目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第42話信長、佐々木只三郎と会う

 新選組の屯所に珍しい客が来た。

 京都見廻組の佐々木只三郎ささきたださぶろうである。

 どうやら一部の隊士が見廻組の領分を犯したらしい。

 抗議のために来た佐々木に対し、近藤とその隊士の隊長である信長、そして土方が詫びを入れた。


「この度は申し訳ございませんでした。以後無いように、六番隊隊長と当該とうがい隊士に厳重注意しておきます」

「そうしてもらえるとありがたい」


 佐々木只三郎は近藤の詫びに対し、そのように応じた。

 佐々木は小柄ながらも小太刀の達人と呼ばれるほど鍛えられていて、所作に油断などなく眼光も鷹のように鋭かった。


「私もあまりつまらぬことで出向きたくないのだ。領分を犯すことは職務上ありえることなのだから。しかし、他の者の手前、私が出向かねばならん」


 正直な物言いに土方は「はっきりと言いますね」と鼻で笑った。


「ああ。これでも君たちよりも『格式のある者たち』で構成されているからな。下々の人間にも分かりやすく物を言ったほうがいいのだ」


 随分と横柄な言い方だなと信長は思った。

 無論、好感など得ない。

 だから彼は「反省しとるから、もういいだろう」と話を打ち切ろうとする。


「互いに嫌な思いをするのだから。格式の無いところにいてもな」

「君があの織田信長か。なるほど、酔狂すいきょうな人物と言えるな」

「大人しく治安維持でもやっとけ。儂らはもっとやることがある」


 信長の歯に衣着せぬ言い方に近藤は「信長さん!」と叱った。

 土方は内心、もっと言ってやれと思っているので何も言わない。


「君は礼儀というものを知らぬようだな」

「旗本だがなんだが知らんが、たいした手柄も立てられない無能組織に対する礼などないわ」

「……手柄? それは桂小五郎を取り逃がしたことか?」


 佐々木が素早く痛いところを突く。

 信長は「元々、会合に来ていなかった可能性もある」と冷静に答えた。


「いない者を捕らえるなどできるわけがない。それがおぬしにできるなら、今すぐ桂を捕まえろ」

「ふん……」

「ほれ。謝ったんだからさっさと帰れよ」


 まるで殿様のように偉そうな信長に青筋を立てながら「今後、気を付けるように」と捨て台詞を吐いて、佐々木は去っていった。

 土方は「偉そうにしやがって」と毒づいた。


「信長の言うとおり、手柄を立てられない鬱憤うっぷんを晴らしに来ただけじゃねえか」

「トシも信長さんもいい加減にしてくれ。今後はあの人と協力しなければならない局面もあるのだから」


 近藤は困ったように額を抑えた。

 信長は「腹でも痛いのか?」とからかうように言う。


「今度の会合で嫌味を言われると思うと……」

「近藤さんには悪いと思うが、俺はあいつが気に食わねえ」


 土方は個人的に佐々木のことが嫌いのようだ。

 生理的に受け付けないという顔をしている。


「俺はともかく、近藤さんを小馬鹿にしてやがる」

「ま、百姓上がりの田舎侍と思われているな」

「旗本がなんだってんだ。黒船が来たとき、何もできなかったじゃねえか」


 信長は「もう用が無ければいいか?」と腰を上げた。


「儂にも用事がある」

「ああ、そうだな。市中の見廻りの時間だ」


 全体の予定を組んでそれを覚えている土方が思い出したように言う。

 信長は「不逞浪士がいたら捕縛してくる」と部屋を出つつ答えた。


「六番隊に実戦経験を積ませないとな。一応、訓練で成果は出てきた。後は度胸だけよ」

「頼もしいですね、信長さん」

「……ああ、それと屯所に戻るのが遅くなるかもしれん」


 信長は土方に「構わないか?」と問う。


「それはあんただけか? それとも六番隊か?」

「儂だけだ」

「ならいいぜ」

「ありがとう。恩に着る」


 信長は頭を下げてその場から去った。

 やけに愁傷しゅうしょうな仕草に近藤と土方は顔を見合わせた。



◆◇◆◇



 市中の見廻りが終わった後、酒瓶を片手にふらふらと一人歩いている信長。

 ふと壬生寺の墓地へ向かう永倉新八の姿が見えた。


「おう。墓参りか?」

「うん? なんだ、信長さんか。妙なところで会うな」


 永倉は花と供え物を携えていた。

 信長は「誰の墓参りだ?」と何気なく聞いた。


「安藤と奥沢、それと新田のだ」

「……ああ、池田屋のか」


 永倉が名を挙げた三人は池田屋で殉職じゅんしょくした者たちである。

 彼らは裏口を守っていたのだが、そこに八名以上の勤皇志士が押し寄せて、斬られてしまった。


「どれ。儂も拝むとするか」

「……珍しいな。というより、しない人だと思っていた」


 違和感を覚える顔の永倉に「儂だって死者をとむらうぞ?」と困った顔の信長。


「父親の葬儀に抹香まっこうを投げつけたと聞くが」

「あれは……親父のせいよ」


 二人並びながら、安藤たちの墓を探す。


「四方八方、敵に囲まれていて。尾張国を統一する前に早死にしよった。そんな状況で家督を継げと言われたら、おぬしだって怒るわい」

「つまり、八つ当たりだったのか?」

「そうだ……いつの間にか、儂は親父より年を取ってしまったのだな」


 遠い目をする信長に対し永倉は既に信長を本物と認識している自分に気づかないでいた。

 安藤たちの墓に来た信長と永倉は、持っていた桶と手拭いで墓を洗った。

 信長と永倉にしては丁寧な手つきで掃除を終えると、線香と供え物の餅を置く。

 すると永倉がくすりと笑った。


「何を笑っておるのだ?」

「いや。不謹慎だと思うが。野口を覚えているか? 水戸派の」


 信長は「ああ。あの地味な奴か」と思い出した。


「いつの間にか切腹させられたな」

「その介錯をしたのが安藤なんだが……ふふ」


 少しだけ笑って永倉は言う。


「介錯を終えた安藤に俺は声をかけた。一緒に餅を突こうと。安藤は餅をこねる役をしたのだが……手を洗っていなかったんだ」

「……ふひひひ。それは食いたくないな」


 血生臭く、墓地でする話でもなかったが、妙な可笑しさを感じてしまった信長。

 永倉も吹き出してしまった。


「みんな唖然としていたな。そこへ左之助が来て『お。餅か。ちょうど良かった。島田の汁粉甘すぎて餅が欲しかったんだ』と止める間もなく――」

「ふひひひ! あやつ食いおったのか!?」

「後で言ったら流石に嫌な顔をしていた……ふふふふ」


 永倉は「今思えば」と安藤の墓の前でしゃがむ。

 信長も同じようにした。


「初めての介錯で動揺していたんだな。それに気づいてやれなかった」

「ま、そういうこともあるさ」


 そして合掌。

 永倉はあのときの詫びを。

 信長は普通に成仏を願った。


 奥沢と新田の墓参りが済むと、信長は「少し、付き合ってくれぬか」と言いにくそうに永倉に問う。


「実を言えば、沖田ですら誘ったことが無い」

「女でも買うのか? 俺は馴染みがいるから遠慮しておく」

「そうではない……」


 しんみりとしている信長。

 ふと永倉は、信長が飲めないはずなのに、酒瓶を持っていることに気づく。


「ま、今日は非番だ。付き合おう」

「であるか。すまないな、永倉」


 そうして二人は歩きだし、少しだけ長い道を歩いて、辿り着いたのは――


「ここは、妙覚寺か?」

「ああ、そうだ」


 辺りはすっかり暗くなっている。

 信長は慣れた足取りで墓地ではないところへ向かう。

 怪訝に思っていた永倉。しばしついて行って――息を飲む。

 目の前にあったのは、石碑だった。

 記された名は――織田信忠おだのぶただ


「せがれの墓はここにはないらしい。京のどこかにあるみたいだが」

「……ああ、そうか」


 信長は石碑に酒を注ぐ。

 永倉は黙って見守っていた。


「せがれは普通に酒が飲めた。しかし儂は知っての通り下戸でな」

「…………」

「酒を酌み交わすことがなかった。いつかではなく、やっておけば良かった」


 信長の目に涙らしいものが浮かんだ。

 しかし永倉は気づかないふりをした。

 とくとくと注がれる酒。

 石碑の表面がきらきらと濡れていく――

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?