世間は第二次
謹慎が解けた信長は、近藤に連れられて会津藩邸に来ていた。
なんでも松平容保が近藤の意見が聞きたいらしい。
今まで近藤は新選組を大きくするため、幕府に対して働きかけをしていた。
それが実った形となり、こうして大名に意見を申し上げる立場へとなった。
そこに信長を連れてきたのは対外的には組織の二番手であるからだ――いや、その言い方は適していない。
土方は目の前の問題に対しての処理は得意だが、これから起こることについての問題に備えるのには向いていなかった。同じく副長の井上源三郎はこうした意見を持たない。また参謀の伊東だと幕府に対し、過激な意見を言いそうだったので選ばれなかった。彼は何かあったのか、最近は大人しくしているようだが……
もし山南が生きていれば彼が選ばれていたのだけれど、それこそ無いものねだりだった。
だから信長が選ばれた――くれぐれも余計なことを言わぬようにと近藤から釘を刺されているが、松平容保から意見を求められたら信長も言わねばならない。それだけが心配だった。
信長と近藤が平伏し、奥の間から容保がやってきた。
そして「面を上げよ」と
容保は線の細い、病弱に見えそうな体格をしているが、連日の激務をこなせるほどの体力を持っている。殿様にありがちな高貴な顔立ち。それでいて武家らしい雄々しさを持っていた。
「松平様におかれましては、ご壮健のほどお喜び申し上げます」
「うむ。そしてそなたが織田信長か」
信長は礼式に則った作法で「新選組総長、織田信長です」と応じた。
容保は満足そうに頷いた。
「それでだ近藤。こたびの長州征伐、上手くいくか?」
「恐れながら申し上げます――
単刀直入に切り出した容保に対し、はっきりと意見を言った近藤。
しかも味方が負けるという見方だった。これはなかなか勇気がいる。
容保は苦笑して「そなたにしては弱気だな」と言う。
「その根拠はなんだ?」
「こちらの織田なる者が調べた結果、薩摩藩と長州藩が裏で手を組んだらしいとのこと」
「まことか? その方、どうやって調べた?」
薩長同盟のことを知らなかった容保は半信半疑で信長に問う。
信長は「調べた方法を申し上げてもあまり意味はありません」と答えた。
「藩主様が知りたいのは、手を組んだ真偽。そして残念ながら――真実にてございます」
謹慎が明けてから信長は近藤に薩長同盟のことを打ち明けた。
それで今回の結論に至ったのだ。
「そうか……頭が痛くなるな」
「お察しします」
「近藤。こたびの征伐が失敗したらいかがする?」
近藤は「おそらく長州藩の勢いは増すでしょう」と慎重に答えた。
信長は黙って頷いた。
「一気に動くでしょう――幕府の打倒に」
「……これを防ぐ手はあるか?」
容保の問いに信長と近藤は何も言えなかった。
防ぐ手立てなどないのだ。
あるとすれば戦をせず、講和するべきだろう――しかし幕府の威信を考えればそれはできない相談だ。
「幕府が勝つためには、一つしか方法がありません」
信長が場の空気を壊すように発言をした。
容保が素早く「どんな方法だ?」と問う。
「帝と朝廷の力を借りること。要は幕府の正当性と権威を高めることです」
「武力に勝る薩長に通じるのか?」
少し疑わしい気持ちとなった容保。
しかし信長は自信ありげに「戦において肝要なのは、相手の士気を落とすことです」と語る。
「尊皇攘夷を謳っている藩士が多く、兵すらその思想に取りつかれている。しかし自身の藩主が朝敵だと認定されれば、それこそ従う理由が無くなります」
「しかし長州藩は先の征伐でも朝敵だと認定されているが?」
「藩を朝敵しても意味がありません」
信長は語る。
人の心理を――
「自分たちが朝敵認定されたらそれを覆そうと必死で戦う。朝敵から逃れるために朝廷から信任された幕府と戦うのは、おかしな話ではあるが――同じ罪を背負った人間は互いに信頼してしまう。共犯意識というべきか。一層団結してしまう」
「……つまり藩主を朝敵にするべきなのか?」
「いえ。長州藩の中でも尊皇攘夷の思想を持ち、それで穏健派の人物にするべきです」
「意味が分からん。過激な者のほうが落ち着くのでは――」
容保はそこまで言った後、ハッとして気づく。
「まさか、内乱を起こさせるつもりか? 過激な者に穏健派を襲わせるのか?」
「まさしくそのとおりです。人間は目の前に争いがあるとき、外に注意を向けなくなります。そしてそれが――攻め時でもあります」
容保は背筋がゾッとする思いをした。
人を争わせる才能が目の前の信長にあると悟った。
そして同時に信長について『あること』を思い出した。
「……ところで、そなたは織田信長と名乗っているそうだが」
信長は「ええ、そのとおりです」となんでもないように答えた。
「はっきりと言うが、そなたの
「はあ……一介の隊士を会津藩が調べたのですか?」
「そこまで暇ではなかったのだが、気になったものでな。結果から言うが――そなたは突然この世に現れたように生きている」
不思議な言い回しに近藤が「どういうことでしょうか?」と訊いてしまった。
容保は「言葉の通りだ」と彼自身怪訝な顔をしている。
「初老の男がこれまで誰にも知られずに生きられるわけがない。だが調査した藩士たちが口を揃えて『これまでの経歴が存在しない』と言ったのだ。これは異常すぎる」
「…………」
容保は「そなたに改めて訊ねる」とやや緊張を帯びた声で言う。
しかし信長は平然としていた。何を聞かれても自分が織田信長であることに変わりはないのだ。
「そなたは――本物の織田信長なのか?」
信長は、少し焦らすように間を開けて――答えた。
「――いかにも。織田前右府信長である」
今までの丁寧な口調から、威厳を込めた声で発する信長。
容保は自分が冷や汗をかいていることに気づく。
ありえない事態が起こっていた――いや、今も続いている。
「ほう。面白い男もいたものだな――容保殿」
唐突にがらりと奥の間の襖が開けられた。
出てきた男が足音を立てながら信長の目の前にどかりと座り「そなたは本物の織田信長か?」としげしげ眺めまわす。
あまりに気安い態度に「なんだおぬしは?」と信長も驚く。
「これ。無礼であるぞ。この方をどなたと心得る」
「よい、容保殿。余は自称織田信長と話してみたい」
きらきらと目を輝かせる男。
目が細くエラが少し出っ張っている。美男子と言えるほどではないが、容保と同じく高貴な雰囲気がある。おそらく殿様なのだろうと信長はアタリをつけた。
信長は面白い男だなと思いつつ「貴君の名は?」と訊ねた。
「余は
男はにこにこと子供のように笑いながら、あっさりと名乗った。
「