年が明けてからの新選組は上り調子とは言えず、むしろ頭打ちにあっていた。
彼らの
そこに大きな衝撃が走る――
幕臣や
地位も身分もしっかりとしている。会津藩預かりといったあやふやな立場ではなく、
つまりは新選組の上位互換に他ならなかった。
これには近藤も大きく落胆した。
まるで新選組を京から追い払おうとしている――
無論、追い払おうとは上の人間は思っていないだろう。
新選組には今までと変わりなく、京を守ってもらいたいと考えている。
その証拠に京都見廻組と
しかし、その管轄こそが問題だった。
新選組は祇園や三条など歓楽街や町人街を巡察するが、京都見廻組は二条城などの
近藤は山南の件もあり、新選組を解散させて江戸へ戻ろうと考えた。
土方も沖田も、他の幹部たちもその考えに同調しかけていた。
それに待ったをかけたのは――織田信長である。
「近藤よ。もう少しだけ、こっちでやってみないか?」
近藤と土方、そして信長だけの会合の場。
そこで信長は近藤を説得していた。
「まだ京でやらねばならんこと、あるだろう?」
「たとえば、どんなことですか?」
近藤はもうすっかり気落ちしていた。
土方も何度か説得しているが、どうもやる気を出してこない。
「そうさな。その京都見廻組とやらは創られたばかりだろう? だったら本格的に始動するまでに時間がかかる。違うか?」
「それは、そうですね……」
「その間の京の守りは誰がやる? 儂たちだろう?」
信長が言っていることは二人の思慮の外だった。
自分たちのことばかり考えていた
「これから大きく活躍するときが来る。それまで頑張ってみんか?」
「貸付で商人や町人に嫌われて、鴨も殺した壬生狼と蔑まれて、それでも残れと言っているのですか?」
「ああ。それでも残れと言っている。そうでなければ、芹沢たちを斬った意味がない」
近藤は腕組みをして考え込んだ。
土方は黙って成り行きを見守っている。
「
「しかし、脱走する者は後を絶ちません」
「その都度儂が捕まえて切腹させている」
「…………」
「ではこうしよう。後一年、京で働こう。その頃には京都見廻組も手慣れた頃だ。安心して京を守ってくれるだろうよ」
信長の妥協案に近藤は「……分かりました」と頷いた。
土方は「良いんだな、近藤さん」と念を押す。
「ああ。信長さんの言った通り、京都見廻組の治安維持が上手くいくまではここにいよう。それがせめてものけじめというものだ」
「であるか。なら儂は務めがあるゆえ、またな」
信長は足早に去っていった。
土方は「よく分からねえ野郎だな」と呟く。
「楽隠居がしてえんじゃねえのか? あいつなら江戸でもできるだろうに」
「……私はあの人ではないから、よく分からないが――」
近藤はあくまでも慎重に言う。
「――ここに残ったほうがいいと思う根拠があるかもしれない」
土方は半信半疑だったが、近藤は固く信じていた。
信長の直感を――
◆◇◆◇
「どうして残るように説得したんですか? 教えてくださいよ、ノブさん」
「うん? そんなのただの勘だ」
いつもの甘味処――ではなく、信長の行きつけの高級料亭。
沖田を連れて遅めの夕食を取っていた信長。
外の景色が見える二階で沖田は酒を、信長は茶を楽しむ。
「勘なんですか? ……ノブさんの勘は当たるからなあ。しかも良いほうにも悪いほうにも」
「ふひひひ。分かっているではないか」
「それで、いつなんですか?」
沖田が急かすように訊ねると「一年以内だ」と断言した信長。
「上手く言えんが……きな臭い気がする。ちょうど本願寺らに包囲網を敷かれた感覚に似ている」
「へえ……それが当たったらどうなるんですか?」
信長は焼き魚を食べつつ「おぬしは聞いてばかりだのう」と呆れた。
「少しは考えることせんのか?」
「私はそういうの苦手です。土方さんや山南さんに任せればいいと思って」
「そういえば、山南がもうすぐ屯所に戻ってくるな」
沖田は「ええ、そうですね」と嬉しさ半分、悲しさ半分の入り混じった表情を見せた。
「働けるくらい元気になって良かったですよ」
「あやつにとって、良いことかは分からぬがな」
「また皮肉言って。素直に良かったって言えばいいのに……ああ、山南さんのことを心配しているんですね」
沖田はにやにや笑っている。
口調から信長をからかっているのだろう。
「なんだ。儂が山南を心配して何が悪い?」
「良いところあると思うと微笑ましく思えて。みんなにも見せればいいのに。土方さんだって少しは仲良くしてくれるでしょうに」
「土方とは距離を置いたほうがいいのだ」
全く素直じゃないですね、と沖田は信長と同じく魚を頬張る。
それからしばらく剣の話題となった。
「ノブさん。もう少しで三段突きが完成しますよ」
「三段突き? ……永倉が似たことを言っていたな」
「それはノブさんの三段打ちですよ。私のは目にも見えない速さで突きを三回繰り出すんです」
「ほう。それは凄い。ま、室内での戦いが多いゆえに、突きでの攻撃は有効だな」
「実を言うと、芹沢さんを倒した技でもあるんですよね。だから思い入れが強いっていうか」
信長は本当にこやつ剣術馬鹿だなと感心した。
剣のことだけを考えて生きる。口に出せば陳腐なことだが、実行するとなると剣の鬼にならねばならない。凄まじい執念と鍛錬の果てに辿り着ける――境地。
思えば沖田は尊皇攘夷だの公武合体だのに初めから興味がなさそうだった。
師匠である近藤の佐幕という考えもあまり理解していないようだ。
だが雑念無く剣に打ち込める才能は――必要だ。
「おぬしはいつか最強になるかもな」
「いきなりなんですか? お茶で酔ったんですか?」
「うつけが。茶で酔うほど下戸ではないわ」
信長の頃には名を馳せた剣豪も大勢いた。
けれどそれらが束になっても――才能という点では勝てないかもしれない。
「一つ訊きたいことがある。もし最強になれたとしたら、どうする?」
「うーん、最強となれたら?」
「誰も挑もうとすら思わないほど、強くなれたら――次は何を目指す?」
沖田は少し考えて――それから外を指さしてあっさりと答えた。
「そのときは、あの天に浮かぶ月でも斬って見せましょうかね」
「はあ? 月を?」
「そのくらい、剣の道に終わりはないんですよ」
沖田は「ノブさんも今から剣術習えばいいのに」と笑った。
信長は改めて沖田を見直した。
そこまで貪欲に強さを求めるとは――
「ふひひひ。儂の負けじゃ。おぬしには勝てんわ」
「うん? あれ? 勝ち負けの話でしたっけ?」
「いや、良いんだ。気にするな」
信長は目の前の若者を羨んだ。
そして同時に重ねた――己の息子、信忠と。
「おぬしほど、出来た息子ではなかったがな」
「うん? ……ノブさんは独り言が多いなあ」
「ふひひひ。気にするな」
◆◇◆◇
月日が過ぎ、五月下旬の頃。
俄かに京での不逞浪士の出入りが多くなってきた中、監察方が一人の男を捕縛した。
その男こそ、新選組を躍進させる事件のきっかけとなる――