち取った! 抵抗さえしなければ、不問にする!」


 土方の大声で、鈴木に率いられた隊士たちは抵抗をやめた。

 井上が「土方さん。助かりました」と安堵の声をかけた。


「近藤先生は、どちらへ?」

「いや、それは分からねえんだ」


 懐紙で血を拭った土方は刀を納めた。

 それから「あの人なら大丈夫と思うんだが」と言った。


「とにかく、探そう。近藤さんは確か、屯所から離れていたはずだ――」



◆◇◆◇



 近藤勇を最初に見つけたのは、信長だった。

 壬生寺を奪還し、武田観柳斎の隊を手中に収めた彼は市中を見廻っていた。

 屯所から逃げる隊士を壬生寺で保護するためだった。


 山野と吉村を引き連れてあてもなく走っていた。

 そして差し掛かったのは――油小路あぶらのこうじと呼ばれる通りだった。


「――総長、誰か倒れています」


 吉村の言葉に信長が慎重に確かめる――いきなり駆け足となって倒れている人物に寄る。

 両腕で起こしながら「しっかりしろ!」と大声で呼ぶ。


「近藤! しっかりしろ!」


 その言葉に山野と吉村も駆け寄った。

 近藤は腹を刺されたらしく、酷い出血だった。

 内臓まで達していて――


「山野! 医者を呼べ!」

「はい、分かりました!」


 山野が駆け出すと、近藤が気づいたように「……ああ、信長さんか」とか細い声で言う。


「近藤! 良かった、生きていたか! 大丈夫だ、今医者を――」

「間に合いません……」


 近藤の弱々しい声は信長も聞いたことが無い。

 だからだろう、信長は取り乱したように「諦めるな!」と怒鳴った。


「誰にやられた!? 伊東か!?」

「……伊東に呼び出されて。服部と毛内は、返り討ちにしましたが、人斬り半次郎に……ぐふっ!」


 口から出血した近藤。

 信長は「死ぬんじゃない!」と呼びかける。


「おぬしには、まだまだやるべきことがあるんだろうが!」

「そう、ですね……でも、私はもう駄目です……」


 眼の光が消えかかっていく。

 信長は己が何百と見てきた、命の灯が消える様のようだと感じた。

 それが――悲しくてやりきれなかった。


「近藤! 死んだら許さんぞ! 決して諦めるな!」

「…………」

「山南だって、諦めなかったんだ! 絶対に死ぬな!」


 傍にいる吉村はこんな必死な信長を見るのは初めてだった。

 信長は近藤の手を握って呼びかけ続けた。

 ずっと、力強く、呼びかけ続けた――

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