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第39話信長、まだ死なない

 山南の脱走は新選組全体に知らされて、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

 平隊士たちは京の市中を探すように命じられた。

 その中には信長の部下である山野八十八と吉村貫一郎の姿があった。


「吉村さん。今回の一件は意味が分かりません。山南総長が刀を振れなくなったのは知っていますが……」

「山野さん。あんまり憶測で言わないほうがいい」


 吉村は辺りに隊士がいないことを確認して――小声で話す。


「私たちに任されたのは『市中で山南総長を探すこと』です」

「そ、それは美しい私でも分かりますが……」

「ならばどうして『京の郊外での捜索をしない』のか、です。脱走を図ったのなら多人数でも市中を探そうが無意味でしょう」


 山野は吉村の言ったことを飲み込めずにいたが、徐々に「平隊士を屯所に残さないため、ですか?」と答えに辿り着く。


「屯所に我々が居たら、不都合が……」

「指示を出した土方副長の意図は分かりません。しかし――」


 吉村は山野ではなく、自分に言い聞かせるように言う。


「――幹部たちは、何かを考えている。それに触れるのは藪蛇だと思います」


 吉村の考えは半分当たっていた。

 山南の策を知っている者は土方と信長だけだ。

 だからこそ、試衛館以来の同志は――


「どうなっている!? 山南さんが脱走しただと!?」


 永倉が土方の部屋に入るなり、怒鳴り声を上げた。

 その後ろには原田と沖田、井上がいた。

 一方、部屋には土方と斉藤が座っていた。


「なあ。何かの間違いだよな? 山南さんがそんなことするわけねえよな?」


 原田が縋るように土方に言う。

 沖田も「そうですよ!」と同調した。


「あの賢い人が、こんなおかしなことを――」

「土方さん。もしかして特殊な任務ですか? 山南総長にしかできないことですか?」


 沖田の言葉を遮って井上が確認する。

 彼も副長であったが、自分には知らされていないほどの重要任務だと推察していた。

 そうではないと辻褄が合わない――


「そう、だな。山南さんにしかできない、特殊な任務……」


 土方がそこまで言うと――


「……それは私にも言えないほどの重要なことなのか、トシ」


 土方の部屋に入ってきたのは近藤だった。

 彼は困惑していた。山南と土方が言い争っていたのは分かっていたが、それは何らかの策だと認識していた。

 だけど、脱走してまでする任務があるとは思えない。


「……今から話す。部屋の戸、閉めてくれ」


 土方が相当疲れているのを近藤は感じ取った。

 だから何も言わずに座った。

 永倉たちもそれに倣った。


「山南さんは……切腹する。脱走した罪で。そうなるように俺と山南さん、そして信長と示し合わせた」


 その言葉は場の空気を重くさせた。

 永倉は「説明はそれだけじゃないですよね」と追及する。


「俺たちは、そんな短い説明で納得できねえぞ――土方副長!」

「……一昨年、山南は大坂で重傷を負った。右手が使い物にならなくなった事件だ。そのとき、脇腹を刺されて……」


 土方はふうっと溜息をついた。

 そうしないと彼自身耐えきれなくなる。


「……腎の臓が駄目になった。そのせいで身体が次第に弱わっていき、やがて死ぬ」

「ほ、本当かよ? だって、山南さん、一言も――」

「左之助。俺だって知らされたのは、一月のことだ」


 井上は「それと今回の脱走、関係あるんですか?」と震える声で訊ねた。


「ああ。伊東甲子太郎の一派が――隊を脱して新しい組織を作ろうとしていた」

「なんだと? あの人がか?」


 伊東の誠実な人柄を知っている近藤は驚いた。

 土方は「斉藤にも調べさせた」と横にいる彼を指した。


「どうも自分がやりたいことと違っていたらしい。同調した者が四十人もいた」

「そんなにか?」

「ああ。それを止めるためには方法は一つしかない」


 土方は静かだが、それでいて威厳を込めた声で言う。


「局中法度。勝手に隊を脱することを許さず――」

「……まさか。トシ、冗談だろ?」


 全てを悟った近藤は苦悶の表情を浮かべた。

 永倉と井上も遅れて気づく。

 沖田と原田は何も分かっていない。


「この法度で奴らを縛る――死という恐怖で。最初期の大幹部である山南が脱走の罪で腹を切れば、この法度は絶対的な物になる。例外など許さない」


 そこまで言って全員が理解した。

 山南と土方、そして信長の策を――


「尊皇攘夷を行なう前に死ぬなど、伊東たちにしてみれば圧倒的な恐怖。ましてや下に付いた者たちも恐れ戦くだろう」

「そ、そんなことしなくてもよ。伊東たちとその四十人処罰すればいいだろ?」


 原田の言葉に「そんなことできねえ」と土方は断じた。


「新選組が崩壊しかけねえ。内部分裂しちまう」

「で、でもよ――」

「――左之助ぇ!」


 なおも反論しようとした原田に対し、怒声を発する土方。

 百戦錬磨の男である彼が黙ってしまうほどの迫力。


「これしか方法がねえんだよ! 由緒も伝統もねえ、できたばっかの歴史の浅い、主従の交わりもねえ、俺たち新選組がまとまれるのは――」


 土方の目から涙が零れた。

 それで原田は何も言えなくなった。


「――血に濡れた局中法度しかねえんだ! 分かっているだろうが!」


 言い終わった土方は荒い呼吸をしていた。

 全員が水を打ったように静まり返った。


「……これは全て、山南さんが言い出したことだ。でもよ、俺は止めなかった」


 土方は涙を流して、近藤に言う。

 黙ったままの近藤に、言う――


「どうして止めなかったのか。それは病のことがあったからだ。寿命で死ぬより、最後に大仕事させて、武士らしく切腹させてやろうと思ったんだ。あいつらしい死に方を選ばせてやりたかった」


 土方は全員に向かって土下座した。

 彼なりの贖罪だった。


「頼む。近藤さん。山南さんを切腹させてくれ。これはあいつの親友としての頼みでもある」

「…………」


 近藤は深く頷いて「山南さんは今、どこにいる?」と訊ねた。


「大津だ。山南さんが養生していた場所。信長と一緒にいる」

「……総司。お前行ってこい」


 近藤の命令に放心状態だった沖田は「私がですか?」と小さく反応した。


「平助がいたら一緒に行かせたが……あいつは江戸だからな」

「……承知しました」


 沖田は近藤が言葉にしなかったことを悟った。

 最後に語り合ってこいという意味だった。


「皆、自室で過ごしてくれ。話は以上だ」


 近藤と沖田が出て行った後、土方がそう言って顔をそむけた。

 一番初めに立ち上がったのは永倉だった。原田を伴って出て行く。

 井上は心配そうにしていたが、やがて出て行った。

 最後に残ったのは斉藤だった。


「お前、出て行かないのか?」

「今ここで出て行ったら――土方さん、腹いせに不逞浪士を斬りに行くかもしれないからな」

「……お前の勘は、本当によく当たるな」

「勘じゃない。俺だって同じ気持ちなんだ」



◆◇◆◇



「山南さん……」

「あ、沖田くん。こっち来なよ」

「沖田。何を遠慮しとる?」


 大津の山南の養生していた家に着いた沖田。

 そこでは山南と信長が雪と月を見ながら、茶を楽しんでいた。

 まるでこれから切腹しようとは思えないほど、穏やかな光景。


「土方さんから聞きましたよ」

「ああ。うん。そうか」

「信じられなかったけど、信じるしかないんですね」


 沖田は泣いていた。

 同時に呆れて笑っていた。


「山南さんが腹を切るのは――止められないんですね」

「…………」


 山南は黙って頷いた。

 信長は「沖田、こっち来い」と言う。


「最後の語らいぞ。悲しそうにするな」

「……あはは。最後だから、悲しいんじゃないですか」

「馬鹿者。最後だから――楽しく終わるのだ」


 信長は笑っていた。

 山南が死ぬのに、友人が死ぬのに、笑っていた。


「――泣くな、うつけが」



◆◇◆◇



 山南が沖田と信長によって屯所に連行されたのは、二月二十二日のことだった。

 全隊士が集まる中、近藤が険しい顔で山南に問う。


「何故――隊を脱した?」

「今の新選組とは異なる、新たな組織を作ろうとしました」


 近藤が「ふざけるな!」と一喝した。

 隊士の中には失神してしまうほどの迫力だった。


「許可もなしに勝手なことを!」

「なら今からでも許可をください」

「それこそ、ふざけるなだ! 明らかな脱走行為を――」

「お、お待ちください! 局長!」


 他の幹部が見守る中、待ったをかけたのは伊東だった。

 彼にしてみれば意味不明だろう。

 共に別組織を作ろうとした山南が突如脱走し、裁きを受けている。

 そして自ら死を望んでいるような――


「どうか、寛大な処置を――」

「口を挟むなぁ! 伊東ぉ!」


 地獄の鬼すら恐れる怒声に伊東は声を出せなくなった。

 普段の冷静な彼なら何か言えたかもしれないが、状況が分かっていないので止めようがない。


「新選組から新しい組織を作りたい? 戯けたこと抜かすな! 総長であるお前なら、局中法度がどれだけ重いものか、分かっているだろう! 古参の幹部だからこそ――許せん!」


 近藤は怒りのまま、山南に言い渡した。


「新選組総長、山南敬助――切腹せよ!」


 それを受けて山南は平伏した。


「かしこまりました。法度に従い、切腹いたします」


 これが、新選組だった。

 思想が異なっても、局中法度が絶対であるのが、新選組。

 それを伊東たちは思い知らされた――



◆◇◆◇



 介錯役は沖田。

 立会人は試衛館以来の同志と信長だった。

 二月二十三日の夜のことである。


 白装束に着替えた山南は用意された切腹の場に座る。

 それを近藤たちは見守っている。


 近藤は切腹を申し渡した時と同じ険しい顔。

 土方は無表情であったが唇を噛み締めていた。

 永倉は無言のまま、一人の男の覚悟を見守っていた。

 原田は号泣していたが、決して眼を逸らさない。

 井上は奥歯を噛み締めて、悲しみに耐えていた。

 斉藤は拳から血が滲むほど、強く握りしめていた。


 そして信長は――にっこりと笑っていた。

 安心しろと言わんばかりに、笑っていた。

 山南は彼らに対して、穏やかな笑みで返していた。


 介錯をする沖田は呼吸を落ち着かせていた。

 安らかに逝かせることが彼の務めだ。


「それでは、皆――さらばです」


 別れの言葉を述べた山南。

 沖田に「合図をするまで、斬らないでくれ」と頼んだ。

 そして――右手で刀を掴んだ。

 全員が思った――右手は動かないはず。


「――ふんっ!」


 動かないはずの右手を、なんとか動く左手で支えながら。

 ゆっくりと腹を割いていく――山南。

 そして、ある時点で確信した。

 ああ、役立たずだった腎の臓を――ようやく右手で斬れた。


「……沖田くん」


 山南が沖田を呼びかけた――

 少しの間も置かずに、沖田は務めを果たした。



◆◇◆◇



「信長。山南が残した新選組の隊編成だ」


 切腹から半刻もせず、信長は土方に紙を見せられた。

 一番隊隊長、沖田総司と隊長の名が書かれている。

 その中には六番隊隊長、織田信長と記されている。


「儂が六番隊隊長だと?」

「加えて総長の兼任だ。これで名実ともに新選組の二番手だな」

「お前が務めれば良かろう」


 土方は「伊東が諦めるとは思えねえ」と小さく言った。


「その備えとしてあんたが就いてくれ。これは山南が決めたことなんだ」

「あやつめ……ま、良かろう。守れない約束はしないのが信条だからな」


 信長はそう言って「土方。これからどうなると思う?」と訊ねた。


「分からねえよ。そういうことは山南さんが考えてくれてた」

「おぬしが考えねばならんのだ。何故なら、近藤と共に新選組を引っ張っていくのが役割だからな」


 土方は「どいつもこいつも勝手なことを言いやがる」とぼやいた。


「ま、その辺は源と相談するがいい」

「そうだな……」


 信長はそう言い残して去っていった。

 一人残された土方は呟く。

 空に浮かぶ月を見て――


「水の北、山の南や、春の月……」

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