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第38話信長、後を託される

「ふざけんな! だったらどこに移転すりゃあいいんだよ!」

「だからと言って! 寺内に屯所を作るのはいかがなものか!」


 連日、土方と山南は言い争っていた。

 その内容は屯所を西本願寺にしほんがんじへ移転することだった。


 西本願寺とは戦国時代の本願寺が東西二つに分かれておこった寺院だ。

 関ヶ原の戦いで徳川家に味方した本願寺教如きょうにょが褒美として東本願寺を賜り、逆に幕府を敵対しているのが西本願寺である。そのような経緯から西本願寺は長州藩らの不逞浪士を寺内に匿っていた。そこで新選組が屯所として使うことで見張りも兼ねようとしていた。


 余談ではあるが、本願寺が二つに分裂したと聞いた信長は「竹千代め、上手いことをやりよるわい。流石に三河一向一揆みかわいっこういっきで懲りたか」と大笑いした。


「殺生を嫌う寺院で軍事訓練なんてできないだろう!」

「それがどうした! 不逞浪士を匿っている寺だぞ! 文句は言わせねえ!」

「あくまでも噂に過ぎない!」

「ならてめえが屯所の問題、解決しろよ!」


 怒鳴り合いが廊下にまで聞こえる。

 それを仲裁しているのは、斉藤一だった。


「ふ、二人とも。ここは抑えて……」

「斉藤! てめえはどっちの味方なんだ!」

「君も交渉に動いているらしいな! 即刻やめなさい!」


 元々口下手な斉藤はすっかり辟易へきえきしてしまっている。

 信長はそのいさかいを余所に昼寝をしていた。

 そこへ沖田が不思議そうな顔でやってくる。


「あ、ノブさん。どうして二人は芝居なんてしているんですか?」

「やはり、おぬしには分かるか。誰にも言うなよ?」


 信長は起き上がって沖田を部屋に招き入れた。


「分かりますよ。あの二人、本気で怒っていないって。そもそも、山南さんは怒ったら無言になるし。土方さんは山南さんの意見を尊重しますし」

「であるか。繰り返すが誰にも言うなよ?」

「はあ……」


 信長は沖田の困惑した顔を見て、それから優しく声をかけた。


「なあ沖田。儂にも山南の企みは分からん。だけどな――」


 第六天魔王は、稀代の天才剣士に告げた。


「――あやつらが何を選択しても、決して迷うな。本懐を遂げさせてやれ」

「わ、分かりました……」


 この時点で信長も知らなかった。

 山南が何を企んでいるのかを――



◆◇◆◇



 斉藤一は伊東派の新井忠雄と親しくなった。

 これは当人の意思ではなく、土方の命令だった。

 斉藤が新井と親しくなるのには二つの目的があった。


 一つは斉藤と新井を古参と新参の架け橋とするため。

 要は交友を深めるきっかけとなればいいと考えていた。

 斉藤は無口だが、それゆえにぼろを出さない。


 そしてもう一つは――間者として潜り込ませるためだった。

 派閥争いをして新選組を乗っ取るつもりなら未然に防ぐ必要があった。


「それで、斉藤。伊東たちはどうだ?」

「どうやら、新選組を抜ける相談をしている」


 斉藤の報告に、土方は「まだ半年も経ってねえじゃねえか」と鼻を鳴らした。


「そんなに尊皇攘夷ができないことに苛立っているのか」

「やっていることは市中の巡回と軍事訓練だから……」

「なあ斉藤。あいつら局中法度があるのにどうやって抜けるつもりなんだ?」


 勝手に隊を脱することを禁じる。

 もし破れば切腹に処す。

 新選組の重い隊規である。


「それは分からない……近藤さんには?」

「いや、まだ報告していない。山南さんが何か画策かくさくしているようだから――」


 そのとき、外から「副長、お手紙が来ております」と島田魁の声がした。

 土方は障子を開けて「誰からだ?」と問う。


「えっと……島原の天神で……明里あけさとらしいです」


 送り名を見て読む島田に対して、土方は奇妙に思った。

 しかし顔には出さず「すまないな」と受け取った。


「土方さん。女ですか?」


 障子を閉めた土方に斉藤が問う。

 土方は「いや、山南さんだ」と答えた。


「明里は山南さんが贔屓ひいきにしている女だ。それに俺は彼女の客になっていない」

「内容は?」

「三日後に話し合いたいことがあるようだ。俺と山南さんと……信長を非番にしてくれと」


 信長の名が出ると斉藤はあからさまに嫌な顔をした。

 大坂の一件以来、どうも苦手意識を感じていた。


「なんだお前。信長嫌いなのか?」


 目端めはしの利く土方は敏感に斉藤の変化に気づく。

 斉藤は「こういうことを言うのはなんだが」と土方に直言した。


「信長は斬るべきだと思う。伊東以上に」

「勘で言っているのか?」

「そうだ」


 土方は困ったように頭を掻いた。

 斉藤の勘はよく当たるのだ。



◆◇◆◇



 土方が明里のいる島原の座敷に向かうと、そこには山南と信長が既にいた。

 この場には明里自身はいない。彼ら三人だけだ。


「悪かったね、土方くん。こういう形でしか、会えなくて」

「まったくだ。外は雪が降っているぜ。すげえ寒い」


 一月のことだから当然である。

 軽口を叩きながら雪で濡れた羽織を脱いで、土方は山南と信長に向き合う。

 しかし信長は一言も話さない。

 何かを覚悟しているようだった。


「それで、伊東の動向でも掴んだのか? あいつは隊を抜けようとしているらしいが――」

「同調者が四十名いることは知っているかい?」


 静かに伝えられた、俄かには信じられない言葉。

 流石の土方も思わず黙り込んでしまう。


「隊士を募集して、三か月。彼らには新選組に愛着がない」

「そうか……」

「先日、同調者の名簿を見る機会があってね。覚えてここに記してある」


 四十名の名を覚えるなど、山南にとっては造作もないことである。

 差し出された書状を見つつ土方は「伊東を斬るのか?」と問う。


「それは下策だよ、土方くん。そうなれば同調者の四十名も何かしらの処分を下さないといけない。戦力が落ちてしまう」

「ならどうする? 許すのか?」

「私はそんな甘い男ではないよ」


 そこで信長が「ようやく、分かったわい」と呟いた。

 それは土方も山南も反応してしまうほど疲れた口調だった。


「山南。貴様は……」

「信長さん。私から言わせてください」

「であるか」


 土方はこのやりとりで嫌な予感がした。

 何かが壊れてしまうような感覚。

 そしてそれは的中することとなる。


「土方くん。私は――死ぬんだ。後一年くらいで」


 しんみりとさせないつもりで山南は言った。

 そして土方の感情を揺り動かさないように気を配った。

 でも声が震えてしまったのは否めなかった。


「……いつ、知ったんだ?」


 無表情の土方から漏れた言葉は、意外と冷静なものだった。

 鬼の副長と呼ばれる所以の、烈火の如く燃える怒りはそこにはなかった。


「怪我を負って、回復してから。どうも腎の臓が上手く機能しなくてね。徐々に衰弱していく」

「治る見込みはないのか?」

「腎の臓が回復しない限り、無理だね」


 土方は酷くかすれた声で「あんたは、いつ知った?」と信長に問う。


「去年……いや一昨年の暮れか。その時に気づいた」

「どうして、言わなかった?」

「おぬしは山南の口止めを――破ることができるか?」


 信長の言葉に「悪い、馬鹿なことを訊いた」と珍しく土方は謝った。


「それで、ここからが重要なんだ、土方くん」


 自分の寿命などどうでもいいとばかり、山南は話を先に進めた。


「伊東たちを新選組に引き留めておく策がある」

「……どんな策だ?」

「彼らが一番恐れていることは、尊皇攘夷を行なえないことだ。それは言い換えると――」


 山南は暗い目で言う。


「――今、死ぬことだ。何も成せずに死ぬことが最も彼らが恐れることだ」

「……なあ、山南さん。あんたはそこまで覚悟しちまったんだな」


 土方は山南の一言を聞いて全て悟った。

 信長はそんな二人を見るのが耐えきれなくなり、眼を逸らした。


「あんたは、自分を――」

「やはり君は、新選組副長に相応しい男だ」


 山南は穏やかに笑った。

 土方の目から熱いものが零れる。


「俺はあんたに、何かしてやれたか?」

「私の居場所を、守ってくれた」

「それで十分なのか?」

「それで十分さ」

「あんたは、俺たちのために、新選組を守ってくれる。だけど――」


 土方は言葉を切って、目元を拭って、山南に誓う。


「俺は新選組を生涯守り続ける」

「……土方くん」

「あんたが居なくなった後でも、最後の一人になっても、守り続ける」


 そこに信長が「最後の一人にはならんわい」と付け加えた。


「儂も微力ながら、手伝わせてくれ――土方副長、山南総長」

「信長さん……」

「儂もお前のいた場所を守る」


 信長は盃を渡した。

 酒ではなく、茶だったが――山南はゆっくりと飲み干した。


「だから安心して、死ね――山南敬助」

「ああ。ありがとう――信長さん。そして土方くん」


 山南は嬉しかった。

 この二人なら下手に止めようとしないのは分かっていた。

 自分の思いを受け止めてくれると思った。

 だから――安心して死ねる。

 後を任せられる。


 新選組総長、山南敬助が脱走したのは、二月二十日のことだった。

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