池田屋の一件で新選組の名声は大いに高まった。
長州藩ら不逞浪士による御所への放火の計画――事実は違うのだが――を未然に防いだことで会津藩と幕府に評価され、報奨金も多く出た。
出動した隊士だけではなく、屯所を守っていた隊士にも報奨金代わりの金子を渡したのは、その辺りに神経質な土方である。彼は自分の報奨金から分け与えていた。唯一、それを受け取らなかったのは山南だけだった。
「剣も振れない役立たずな身の上にはもったいないよ」
そう笑っていたのだけれど、土方は少しだけ違和感を覚えた。
まるで死を覚悟しているような――あるいは
そんな彼らに信長はこんな提案をした。
「なに? 山南さんを副長の上に置く?」
「またおかしなことを言い出しやがって……」
その場には近藤、土方、山南、井上、そして信長がいた。
周りが浮かれている中、信長は組織を固める方針を提案していたのだ。
「今、新選組は上り調子にある。ゆえに
「へえ。それが山南さんを上に置く理由になるのか?」
土方の問いに信長は「全体のまとめと相談役として山南を近藤の下に置く」と答える。
「指揮は土方。お前が執るんだ。つまり山南はこれからの新選組の先々まで予想し、実務は土方が行なうんだ」
「待て。それじゃ近藤さんはどうなる?」
土方は近藤を頭にして新選組を動かすのを念頭に、今まで動いていた。
その基本が崩れるのはあまりよろしくないと考えていた。
「近藤には――新選組の頭として、新選組の地位を引き上げてもらう」
「地位の引き上げ?」
土方はぴんと来ていなかったようだが、山南は察しがついたようで「以前、私が話していたことですね」と応じた。
「そうだ。
「なるほど。いずれ起こる外国との戦争、もしくは長州などの雄藩相手の戦争に備えてのことですか」
病に侵されても、先を見通す力が冴え渡っている山南。
否、先がないからこそ――先が分かるという矛盾。
「実のところ、近藤には前もって話していた」
「そうなのか、近藤さん」
「ああ、トシ。私はこれから
信長は「それでここからが重要なのだが」と四人に告げる。
「近藤は外へ新選組を宣伝してもらう。そして徐々に軍隊化していく。山南は今後の方針と内務を。土方は実務を取り扱ってもらう。そして沖田や永倉たちには軍事訓練を積んでもらいつつ、今まで通り京の治安維持を行なわせる。一応、治安を守ることは新選組に課せられた任務だからな」
信長はそこで言葉を切って「源。おぬしに頼みがある」と告げた。
正直、どうして自分がここにいるのか分からなかった井上は「な、なんでしょうか?」と戸惑いつつ応じる。
「おぬし、副長をやってみんか?」
「わ、私がですかあ!?」
驚愕する井上に土方は「なんでそんなに驚くんですか?」と不思議そうに言う。
「俺でも源さんが副長になるって分かりましたよ」
「ひ、土方さん。でも、私なんかでは――」
「源さんなら任せられると思うんだ」
近藤は優しげに言った。
「トシだけでは手が回らないところもある。それに源さんなら誰も不満はないだろう」
「しかし……信長さんは駄目なんですか?」
井上が信長を指し示した。
「先日の池田屋でも大活躍したじゃないですか。総司を助けたりして。それに副長代理をやった実績もあります」
「あー、すまん。儂はどうも駄目らしい」
信長は井上に申し訳なさそうに言う。
まるで責任を押し付けてしまったような顔だ。
「儂は試衛館からの仲間ではない。そんな奴が幹部以上になってみろ。儂を担いで派閥を作ることになる。そうなったら儂は芹沢の二の舞よ」
「そ、それは……」
「加えて儂は土方と性質が同じだ。どうも厳しくしてしまう。だが、おぬしは違う。各々の隊士に目を配れている」
信長の言っていることは道理だった。
さらに近藤からも頭を下げられてはなるしかなかった。
代わりに信長は席の空いた副長助勤に任命された。
浪士目付方筆頭と兼任である。
「山南さんの地位はなんという名前だ?」
「ああ。『
土方の問いに信長は簡単に答えた。
山南は「拝命いたします」と簡単に頷いた。
「それから隊士を募集せぬか? たった四十人では軍とは言えぬ」
「ええ。実は江戸で隊士を募集しようと思います」
近藤は前々から隊士が脱走するのは、地元が近いからと考えていた。
京より遠い江戸ならば易々と脱走もできない。
それに近藤勇が宗家を務める天然理心流は多摩の人間に大変人気がある。
隊士も多く集まってくるだろう。
「であるか。ならば話し合いは終わりだな。儂は少し沖田と藤堂の様子を見てくる」
そう言い残して信長は足早に去った。
土方は「相変わらず、活動的なおっさんだぜ」とぼやいた。
「しかし、乱世の英雄が新選組に力を貸してくれるのは心強いよ」
「山南さん。あんたいつから信じるようになったんだ? 与太話にしか思えねえぜ?」
山南が神妙に言うものだから土方はもちろん、近藤も井上も笑ってしまった。
山南は「怪我を負った後かな」と真面目な姿勢を崩さない。
「あの人なら、
土方は鼻で笑ったが、近藤と井上は顔を見合わせた。
そのくらい、真剣そのものだったからだ。
◆◇◆◇
「おう、沖田……なんだ、もう大丈夫なのか」
「あ、ノブさん。ええ、もうぴんぴんしていますよ」
沖田と藤堂が休んでいる部屋に入ると、沖田は見舞いの大福を食べながら、すやすやと寝ている藤堂の様子を見ていた。
「平助、油断し過ぎですよ。鉢金を取るなんて」
「台所で水を飲んでいたおぬしには言われたくないだろうよ」
「んもう。それは言いっこなしですよ」
会話がうるさかったのか、藤堂は「枕もとで話さないでくださいよ」と欠伸をした。
「おう。藤堂。もう喋れるのか」
「薄皮一枚でしたから。脳にまで達していませんよ元から」
「まだ傷は痛むのか?」
「少しだけ……って、触らないでください、沖田さん!」
やいのやいの騒いでいると、唐突に藤堂が「そういえば長州藩が戦を仕掛けるって噂があります」と言い出した。
「池田屋が原因らしいです」
「戦ですか……新選組にも出番あるんですかね?」
「さあな……」
信長は「傷が癒えたら何が食べたい?」と藤堂に訊ねた。
「なんでもおごってやるぞ」
「あ、ずるい! 平助だけ!」
「おぬしも連れてってやるわい。当たり前だろう」
藤堂はしばらく考えて「馴染みの甘味処のお汁粉ですね」と呟く。
「京に来て一番慣れ親しんだ味ですから」
「なんだ。それだけでいいのか?」
「それでいいんです。だって――」
藤堂はにかっと笑って言う。
「新選組にいれて良かったと思えるんですもの。あの安心する味が」
沖田は「平助のくせに、良いこと言うなあ」と小突いた。
「い、痛い! まだ痛むって言いましたよね!?」
「あ、ごめん」
「だったら早く治せ。でないと短銃の的……じゃなかった練習に付き合ってもらえんからな」
「今、的って言いましたよね!? 絶対にやりませんよ!?」
「大丈夫だよ、平助。刀を構えていれば斬れるし」
「そんなこと、沖田さんにしかできませんって!」
「私だってできないよ」
そんなほのぼのとした会話をした昼下がりの午後だった。
そして一か月後。