京から離れた近江国、
そこで山南は養生していた。
何故、大坂でも京でもない大津なのか。
それは山南が『新選組の副長』だからだ。
大坂の一件は山南敬助の名を大きく世間に
不逞浪士相手に怯まず店を守った勇士――皮肉にもそれが彼の評価である。
だからこそ、会津藩お預かりの新選組を敵視する、不逞浪士や長州藩の者から身を隠す必要があった。
大津を薦めたのは信長だった。
山南は穏やかな表情で頷いた。
そして今、彼は大津で年を越そうとしている。
「おー、山南。元気でやっとるか」
「信長さん! 来てくれたんですね……」
そんな中、現われたのは信長だった。
部下の山野や吉村を引き連れて、山南の見舞いにやってきたのだ。
信長は布団で寝ている山南に「身体、なまっとらんか?」と軽く話しかけた。
山野と吉村の二人、というより平隊士も山南が刀を振れない身体になったと知っているので、その言い方はどうなのかとはらはらしていた。
「なまっていますね。歩くのも
「少しでも歩け。でないと儂よりも年を食うことになる」
「あははは。それは嫌ですねえ」
和やかに笑い合う二人。
少しの会話の後、信長はふいに「山野と吉村。近江国のりんごが食べたくなった」と言う。
「買ってこい」
「りんごですか? まだ売っていますかね?」
山野は怪訝な顔をしたが、吉村は「すぐに買ってきます」と立ち上がった。
「しかし、旬を過ぎていますので時間が少々かかります」
「であるか。ま、ゆるりと探せ」
吉村は困惑する山野を引っ張ってその場を去った。
山南は「吉村くんは良い若者ですね」と笑った。
「気遣いが上手だ。あなたの教育のおかげですか? 信長さん」
「いいや。天性のものよ。それでだ、山南――」
信長は山南の顔を見ずにやや早口で言う。
「お前はいつ死ぬんだ?」
「……よく分かりますね」
山南はそれでも穏やかな表情を変えない。
「医師から聞きましたか?」
「まさか。おぬしを見ていたら分かるよ。それに見舞いに行った沖田から聞いていたが、話に違和感があった」
「なんでしょう?」
「刀が振れなくなったら、怒るか悲しむか、八つ当たりするだろう。だがおぬしは無気力だった」
信長は「演技でもいいから、するべきだったな」と苦笑した。
「おぬしはもう、どうでもよくなったんだな――いや、刀を振れなくなったことがどうでもよくなるくらいのこと、つまり死ぬのだなと話を聞いてなんとなく思った」
「信長さんには、いつも驚かされます」
山南は笑っていたけども。
信長には泣いているように見えた。
「やっぱり、信長さんは――本物の織田信長さんなんですね」
山南はようやく確信できた。
死の
それは第六天魔王にもできない芸当だった。
「ようやく、信じてくれたか。遅いぞ」
「あははは。だって、三百年前の人間が生き返るなんて、信じられませんよ――いや、死んでないんでしたっけ?」
「ああ、そうだ。キンカン頭にやられてたまるか」
「なら『帰ってきた』と表現したほうがいいかもしれませんね」
「すっきりとした表現ぞ。儂は生きておる――おぬしが生きているように」
山南は「はたしてそうでしょうか」と笑顔を崩さずに言う。
「今の私は新選組のお荷物でしかありませんよ」
「そういえば、土方から聞いたぞ。新選組に残るらしいじゃないか」
信長は「このうつけめ」と叱った。
山南は叱られるのは久しぶりだなと懐かしんだ。
「おぬしなら事務作業や隊の雑務をこなせるだろう。だが戦えない者が残る苦しみぐらい承知の上のはずだ」
「ええ、全て承知の上です」
「しかももうすぐ死ぬ――詳しく知らんが、死ぬんだろう? いつだ? 三度目は聞かぬ」
信長の問いに「三年ぐらいでしょうか」と山南は答えた。
「もしかしたら、もっと早く死ぬかもしれません」
「尚更、どうして残るのだ?」
「……好きだからですよ、新選組が。そして近藤さんたちが」
山南の答えに「理解できん」と信長は断じた。
「やりたいことをして死にたいとは思わぬか?」
「そのやりたいことが、新選組のために働くことなのです」
「ふん。頑固者めが」
そう言った信長だったけど、彼の横顔からは
自分の死を目前にしても尽くしたい場所があることに、信長は心から羨ましいと思ったのだ。
「ま、おぬしの残り少ない人生だ。精々、楽しめ」
「そうさせていただきます……少し、外の風景でも見ませんか?」
山南は立ち上がろうとして――よろけたところを信長が支えた。
驚く山南に対して「軽いな」と寂しげに信長は呟く。
「もそっと飯を食え」
「……ありがとうございます」
信長は黙って肩を貸した。
二人は縁側に座る。
外はすっかり紅葉が落ちて、冬らしい殺風景が広がっていた。
だけど二人は何も言わない。
むしろ、何もない庭が愛おしく思えた。
「他の者には言ったのか?」
「いえ。信長さんだけです。見抜かれてもいません」
「であるか。土方は勘づいていそうだがな」
「誰にも言わないでくださいよ? 見抜かれる以外は言うつもりないんですから」
信長はじっと山南を見て「いいだろう」と約束した。
「儂は自分が守れないもの以外は約束するのが主義だ」
「あははは。助かります」
「……沖田を除けば、最初に儂を受け入れてくれたのはおぬしだったな」
山南は「もう半年ぐらい前になりますね」と目を細めた。
「どうして得体の知れない儂を壬生浪士組に受け入れた?」
「初めは利用しようと思ったのですが……だんだんと好奇心になりました」
「好奇心?」
「あなたが壬生浪士組を……新選組を変えてくれるかもしれないと思いました」
「過大評価もいいところだな」
「けれど、現実には変わった――大きく強くなった」
山南は確信を込めて語る。
「私はあなたを引き入れた判断を、土方くんを説得したことを、正しいと思います」
「であるか。ふひひひ、そんなことを言われたら困るな」
「どのように困るんですか?」
信長はふうっと白い息を吐いた。
「なんでも聞き入れてしまいそうだ。恩人であり仲間であり友人であり――死人の願いだからな」
山南は「初めて、この身になって良かったと思います」と儚く笑った。
「では一つだけ――土方くんをよろしくお願いします」
「なんだ、近藤ではなく、土方をか?」
「近藤さんは土方くんが支えます。しかし、土方くんを理解するのに、沖田くんでは若すぎる。源さんでは優しすぎる」
「よく考えておるのう」
山南は「これでも、新選組を支えてきた、副長ですから」と得意そうに言う。
無論、強がりであると信長には分かった。
「信長さん。どうか、どうか頼みます」
「…………」
「土方くんは、京に上ってからずっと無理をしている。時折、どこかで崩れてしまいそうな予感がするんです」
「…………」
「あなたが気が向いたときでいい。気まぐれでも構いません。お願いします」
信長は山南の顔を見ずに「さっきも言ったはずだ」と小さく答えた。
「自分が守れないもの以外は約束すると」
「信長さん……」
「織田前右府信長、しかと引き受けた――山南副長」
信長は姿勢を正して、一礼した。
山南の目から熱いものが零れる。
もう
また自分には流れていたんだ――
「ありがとう、ございます……!」
「ふん、いつもなら泣くなと言うべきところだが……」
信長は山南から目線を逸らして庭を見る。
綿のような雪が、少しずつ降っていく。
「おぬしに泣くななど、誰も言えんわ。このうつけが」