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第47話信長、大いに狼狽する

「ノブさん、土方さんから聞きましたよ。無茶苦茶なことをしたって」

「うん……? なんだ、沖田か」


 自室で寝っ転がっていた信長。

 そこへにこやかな顔で沖田が入ってきた。

 なんでも面白がっているらしい。


「鞍馬天狗の恰好をして暴れて、坂本さんを助けたらしいじゃないですか」

「暴れておらん。格好良く助けただけだ」

「でも、それで謹慎だなんて。よく切腹になりませんでしたね?」


 信長は上体を起こして「土方には物凄く怒られたが」と面倒臭く言う。


「伏見奉行所に判明しなかったことや最低限の配慮があったことから、近藤の鶴の一声で謹慎で済んだんだ」

「へえ。前々から思っていたんですけど、二人はノブさんに甘くないですか?」

「ようやく気づいたのか。ふひひひ、儂は特別扱いされておるのだ」

「……こういう性格だもの。まったく」


 沖田が美しい顔で苦笑いした後、信長が「実は困ったことになった」と打ち明ける。


「謹慎以外に何か困ったことでもあるんですか?」

「おぬし、薩摩藩と長州藩が手を結んだのを知っているか?」

「ええ!? ……嘘でしょう? 世情に明るくない私でも分かりますよ。ノブさん、からかっているんですか?」


 沖田が信長の前に座って真偽を確かめる。

 しかし信長は「嘘であってほしいのは儂だ」と困った声を出した。


「だが仲立ちした坂本に直接聞いたのだ。元々、儂が奴を助けたのは薩摩藩と長州藩の同盟をさせぬためだった」

「そうだったんですね……近藤さんと土方さんには?」

「まだ言っておらん。もう少し情報が欲しいし、対策を練らんといかん」


 それを聞いた沖田は「えへへ。私が一番ですか」と嬉しそうに言う。

 信長は「明るくない報告だけどな」と渋面をした。


「儂が思っているよりも、天下の動きは目まぐるしいな」

「……ノブさん、本当に困っているんですね」

「さっきから言っている。尊皇攘夷という理想主義の長州藩と軍事力を持つ現実主義の薩摩藩は、水と油だと思っていたのだが……」

「どっちが水なんです?」

「長州藩だな。すぐに熱くなる。逆に薩摩藩は油だ」

「その心は?」

「幕府にとって跳ね返り者になっている」


 沖田は「上手いことを言える余裕はあるんですね」と無邪気だった。

 流石に剣のことしか考えない天才剣士だ。

 もしかすると状況が分かっていないだけかもしれないが。


「ノブさんならなんとかできるんじゃないですか?」

「馬鹿を言え。五十路のじじいに何ができるんだ」

「でも、何かをしようと足掻いている――でしょう?」


 こやつ、考えなしのくせに勘が鋭いなと信長は思った。

 剣の道は万に通じるという考えはあながち間違っていない。

 信長は「考えはある」とあっさりと言う。


「幕府が長州藩を一気呵成に滅ぼす。薩摩藩以外の雄藩の力を借りてでもな」

「逆に言えば、そうでもしないと滅ぼせないんですか?」

「薩摩藩が裏から武器弾薬を回すからな。その連携が上手くいく前に戦を仕掛ければ良いのだが……」


 しかし現実には信長は幕府の中枢にいなかった。

 大軍を保持しているわけでもないし、君主どころか侍大将ですらない。

 新選組という優秀な組織はあるが、いかんせん人数が少ない。

 だから信長にできることなど限られているのだ。


「失礼します、織田総長」


 必死に知恵を絞っている中、信長を呼ぶ声が外からした。

 信長が「なんだ?」と短く問う。


「伊東参謀がお呼びです。お話ししたいことがあると」

「儂は今、謹慎中だ。そっちから出向いてくれと伝えろ」


 隊士が「かしこまりました」と言ってその場を去る。

 沖田は「私はここらでお暇します」と立ち上がった。


「伊東を毛嫌いしているのか?」

「ええまあ。山南さんのこともありますし」

「藤堂とは最近仲良くやっているのか?」


 その問いに沖田は「伊東さんの話題が出なければ、比較的仲良くしていますよ」と答えて、そのまま外へ出て行った。


「うつけめ。わだかまりがあることが丸分かりだわい」


 信長は溜息交じりに独り言を呟いた。



◆◇◆◇



「織田殿。このままでは新選組が時代の波に乗り遅れてしまいます」


 部屋にやってきた伊東は開口一番に自身の考えを述べた。

 また尊皇攘夷論かと思いつつ「それは大変だな」と相槌を打った。


「だがどうすれば新選組が時流に乗れる?」

「新選組自体を勤皇派へと変えるのです。そのためには幕府から離れ、雄藩と手を結ぶことが肝要です。そのための手筈を今、整えている最中です」


 信長はおそらく近藤の許可は取っていないなと確信した。

 あの男は骨の髄まで佐幕派だからだ。


「それで儂に何をさせるつもりだ?」

「近藤局長と土方副長を説得してもらいたいのです。あなたは二人の信頼が厚い。私ではできないこともできるでしょう」


 伊東はおそらく真っすぐな人間なのだろうと信長は思った。

 尊皇攘夷の思いが強すぎる故に、何もできていない自分に歯がゆい思いをしているのだろう。


「その前に、おぬしはいろいろと思い違いしているので教えてやろう」

「……思い違いですか?」


 信長はこれも総長の仕事だなと死んだ山南を思い、困惑している伊東に告げた。


「おぬしは長州藩や土佐藩に近づこうしている。それは調べていて分かっていた」

「なっ――」

「しかし芳しくないようだな?」


 驚愕している伊東に「まあそうだろうな」と信長は欠伸した。


「新選組の参謀という地位にあるのだから。信用などされぬわい」

「……ええ。新選組に属しているのを後悔しました」

「それが思い違いの一つよ。信頼されぬのは、ただ新選組に属しているだけではないぞ?」


 尊皇攘夷派の藩士と通じていると言い当てられて、動揺している伊東。

 信長の意味深な言い方に「どういうことでしょうか?」と思わず問う。


「おぬしが信用されぬ理由。それは――」


 信長は一拍置いて――言う。


「――長州や土佐の出ではないからだ」


 その言葉に顔が強張る伊東。

 続けて信長は「少なくとも新選組はそうではない」と言う。


「新選組はおぬしを重用し、参謀の地位に就けた。しかし翻って他藩の藩士はどうだ? おぬしの持論に耳を傾けたか? 所詮余所者の戯言だと思われなかったか?」

「そ、それは、私が新選組に属しているから――」

「おぬしのような優れた人物を引き抜こうと思わない時点でおかしいのだ」


 ここで伊東の矜持をくすぐるようなことを言いだす信長。


「新選組の幹部であるおぬしが劣っているわけがない。儂ならそう考える」


 伊東の心を掴もうとする――なんといやらしい行為だろうか。

 信長は「それに、幕府側に居っても尊皇攘夷はできるだろう」と追い込む。


「そもそも尊皇攘夷は帝を尊び外国の軍を打ち払うという思想だ。どこにも幕府を排斥しようだなんて書いておらん」

「……そ、それは」

「おぬしは水戸派の学問を教わったようだな」


 信長は山南や藤堂から聞いていた話を思い返していた。


「ええ。ですから勤皇の思いは強いです」

「そこがおかしい。水戸派の学問を習っているのなら、どうして幕府を通じて尊皇攘夷をしようと思わんのだ? 水戸は徳川御三家なのだろう?」

「……けれど、このまま幕府の命令だけ従っていくのは、真の尊皇攘夷になるとは思えないのです」


 伊東は今までの不満を信長にぶつけた。

 それこそが信長の望んだこと――伊東の本音を引き出せた。


「京の治安維持が尊皇攘夷につながるとは思えない。京の安寧を果たせたとして、斬っているのは同じ志を持った尊皇攘夷派の藩士。私はそれに耐えきれないのです……」


 信長は「なら内側から変えるしかあるまい」と伊東に言う。


「おぬしが新選組に属していたという過去は変えられん。むしろそれを利用して、幕府に接近するべきではないか?」

「…………」

「ま、儂が何を言おうとおぬしの考えは変えられんわい」


 そして最後に信長は言う。


「だがな。新選組を抜けようとは思うなよ。隊を脱した者は切腹だ。それは重々分かっているのだろう?」

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