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第41話信長、西郷吉之助と会う

「藤堂。山南は――満足して死んだのだ。気に病むことはない」


 信長は藤堂と沖田を連れて、新しくできた茶屋へと足を運んだ。

 気落ちしている藤堂は「しかし……」と言葉を濁す。


「いくら怪我の影響で、残り少ない寿命だとしても――私は生きてほしかった」

「それは私も同じだよ、平助」


 山南の介錯をした沖田が、いつもの明るい笑みを消して、神妙な表情で応じた。

 机に置かれた汁粉にも手を付けずに、淡々と彼は語った。


「できることなら介錯したくなかった。でも、大津の山南さんの養生先で、ノブさんと一緒に語ったんだ。それで分かってしまった」

「何を、ですか?」


 藤堂は沖田の目が潤んでいるのに気づいていたが、訊かずにいられなかった。

 藤堂と山南は同じ北辰一刀流を学んでおり、同門のよしみで仲が良かった。


「うん。あの人は死ぬつもりで、それは覆らないってこと」

「お、沖田さん……」

「私はね、ただ強くなりたくて――剣術を学んだんだ。強くなれば、近藤さんに褒めてもらえたから」


 沖田はそこでようやく笑顔になれた。

 触れたら壊れてしまいそうな笑みだったけど――笑った。


「単純に褒めてもらいたかったんだ。近藤さんに。それだけが私の向上心だった。だけど、山南さんを介錯して、近藤さんに『よくやったぞ』って褒められても――」


 沖田は温くなった茶を一気に飲み干した。

 それを信長も藤堂も黙って見守る。


「――全然、嬉しくなかった。それどころか後味が悪かった。私はこれから、何度も大好きな人を――この手で殺めるのだろうか」

「それが剣の道を歩むということだ。知らんかったのか?」


 信長は汁粉を食べながら「この汁粉のように甘いことを抜かすな」と言う。


「良いか? どんな題目を並べたところで剣術は人殺しの術に過ぎん。面を打てば額が割れる。胴を打てばあばらが折れる。小手を打てば手首が砕けて、突きを放てば喉が裂ける。防具を付けて稽古しなければそうなる技術なのだ」

「分かっています。しかし信長さんは割り切れとおっしゃるんですか?」


 耐えきれなくなった藤堂は信長に詰め寄った。

 彼自身、山南の死の原因が自分にある気がした。

 先生と慕っている伊東を引き入れなければという思いが強い。


「迷えば死ぬのが京の都よ。おぬしらがよく分かっておるだろ」

「……分かっているつもりでした」

「誠の名を背負う覚悟が、おぬしら二人にあるはずだ」


 信長は一気に汁粉をかき込んだ。

 それを見た沖田もやけになって汁粉を飲み込む。

 藤堂もそれに倣った。

 ここでは残すことなど許されない。


「藤堂。落ち込む暇があるなら、伊東たちの動きを逐一近藤に報告しろ」

「信長さんじゃなくて、近藤さんに?」

「総長とはいえ、勝手に動けないからな。沖田、おぬしはどうする?」


 信長は沖田の目を真っすぐ見た。

 沖田も逸らさない。


「人を斬るのが嫌なら、これ以上同志を斬るのが嫌なら、多摩に帰って近藤の道場を引き継げ。近藤も快く許可するだろう」

「…………」

「だが、おぬしに覚悟があるのなら――斬り続けろ」


 苛烈な物言いだった。

 年若い青年に問うには重すぎる覚悟だった。

 しかし沖田は――快活に笑った。


「京に残りますよ。そして斬り続けます」

「であるか。ならば腑抜けたことを申すでないぞ」


 信長は立ち上がって懐から財布を取り出した。

 珍しく奢るらしい。

 美しい顔立ちの女将を呼んで全員の会計を済ませる。


「美味しかった。また来るぞ――明里」

「ええ、ありがとうございます」



◆◇◆◇



 夕暮れ時。沖田と藤堂と別れた信長は一人で市中を巡回していた。

 ダンダラ羽織を着ている信長に対し、京の住民はひそひそ声で噂する。


「あの初老の男、新選組なのか?」

「声がでかい! ……織田信長を自称している隊長さんや」

「信長? 偽名か?」

「なんでも鬼どころか、閻魔さえも慄く――六番隊隊長兼総長の魔王さんや」


 そんな噂声を無視しつつ、信長は京でも大店である書店に入った。

 ここには兵法書が揃っているだけではなく、西洋の書物もあった。

 尊皇攘夷の志士たちには嫌われていたが、幕府が特別厚遇していたので手は出せない。

 信長はそこで面白い書物がないかと探していた――


「ふむ。西洋兵法書概略か」


 信長が目を付けたのは、西洋式の軍隊規律だった。

 それが日の本言葉で翻訳されている。

 信長が手を伸べた――同時に掴む者がいた。


「なんじゃおぬし。放さんか」

「……そっちこそ、放すでごわす」


 信長はまるで大入道みたいな男だなと思った。

 太い眉にぐりぐりとした目。達磨を横に並べても違いが分からないほどまん丸だ。

 相当鍛えられていると分かる体格に焼けた肌。

 言葉からして薩摩藩の者だと信長は看破した。


「儂が先に手を付けたのだ。放せ」

「嫌でごわす。俺が先に見つけた」


 信長は懐から短銃を取り出そうとして――男が「半次郎はんじろう、やめろ!」と突如怒鳴った。

 気が付くと首筋にきらりと煌めく刃が添えられていた。


「こん奴、西郷さいごう先生を馬鹿にしよった!」

「馬鹿にされただけで斬らねばならんなら、長州に人は住まんなくなっど」


 半次郎と呼ばれた男は相当な腕前らしい。

 止めなければ首を刎ねられていたほどだ。

 信長は「ふん。程度が知れるな」と笑った。


「複数で欲しいものを強奪しようとする――まるで夜盗のようだ」

「なんやと!」

「半次郎、やめろというのが分からんのか」


 すっと男が書物から手を放した。

 信長は「要らんのか?」とつい訊いてしまった。


「あんたの度胸に負けたわい。斬られるかもしれんと思うても、手は放さんかった……何者でごわす?」


 信長は男に「ま、おぬしになら名乗っても良かろう」と頷いた。

 相手が幕府に味方する薩摩藩の者だと分かった上だった。


「新選組六番隊隊長兼総長――織田信長だ」

「……あんたが、あの新選組の、信長か」


 男は驚いた顔で信長を見つめる。

 どうやら彼のことを知っているようだ。


「おぬしの名は?」

「……薩摩藩軍賦役さつまはんぐんぶやく西郷吉之助さいごうきちのすけでごわす」


 信長がわざわざ自らの所属と役職を述べたのは、相手からも引き出す狙いがあった。

 しかし噂に聞く薩摩藩の大物と出会うとは思わなかった。


「であるか。西郷、おぬしは薩摩藩邸にいるな?」

「日によって異なるが……なして?」


 信長は「この書物、貸してやろう」と笑って提案した。


「儂の後だけどな。ざっと読んでから貸してやるわい」

「いいでごわすか?」


 西郷は一瞬だけ、嬉しそうな顔をして、それから険しい顔に戻った。

 信長は案外子供みたいだなと思い、それから構わんとばかりに頷いた。


「ありがとうでごわす。番兵には伝えておく――行くぞ半次郎」

「……はい」


 西郷と半次郎はその場から去っていった。

 信長は「ふう、凄い腕だったわい」とのん気に言った。


「書物だらけの狭い空間で刀を抜ける技量。しかも制する声で止められる力量。凄まじいわ」


 信長は沖田とどっちが強いのかと考えた。

 ま、実際に立ち会わないと分からんな。そう思いつつ書物を購入した信長はその場を後にした。


 信長は知らなかった。

 薩摩藩は幕府の味方をしているが、いざというときにはどんな行動をするか、分からない複雑怪奇な藩であると。

 また関ケ原以降、徳川家に恨みを持つ点では長州藩と変わりなく、時勢によっては敵となる可能性があることを。


 信長はそんなことを知らずに西洋式の兵法書を手に入れて浮かれていた。

 これからの訓練に役立つなとしか思っていなかった。


 織田信長と西郷吉之助。

 二人の因縁は書店から始まった。

 その終点がどうなるのか、今はまだ分からない。

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