信長が桂小五郎と会ったのは、好奇心と暇つぶしの為である。
彼は新選組に所属しているが、本気でこの国を変えようと思っていない。
初めは成り行きだった。しかし今は山南との約束で新選組にいるというだけだった。
桂はそんな信長の胸中を知ってか知らずか、己の尊皇攘夷への思いではなく、ただ真っすぐに、無策のように――信長に弁舌をもって切り込んでくる。
「織田さんは今の幕府が限界だと分かっていますよね?」
「何をもって限界かは分からぬが、少なくとも長州藩よりかはマシだ」
「無論、三百年以上政治体制を保ってきた幕府に取って代われるほど、人材や財力があるわけではありません。おそらく雄藩による合同政治の形をとるでしょう」
信長はまあそうだろうなと思いつつ「そこでお前が頭になるつもりか?」と問う。
すると桂は「あまり興味ありませんね」と笑わずに答えた。
「僕は長州藩の代表みたいな立ち位置ですけど、本来は補佐役が似合っているんですよ。上に立てる人間なんて――限られています。翻って、今の将軍の家茂公はどうですか? 病弱であり、
「それでも血筋というのは力を持つ。尊皇だの勤皇だの言っているが、帝に力がある理由はそれだ。帝が絶対的であるからこそ、公家や武家はその正統性が保証される」
「その血筋を僕たちは無くそうとしています。帝を除く全ての血筋、血統という名の階級制度を無くして、才ある者が優遇される日本を作りたい」
桂はそこで坂本に目を向けた。
坂本は二人の話し合いに口を挟まず、ただ聞いていた。
「ここにいる坂本くんは土佐の生まれです。そして土佐は武士の中にも階級が存在する。
「攘夷だけではなく、倒幕まで考えておるのか。理想主義もここまで来たら見事なものだな」
「織田さん。僕に協力してくれたら、新選組を助けられます。今の情勢を考えるといずれ幕府は滅びる。長州藩を中心とした雄藩に。だが今、僕と約束してくれたら――」
信長は「秘密裏に結ぼうと考えているのか」と腕組みをした。
「しかしだ。おぬしら長州藩と結んだとしよう。どうやって幕府を倒すというのだ?」
「今、ここで協力すると約束してくれたら言いましょう」
「用心深いのう……ま、儂の答えは決まっている」
新選組六番隊隊長兼総長として言えることはただ一つ。
それを分かっていて――信長は言う。
「協力できぬ。他を当たれ」
桂は動揺せずに「理由を聞いていいですか?」と訊ねる。
「新選組を今更裏切れん。それに山南と約束したしな」
「山南……初代の総長ですか。彼の死の真相、僕は知っていますよ」
「なに? 誰から聞いた?」
桂は「伊東甲子太郎くんからです」と悪びれもせず答えた。
「何人か経由していますがね。彼は怯えていましたよ。自らの死で自分たちを縛り上げた山南くんのことを」
「だろうな。儂もゾッとする」
「ところで第六天魔王が死人との約束を守るんですか? それは滑稽ですね」
「儂は守れない約束はしない主義だ」
桂は「人の死を利用しないとまとまれない組織は狂っています」と言う。
「戦国乱世に生まれたあなたは、疑問に思わないだろうけど異常ですよ。正直気持ち悪いです」
「挑発しているのなら無駄だと言っておこう」
「挑発ではなく、ただの感想ですよ」
するとここで信長が「感想ならば儂も一つ言っておこう」と桂に告げた。
「先ほど、階級のない日の本を作りたいと抜かしていたがな。人間は平等にはなれん」
「……聞かせていただきましょう」
「階級を無くしても、今度は『才能』という現実があるのだ」
桂は沈黙した。
相槌すら打たない。
「才ある者が上に立つ世の中になれば、才の無い者はどうなる? 誰もができる仕事をするか? おそらく貰える禄が少ないだろうな。そして禄の高い務めは才のある者しかできなくなる」
「…………」
「そして才能とは能力だけではないぞ? 見栄えの良い者、人当たりが良い者、健康な身体を持つ者、そしてただ運が良い者。これだけ才の種類がある人間を平等にするなどできはせん」
信長は理想主義者に現実を突きつけた。
桂は第六天魔王に理想を一蹴された。
「それと儂が危惧しているのは、雄藩による政治の弊害だ。雄藩出身者以外の人間が政治に参画しようとなると要らぬ苦労をする。才ある者が国をより良いものにできなくなる。それでは階級があるのと変わりはしない」
「ならば、あなたはどんな日本を目指すんですか――織田さん」
問われた信長は「もし階級を無くすのであれば」と持論を述べる。
「才の無い者たちが笑って暮らせるような日の本だな。才ある者が無い者を守る。それが儂の理想だ。そのためには武士に代わった制度が必要である」
桂は沈黙してしまった。
目の前の初老の男を説得しようと思ったら、逆に飲まれてしまっている自分がいる。
ここで沈黙を貫いていた坂本が「これがノブという男ぜよ」と笑った。
「こん人を説得しようとか、懐柔しようとか、考えないほうが良いき」
「ああ、そうだね。しかし得難い人だ。是非長州藩に引き入れたい」
桂は「これならどうでしょうか」と信長に提案する。
「新選組の全てを長州藩に組み込みたい。局長の近藤たちも含めて。池田屋のことも水に流して。長州藩が幕府を倒せたら彼らを重職に就ける。この条件でも駄目ですか?」
「悪くない条件だが、やはりできぬな。近藤は根っからの佐幕派だ」
「そうですか……」
「それにだ。儂はなんというかな……」
信長は頬を搔く。
坂本や桂にも分かるほど、照れていた。
そして本音を打ち明けた。
「新選組の面々のことが好きなんだ。今の時代に侍になろうとしているあの者たちが。士道を貫かんとしているあの者たちが。たまらなく――愛おしい」
◆◇◆◇
「おぬしと話していて、分かったことが一つだけある」
信長は別れ際、桂に言った。
「雄藩と手を結ぼうとしているな? もしそれが叶えば――幕府は倒れる」
「ええまあ。あなたなら分かってしまうでしょう」
「儂はできるなら、それを阻止したい」
信長は桂と話していて、ようやく自分の中で折り合いがつけたことがあった。
それは幕府のことだった。
「儂は今まで目を背けていた。せがれが死んで禿ネズミが天下を取って、その天下を竹千代――家康が簒奪したことを」
坂本は「徳川に怒りがあるとや?」と信長に問う。
彼は首を横に振った。
「いや。是非も無しといったところだ。むしろ、儂がやってきたことを禿ネズミと家康が成したと考えれば――生きた証となっていたとも言える」
信長の考えは以前の彼なら出ないものだった。
しかし、幕府を守ろうとする新選組との関わりや新選組を守って死んだ山南との出会いで――何かが変わってしまった。
「今日の話し合いは無駄ではなかった。己の立ち位置を見つけられたと思う」
「聞かせていただきましょう」
桂の言葉に信長は笑って答えた。
「ふひひひ。家康が引き継いで、築いてくれた天下泰平を――この儂が守る」
それを聞いた桂は「なら、僕たちの敵ですね」と笑わずに答えた。
「今、あなたを帰すことに躊躇を覚えてしまいます」
「なら戦うか?」
「いえ。坂本くんの手前もありますから」
桂は背筋を正して「織田信長殿に申し上げる」と言った。
「あなたを打破して、幕府も打倒する――長州藩と理想のために」
それは誰が聞いても分かる、宣戦布告だった。
対して信長は「かかってくるがいい」と鷹揚に受け取った。
「言うのもなんだが、儂は手強いぞ? 武田にも勝ったからな。それとしぶとくもある。本能寺でも生き残れたからな」
「それは……本当に厄介ですね」
信長と坂本が屋敷を出るとすぐさま新堀松輔が「信長を消しますか?」と問う。
桂は「やめておこう」と言って――笑った。
「あの人は良くも悪くも時代を動かすお人だ。くだらないことはしたくない」