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第37話信長、怒られる

「……おまんに会う気がしなかったき」

「池田屋だな。知り合いでもいたか?」


 十一月の中頃。

 一人で市中の見廻りに出ていた信長は、ぶらぶらと警戒もせずに歩いていた坂本龍馬と遭遇した。

 信長は「よう。坂本」と声をかけたが、坂本は「ああ、おまんか……」と元気がなかった。

 そして理由を聞くと――彼の同志である望月亀弥太が池田屋で死んだという。


「長州藩邸の前で自害しちょったき。おそらく匿ってくれなかった……」

「そうか。運が無かったな」

「あいつの人生じゃき。仕方ないとはいえ、悲しいぜよ……」


 信長は「儂ら新選組を恨むか?」と当たり前のことを訊いた。

 坂本は「少しはな」と悲しげな顔で答えた。


「俺も人間で、親しい人間が殺されたら悔しいし恨むぜよ。それでも運が無かったと割り切るしかない……」

「であるか」

「信長さんがやったわけでもない。亀には弾の跡がなかったぜよ」


 池田屋では信長も刀を抜いたが、相対した人間を逃すほど彼は甘くない。

 だからおそらく別の人間の仕業だろうと考えた。


「往来で話すのもなんだ。どこかで飯でも食わんか?」

「ふふふ。おまんと会うときはいつも食事するぜよ……」


 寂しげに笑った後、坂本は了承した。

 そして信長御用達の料亭へと移動する。

 中で料理に舌鼓を打っていると「信長さんはどないするつもりなんですか」と坂本が問う。


「このまま新選組にいていいんか?」

「機を見て離れるつもりであったが……それも叶わなくなった。今の儂は副長助勤だからな」

「おまんならいつでも抜けられると思うが?」

「それもそうだな」


 信長の脳裏に沖田や近藤、土方に山南、そして永倉たちの顔が浮かんだ。

 それらを思うと、何故か笑みが浮かぶ――


「この儂としたことが、居心地の良さを感じてしまったらしい」

「居心地の良さ? 人斬り集団の中に?」

「キンカン頭に襲われる前のほうがもっと殺伐としていたわい。謀叛も起こされた」


 信長は「弟の信勝とその家臣の林と勝家……」と指を折りながら数え始める。

 両手では足りなくなったのを見て、坂本は思わず噴き出した。


「あっはっは! いくらなんでも裏切られ過ぎるぜよ!」

「ふひひひ。まあな……おぬしはそのほうが良いぞ」


 信長は笑顔の坂本に言ってやった。


「笑え。快活にな。いつものうてんきで明るくいろ。そうすればおぬしの説く理想とやらが現実になる」

「…………」

「暗い顔でいつまでもいてみろ。世の中なんぞ変えられぬぞ?」


 坂本は苦笑いした。

 暗くなった原因に所属している男から、まさか励まされるとは思わなかったのだ。


「おまんには負けたぜよ……信長さん」

「うつけが。おぬしにはまだ、老獪さが足らんわ」



◆◇◆◇



 屯所に帰った信長はとある部屋から喧々諤々《けんけんがくがく》と尊王論を話し合っているのが聞こえた。

 中心となっているのは伊東大蔵――新選組に来てから甲子太郎かしたろうと改名した――で彼の派閥である篠原秦之進しのはらしんのしん服部武雄はっとりたけお加納鷲雄かのうわしおも論に参加している。信長はその中に斉藤が近頃親しくしている新井忠雄あらいただおもいることに気づいた。


「ああ。信長さん。あなたも議論に参加しますか?」


 信長にそう話しかけたのは山南だった。

 すると中から「おお、どうぞ」と伊東が声をかけてくる。


 伊東は端正な顔つきで誠実そうな印象を他人に与える優男だった。

 物腰が柔らかく穏やかで、滅多に声を荒げることもない。


「かの有名な織田信長殿の意見も聞きたいです」


 そうは言うものの、伊東は信長が騙っていると考えていた。

 常識人なのだから当然である。信長ももはや慣れてしまった。

 しかし指摘しない程度の器量を持っている伊東の誘いを面白いと感じた信長は「いいだろう」と山南と共に中に入った。


「それで、足利義満あしかがよしみつの話でしたっけ?」

「ああ。あの方は恥も外聞も無く、みんの家臣となり、朝貢ちょうこうを受ける側になった……」

「元々、足利は後醍醐ごだいご天皇を裏切って征夷大将軍となった逆賊だ」

「売国奴になって当然とは言えばそうだが……」


 初めは歴史の勉強だったが、徐々に今の幕府に矛先が回っていく。

 今の幕府の弱腰外交は朝貢と同じだと声高に言う。

 信長はどうして山南が参加しているのかと思いつつ話半分に聞いていた。


「信長さん。あなたは朝貢についてどう思う?」


 話を振ったのは篠原秦之進である。

 あまり話を聞いていなかった信長は「別に、何とも思わん」と本音で答えてしまった。


「な、なんだと!?」

「儂が生まれる前から行なわれていて、今はもうやっていないんだろ? どうでもいいわい」

「し、しかし。明に従っていた事実――」

「というより、おぬしら勘違いしとらんか?」


 信長はその場にいる全員に言う。

 伊東はあくまでも穏やかに「勘違いですか?」と問い返す。


「そもそも、朝貢の目的は貨幣を輸入するためだった。それはもちろん知っておるな?」

「か、貨幣の輸入……?」

「なんじゃ知らんのか。儂が生きていたときは、貨幣は皆、明銭か宋銭だったぞ」


 信長は子供にも分かりやすいように説明し始めた。


「日本古来の貨幣制度は大陸のものを引用したんだ。しかしいろいろあって失敗に終わった。そこで日の本が行なったのは――海外から貨幣を輸入することだった」

「ほ、本当ですか!?」

「そりゃあ朝廷には貨幣を鋳造する権利こそあったが、権力がなかったのだ」


 朝廷を軽んじる言葉だったので、伊東派の人間は殺気立った。

 それに構わず「もし朝貢を行なわなかったら」と続けた。


「貨幣不足となって物が買えず、日の本は滅んでしまっただろうな」

「かと言って、家臣に成り下がるのは――」

「別に出兵義務などなかった。ただ名目だけ家臣になれば莫大な富を得られる。得だらけではないか」


 信長は合理的な性格の持ち主である。

 良いと思ったことを取り入れる器の大きさも持っていた。

 しかし不要なことや、理に合わないことを嫌ってもいた。

 そこが魅力であったが、権威主義の人間には不評だったのは事実だ。

 現に、伊東派の者を苛つかせている――


「信長さん。あなたは勤皇の志がないのか?」


 山南が険しい顔で信長を責め始めた。

 何故、怒っているのか分からない信長は「あるにはある」と戸惑いつつ答えた。


「帝に献金したり、御所の壁を直したり……親父の代から献金はしている」

「それもこれも! 帝を利用するためでしょう!」


 山南が初めて信長を怒鳴った。

 これには伊東もその一派の人間も、議論に参加していた隊士も驚いた。


「あなたには尊皇攘夷の志がないのか! だとしたら何のために新選組にいるのか!」


 このとき、信長は何かを察した。

 そしてあくどい顔になり――


「ふひひひ。不逞浪士を斬り殺すだけで金が入るのだ。これほど楽な仕事はないわい」

「この――」


 山南が立ち上がろうとするのを見て「分かったわい」と信長は両手を挙げた。


「おぬしには敵わん。出て行くから許せ」


 そのまま情けなく出て行く信長。

 部屋から離れたところで信長は確信した。


「あやつ、伊東派に潜り込む気だな……」


 そのために信長を誘ったのだ。

 彼の性格から余計なことを言うに違いないと思い、それに対して怒れば伊東たちの信頼を得られる。

 今頃、信長の悪口を言い続けて伊東になだめられているはずだろう。


「何が目的か。それは分からんが……」


 信長は顎に手を置いて考え込む。


「これから、近藤派として山南と喧嘩せねばならんな。はあ、面倒だわい」


 信長は溜息をつきつつ、沖田を探しに行った。

 夕飯でも一緒に食わないかと誘うつもりなのだ。


 それから信長は山南と度々衝突を繰り返した。

 さらに山南は土方とも揉めた。

 その揉め事は――屯所の移転問題が発端だった。

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