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第50話信長、近江屋にて笑う

「なあんで、俺らがあんたを守らねえといけないんだ? 坂本龍馬さんよ」


 新選組の屯所内。その一室。

 頭を抑えて痛みをこらえている土方が、目の前に座っている坂本に言う。

 しかし坂本は「俺にもよう分かっておらん」と肩を竦めた。


「まさか薩摩藩に裏切られるとは思っちょらんかった」

「その辺の経緯を詳しく話してほしいですね、坂本さん」


 土方の隣にいた近藤も困惑しつつ、状況を整理するために訊ねる。

 それに対して、坂本が答える前に「俺も奇妙に思うとる」と声を上げた者がいた。


「なして、新選組なんぞに助けてもらわないかんのじゃ」

「なんだとてめえ!」

「なんじゃおまん! やりあうか、幕府の犬が!」


 男と土方が激高し、刀を抜こうとするのを「やめやめ!」と坂本が身を挺して止める。


「中岡。おまん助けてもらった恩人にそりゃあねえぜよ」


 中岡と呼ばれたこの男、陸援隊りくえんたい隊長を務める中岡慎太郎その人であった。

 険しい顔で年若いのに眉間のしわは消えそうにない。誰もが激情しやすいと分かる怒りっぽい性質を露わにしている。


「しかし、坂本さん。こいつらは池田屋で土佐の同志をたくさん斬り殺したぜよ!」

「それはおんし以上に分かっちょる。なんせ亀も殺されたからな」


 亀とは望月亀弥太のことである。

 しかし坂本は「過去の遺恨は忘れるじゃが」と中岡を諭す。


「そやせんと、前に進めないぜよ」

「ふん。そう言って薩長をきつけたのか。口先は斬れるようじゃねえか」


 土方の皮肉交じりの言葉にまたも中岡が怒り出そうとするのを「トシ、言い過ぎだ」と近藤が叱った。


「今は恨みを忘れろ。現状を確認するのが大切だ。それができないんならこの場から去れ」

「近藤さん……」

「すみませんでした。坂本さん」


 近藤が頭を下げようとするのを「こっちこそ悪かったぜよ」と手で制する。


「そんで、現状のことじゃが……その前の経緯から話したほうがよさそうぜよ」

「ええ。是非聞かせてください」

大政奉還たいせいほうかんのこと、聞いたか?」


 近藤は当然とばかり頷いた。

 将軍となった慶喜が土佐藩主の山内容堂やまうちようどうの進言で政権を朝廷に返上したのだ。

 これによって幕府が日本を差配することができなくなった――


「その大政奉還の案を考えたのは、坂本さんだと聞いております」

「そうぜよ。俺が考えた……でも、俺は幕府を倒したいわけじゃないきに。むしろ幕府を守るために出したんぜよ」

「どういう意味でしょうか?」


 これは初耳だったらしく、近藤は目を丸くした。

 坂本は「あのまま、幕府が政権を維持していたら薩長に攻められたぜよ」と答えた。


「武力による倒幕と言ったほうが良いぜよ。そしたら日本は戦国割拠の時代に逆戻りになる」

「……つまり、政権を手放させることで攻める口実を無くしたわけですね」


 これでも幕府の上役と政治について話し合ってきた近藤。

 いち早く理解できたのはそうした経験の賜物だった。


「ところがそれが気に食わない薩摩に、俺らは狙われたわけぜよ」

「京都見廻組に居場所を知らせて暗殺させる。自らの手を汚さない陰湿なやり方ですね」


 近藤は同情を示したが、土方はざまあみろとばかりに鼻を鳴らした。


「俺も武力倒幕を目指していたきに、気持ちは分かるぜよ」

「中岡。自分が殺されそうになっても思うか?」

「……そないに責めんでもいいじゃないの」


 坂本は「ちゅうわけでノブの厄介になって、ここにいるんぜよ」とまとめた。

 土方は「勝手なことをしやがって」と毒づいた。


「敵を匿うだなんて、上様に知られたら――」

「少なくとも、土佐は幕府の味方ぜよ。山内容堂公はそんために大政奉還を薦めたんじゃ」


 気楽に言う坂本に土方は「そんなもん、くそくらえだ!」と怒鳴った。


「今更宗旨替えなんてできるか! 新選組の看板が汚れるってもんだぜ!」

「まあ落ち着くきに。そんにこれで終わるとは思わがじゃ」


 坂本の言葉に近藤が「薩長ですね」と素早く反応した。


「どうしても武力で倒幕したいようですね――何故ならば、このままだと徳川家中心の政治が主導されるから」

「近藤さんはよう分かっちょるな」


 坂本の感心する声に土方が「どういうことだ?」と問う。

 すると中岡が「政権を返しても権力や兵権は持っちょる」と答えた。


「それに、いきなり政権を返されても朝廷に政治を動かす力も仕組みもない。どうせ『徳川家が主導せよ』と帝は仰せになられるに決まっちょる」


 無論、それが徳川慶喜の狙いなのだが、そのために坂本は狙われる立場になっている。

 坂本と中岡にしてみれば面倒なこと限りない。


「そこで、近藤さんに提案したいことがあるきに」

「なんでしょうか?」


 坂本龍馬は新選組局長にとんでもない提案をした。


海援隊かいえんたいと陸援隊を――新選組に加えてほしいぜよ」



◆◇◆◇



 坂本の代わりに近江屋にいる信長。

 そして刺客の中に見覚えのある人物を見つける。


「なんだ、佐々木只三郎か。ということは京都見廻組だな?」


 刀を構えている男の一人――佐々木は「いかにも」と重厚感のある声で答えた。


「新選組は、幕府に逆らうのか? 坂本を庇うということは――」

「おかしなことを言う。坂本の提案に乗ったのは誰ぞ? ――将軍慶喜公であらせられる」


 信長は立ち上がって刀を抜いた。

 四人は警戒しつつどうしたものかと考えた。

 このまま信長を斬るのは容易いが――新選組総長を殺めたとなれば会津藩に抗議を受ける可能性がある。


 幕府が無くなった今、力を持つ藩と争うのは得策ではない。

 かといって、このまま引き下がることなどできなかった。

 そのとき――


「こなくそ! こんな狭いところで待機させないでくれよ……」


 奥の押し入れから槍を携えた男――原田が出てくる。


「ちょっと、原田さん。まだ合図出ていませんよ」


 奥の襖が開いて沖田も出てくる。


「お前のほうがまだマシじゃねえかよ……」

「国言葉が出るくらいつらかったんですね」


 弛緩した空気が漂うが、目の前の二人は新選組の中でも歴戦の猛者だと京都見廻組の中でも知られていた。三人はどうすると佐々木の顔を見た――かなり怒っている。


「貴様は、分かっているのか! あの坂本龍馬を斬らなかったら、日本は大きく動いてしまう!」


 突然、怒鳴る佐々木に沖田も原田も警戒して刀と槍をそれぞれ構える。


「大政奉還など考える輩が、土佐脱藩浪士の身分でそれを成し遂げたことが、どれだけ危険なのか! 貴様の手にも余るぞ! 貴様は、何にも、分かっておらん!」


 今まで溜め込んでいた思いを佐々木が怒鳴るように吐き出した。

 信長はそれでも不敵に笑い――


「佐々木よ」

「なんだ!」


 信長はそこで意外と穏やかな表情になった。

 沖田も原田も見たことが無いほど慈愛じあいに満ちた――笑顔。


「全部、承知の上だ」

「…………」

「あやつは日の本を大きく変える。いや、変え過ぎるかもしれない。だがな――」


 信長は顔を引き締めて真面目な顔で言う。


「――変えるかもしれないということだけで、あの者が殺されるのを見過ごすなどできんわい。ふひひひ」



◆◇◆◇



 結局、信長の一言が効いたのか、京都見廻組は近江屋から立ち去った。

 佐々木は最後に「後悔するぞ」と捨て台詞を吐いた。


「本当に良かったんですかね? ノブさん」


 沖田は帰り道、信長に訊ねた。

 それに信長が答える前に「良かったとかいちいち考えるなよ」と原田が言う。


「やっちまったことにグチグチ言っても仕方ねえ」

「それはそうですけど」

「俺はやって後悔してねえよ」


 原田はいつもみたいに底抜けに明るい声と態度だった。


「原田の言うとおりだ。沖田、笑えい」


 信長はにやにやとご機嫌に笑っていた。

 沖田はしょうがないなと仕方なく笑った。


 その後、信長たちは新選組が海援隊並びに陸援隊との同盟を結ぶことを知った。

 三つの隊の合併というべき同盟が、動乱の時代にどのような影響を与えるのか――

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