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第51話信長、土佐で拍子抜けする

「よう、近藤。おぬしに話しておかねばならんことがある」

「唐突ですね。何のことでしょうか?」


 新選組の屯所の一室。

 信長は虎徹の手入れをしていた近藤の元へ訪れた。

 刀を仕舞って話を聞く体勢になる近藤。


「おぬしには黙っていたが……山南の遺言がある」

「山南さんの? ……どうして今なんですか?」


 信長はどかりと胡坐をかきながら「儂が土佐へ行くことは知っているだろう」と言った。

 その表情からは少しばかりの覚悟が見えていた。


「ええ。山内容堂公の説得ですね」

「かの者を説得しなければならん。新選組に海援隊と陸援隊を組み込ませたことを鑑みなくとも、幕府に味方する雄藩は欲しい」

「もし味方にならなかったら……つまり、説得が失敗したら?」

「何のこともない。儂の首が飛ぶだけよ。だから今、言うのだ」


 あっさりと己の死を予言する信長に、近藤は「あなたならそうはならないでしょう」と全幅の信頼を置いた言葉で励ます。


「最悪、首が飛ばぬように交渉のほうを打ち切ればいい」

「いや、それはできぬ。幕府を守るためだ」

「信長さんはいつから佐幕派になったんですか?」


 近藤が疑問に思ったのも無理はない。

 最近、話していて幕府寄りの発言が多かった。

 信長は「様々な志士たちと話して分かったのだ」と韜晦するように言う。


「儂が生きた証は、この世にはない。安土城も織田家もない。儂が生きた五十年は無意味になった」

「……だから、盟友である徳川家を守ろうと?」

「そうかもしれん。織田から禿ネズミへ渡り、そして徳川家が引き継いだ天下を守ることが――今の儂にできる供養となる」


 供養という言葉に違和感を覚えた近藤。

 しかし黙って信長を待つ。


「本能寺で死んだ我が家臣。妙覚寺で死んだせがれ。そしてその後の混乱で死んだ権六たち。それらの無念を晴らすには――儂が精一杯生きて幕府を守ることだと思うのだ」

「信長さん……」

「それに山南への手向けでもある。長々と話したが、今から伝えるぞ」


 信長は近藤に伝えた。

 自分の身を挺して新選組の分裂を避けた総長の遺言を。


「山南は『新選組は、私が生きた証です。その名を後世にまで伝えてください』と言っていた」

「あの人は……最後まで、新選組を思っていたのか……」


 近藤は眉間に皴を寄せて、涙をこらえた。

 信長は「おぬしが重圧に感じると思い、黙っていた」と言う。


「山南自身、重荷になるのを嫌っていた。だから今まで黙っていたのだ」

「土佐に行くから、ですね」

「それ以上に、おぬしが大きく成長できたこともある」


 信長の発言に近藤はきょとんとした顔になった。

 そして信長は至極真剣に、近藤に思っていることを伝えた。


「新選組局長の名に相応しい、大きな存在になったよ――近藤勇は」



◆◇◆◇



 海援隊が用意した船に乗り、信長は土佐へ向かった。

 その際、同行したのは山野八十八と吉村貫一郎の二名だけだった。

 信長自身、隊長格の誰かを連れていきたかったが、海援隊と陸援隊が加わった今、その均衡を保つためには多くいたほうがいいと判断した。


 だからこそ、腹心と言える山野と吉村を連れて行くことにした。

 山野はこの頃、剣の腕が上がり、吉村は隊随一の実力となっていた。

 だから安心して背中を任せられると信長は思った。


「土佐の海は青くていいぜよ。帰ってきたという気持ちになるきに」


 信長たちと共に土佐に向かっているのは坂本龍馬だった。

 渡りをつけるためということもあるが、そもそも三つの隊を合併しようと言い出したのは彼である。説明する義務があった。


 船首で優雅に黄昏る坂本に「やはり故郷は懐かしいか?」と信長が話しかける。

 坂本は「当たり前ぜよ」と潮風に吹かれながら楽しそうに頷いた。


「ノブは故郷に帰ろうとは思わんか?」

「儂の知っている尾張国はもはやない」

「そんな寂しいこと、言わんでもええじゃないの」

「それほど、三百年という時は膨大なのだ」


 信長は「もしキンカン頭が攻めてこなかったら、四国はせがれの信孝に任せるつもりだった」と坂本に語る。


「そうなれば、おぬしを苦しめた郷士という身分は無かったかもな」

「それこそ詮の無い話ぜよ。おまんのせいやないき。気にするな」


 青く、どこまでも広がる海。

 潮の匂いが身体中を包む。

 空に浮かぶ太陽がより一層高く見えた。


「俺は海が好きじゃき、海援隊を作ったんぜよ」

「そうか。おぬしは貿易商などに向いているかもな」

「そんなら、ノブは何するぜよ?」


 戦乱が落ち着いて新選組の役割が無くなったらという話だ。

 信長は「考えたことなどなかったが」と胸一杯に潮風を吸った。


「楽隠居だな。もう儂は五十路だ。ゆっくりと休みたいわい」


 その答えを聞いた坂本は「それも良いな」と笑った。


「戦国の世からノブは働きすぎぜよ。一度立ち止まることも大切じゃき」

「ふひひひ。隠居と言ってもやりたいことがあり過ぎるからな。まずは思いっきりはしゃぐか」

「まるで子供ぜよ」



◆◇◆◇



 高知こうち城――鷹城とも言われる、比較的戦国乱世の様式を残した城は、どこか信長に懐かしい印象を与えた。道中に至る前も城を見かけたが、どことなく感じが違っていた。


 坂本は郷士なので御目見えできない。

 だから『新選組と海援隊と陸援隊の合併』並びに『土佐藩が幕府に協力すること』の交渉は信長に一任された。

 山野と吉村を傍に置き、交渉を始めようとする――


「ああ、いいぞ。そちの言うとおりにせよ」

「…………」


 上座に座った元土佐藩主であり隠居しても実権を握っている山内容堂は、開口一番で信長の全ての要求を飲んだ。

 これには信長も開いた口が塞がらない。

 目の前の山内容堂は顔に赤みが差している。酔っているというわけではないだろうが、日常的に酒を愛飲しているのがよく分かった。面長の顔で大物なのか小物なのか分からない顔つきをしている。

 容堂は続けて言う。


「実を言えば薩長の奴らにでかい顔をさせておくのは、あまり楽しくないし面白くない。それに土佐が味方すれば幕府も面目が立つだろう」

「……即断即決、お見事にございます」

「うむ。他に何か要求はあるか?」


 信長の後ろで呆気に取られている山野や吉村の気配を感じる。

 これだったら手紙で済んだ話だった。


「いえ、ございませぬ」

「……そちは織田信長を自称しているらしいな。我の祖先、山内一豊やまうちかずとよはどのような男か申せ」


 これは容堂の遊びである。

 信長が本物だとは思っていない。しかし交渉がまとまった後での質問にどう答えるのか興味があった。


「……覚えていない、というのが正直な感想です」

「な、なに!? 一豊公はそちの家臣ではなかったのか!?」


 怒りを見せる容堂。

 けれど信長は山内一豊を忘れていた。それほど大勢の家臣がいたし、いちいち身分の低い家臣の顔や名前など覚えていない。

 だからてっきり徳川家の家臣だとばかり思っていたのだ。


「儂は五十を超えております。最近のことならともかく、数年経つとすっかり記憶が失われてしまいます」

「ほう。記憶が失われると? それでよく総長とやらが務まるな……」


 容堂が疑わしい視線を向ける中、信長は「山内様は何かご用事があるのではないですか?」と話をすり替えた。


「うん? ああ、そうだった。京に上らないとな。会議があるのだ」

「では我らはこれにて。許可をいただきありがとうございました」


 信長は山野と吉村に「行くぞ」と告げた。

 だが容堂は「少し待て」と待ったをかけた。


「何か、御用でございますか?」

「三つの隊が合併したら、頭は誰になる?」

「……それは許可が下りる前に聞くべきことでした」


 その返しに容堂は「うむ、そうだったな」とどうでも良さそうに笑った。

 信長は子孫がこうなのだから、先祖は大したこと無かったのだろうと判断した。

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