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第46話信長、天狗になる

 二回目の長州征伐のとき、その先行として近藤を筆頭とする新選組の面々が長州に向かった。監察方の隊士が多かったが、そこには伊東も含まれていた。

 山南の死以来、局中法度の恐ろしさと苛烈さで縛っていたが、ここに来て尊皇攘夷の気持ちが大きくなったらしい。おそらく長州藩の誰かと渡りをつけたいからこそ、同行を願ったのだろう。


 近藤は出かける前に信長に相談していた。

 無論、伊東の進退についてだ。


「何も動いていないのであれば、儂らができることはない」

「確かに、既に起こったことには有効な法度ですが、起こりそうなことには効力がありません」

「ま、十中八九伊東は長州藩の者と接触するだろうが……気にせんでもいい」


 近藤は眉をひそめて「気にしなくてもいいのですか?」と不思議そうにした。


「長州藩と接触する前に止めたほうが良いのでは?」

「止めても抜け道を探して接触するだろうよ。むしろ警戒させずに証拠を掴めばいい。それにだ……長州藩の輩は伊東を相手にせん」

「伊東は優れた人物です。それを無視するほど頑迷で盲目な者たちではないでしょう」

「近藤。おぬしは真っすぐだな」


 信長は眩しいものを見るように近藤に笑いかけた。


「伊東は新選組に所属しているのだ。抜けてもいないのに信用しろなど、虫の良いことを言っても信じてもらえぬ。新選組はそれほど憎まれており、恐れられているのだ」

「……つまり、伊東の働きかけは無意味に終わると?」

「ああ。そうなれば伊東は……新選組を抜けようと考える。愚かなことだがな」


 近藤は「山南さんのこともあります。簡単には抜けられないでしょう」と言う。


「いや。儂も法度を見たが、それこそ抜け道が多数ある。だが本当に愚かなのは新選組を抜けても『所属していた過去』は拭えない。それを伊東は分かっておらん」

「…………」

「苦しむことになる……ま、儂には関係ないがな」


 しばし間を開けて、近藤は「すると懸念けねんすることは一つだけですね」と静かに告げた。


「ああ。藤堂のことだ」

「平助は義理堅く責任感も大きい男です。伊東を新選組に誘った経緯もあり、新選組を抜けるかもしれません」

「……なあ近藤。一つ相談があるのだが」


 信長が策を語り終えると、近藤は苦い顔になった。

 しかしそれが藤堂のためになると分かった近藤は、この場に藤堂を呼ぶよう隊士に言った――



◆◇◆◇



 年が明けた頃だった。

 深夜過ぎ、信長は山野八十八と吉村貫一郎を引き連れて、寺田屋てらだやへと走っていた。

 目的は――坂本龍馬を助けるためだった。


 なんでも坂本は薩摩藩と長州藩の仲立ちをしようとしているらしい。

 その情報を掴んだ幕府は伏見奉行所ふしみぶぎょうしょを使って坂本を捕らえようとした。

 それを信長は阻止しようと考えた。


「しかし、美しい私にも分かりません。どうして坂本を助けようとするんですか?」


 走りながら信長に訊ねる山野に「今、死なれると困る」と信長は短く答えた。


「坂本の死をきっかけにして、薩摩藩と長州藩が手を結ぶ可能性がある」

「流石に結ばれたら幕府は窮地に陥りますね」


 納得した山野だったが、今度は吉村が「局長や副長の許可、出ていないんですよね?」と心配そうに言う。


「もし咎められたら――」

「儂が責任を取る。おぬしたちには迷惑をかけぬよ」

「そういう意味で言ったわけではありません。総長がどうなるのか、心配なのです」


 吉村は自分で言っておかしいなと感じた。

 初めは家族のために新選組に入隊した。

 はっきり言って尽忠報国など頭の片隅にしかない。

 だが今は、信長のことを慮っている。

 まるで己の主君のようにだ。


 それは信長の魅力というより、統率力と言ったほうが正しい。

 自然と人を従わせる不思議な力――魔力を彼は持っていた。

 流石、第六天魔王と名乗るだけはある。


「儂のことはどうとでもなる。気にするな」


 先ほど責任を取ると言っていたのに、おかしな話だと吉村は思ったが――敢えて追及しなかった。

 信長なりの気遣いだと彼にも分かったからだ。


 寺田屋の表は奉行所の者たちで大勢埋まっていた。

 このとき、三人はダンダラ羽織を着ていない。

 新選組として動いていないからだ。


「今にも踏み込みそうですけど……」

「山野。あの人数を見る限り、今来たばかりだろう。裏手に回るぞ」

「見つからないようにしましょう」


 裏に回ると木戸から湯気がもくもくと立っていた。

 客か宿の者か分からない……いや、この時間だと宿の者の可能性が高い。

 信長は「おい。宿の者か」と声をかけた。


「ええ!? 誰!?」

「声を立てるな。別に覗きではないわい」


 声の主が若い女だと気づいた信長は安心させるように言う。

 しかし警戒しているのか「……どなたですか?」と正体を聞こうとする。


「儂が誰なのか、どうでもいい。おぬし、坂本龍馬を知っているか?」

「龍馬さん……?」

「その呼び方だと知っているな? すぐに奴に知らせろ」


 信長は小声で「伏見奉行所の者が周りを囲んでいる」と言う。


「坂本を逃がせ。早く!」

「は、はい!」


 ざばっと湯から上がったその女は、そのままばたばたと外に出て「龍馬さん! 囲まれております! お逃げください!」と叫んだ。

 信長は頭を抑えた。そんな大声では京都奉行所にも聞こえる。


「どうしますか? 総長」


 山野の不安そうな声。

 吉村も心配そうにしている。


「……隣の宿から屋根伝いで行くぞ。例のものはあるな?」


 二人は戸惑いつつ頷いた。



◆◇◆◇



 坂本とその場にいた三吉慎蔵みよししんぞうは短銃と槍で応戦していた。

 伏見奉行所の面々はなかなか近づけずにいる。

 間合いの長い槍と遠くから攻撃できる短銃。

 しかも包囲は完璧ではない。


「おとなしくせよ! 坂本龍馬!」


 伏見奉行所の者が覚悟を決めて斬りかかる!

 三吉の槍を抜けて、坂本近づき両手を斬ってしまう。


「坂本さん!」


 三吉が悲痛な叫びをしつつ、槍で役人を追い払う。

 坂本は「手をやられたきに」と苦痛に顔が歪む。


「ここまでかのう――」

「――諦めるのはまだ早い」


 そのとき、窓のほうから現れた男がいた。

 人数は三人。しかし顔は分からない。

 何故なら、三人とも天狗面てんぐめんを被っていたからだ――


「な、何奴か!?」


 驚いた役人の一人が訊ねたものだから、真ん中にいた黒い天狗面の男が「ふひひひ。儂らのことか」と得意そうに言う。


「儂らは鞍馬天狗くらまてんぐよ! 義を見てせざるは勇無きなり! 我が友、坂本龍馬のために、助太刀いたす!」


 さっき考えた口上を述べつつ、格好良く見得を切る――元傾奇者かぶきもの

 赤い天狗面の男も格好つける。

 青い天狗面の男は照れている。


「く、鞍馬天狗!? なんで天狗が――」

「阿呆! お面被っているだけや! その者も捕らえよ!」


 役人が近づく――青い天狗面の男が素早く刀を抜いて、峰で役人の背中を思いっきり叩く。

 どたんと倒れる役人。それを見た黒い天狗面の男が短銃を発砲する。


「坂本。屋根伝いに薩摩藩邸に逃げ込め」

「お、おまんは……」

「いいから! さっさと行け!」


 坂本は「恩に着るきに!」と三吉と連れて出て行った。

 黒い天狗面の男は短銃を構えつつ「まだ弾は残っている」と冷たく言った。


「誰が犠牲になるのかのう」

「くっ……半数は逃げた坂本を追え! 残りは天狗どもを捕らえよ!」


 組頭と思わしき者が指示を飛ばすが、天狗面の男たちは次々と窓から脱出する。

 最後に威嚇射撃をして黒い天狗面の男は出て行った。

 残された役人たちが外を見る。

 そこには暗い闇だけが広がっていた。



◆◇◆◇



「ふひひひ。無事で何よりだわい」

「おまんも無理するなあ」


 信長は坂本と合流した――薩摩藩邸でだ。

 門番に事情を話して、中に入れてもらったのだ。


「どうして俺を助けた?」

「おぬしが死んだら、薩摩藩と長州藩が手を組むかもしれんからな」

「……ああ、それが目的だとしたら、遅かったぜよ」


 坂本は申し訳ないように手を合わせた――そのとき痛みでうめいた。


「遅かった? まさか――」

「ああ、そうぜよ」


 坂本は信長に嘘をつかなかった。


「薩摩藩と長州藩は手を結んだきに。薩長同盟さっちょうどうめいちゅうやつぜよ」

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