「山南さんが大怪我を負った……本当ですか!?」
まったく信じられないことを聞いた沖田は、再度報告した信長に問う。
他の永倉、斉藤、井上、藤堂、原田も同じ胸中だろう。半信半疑の顔をしていた。
「ああ。それも――生きるか死ぬかの怪我だ。儂が大坂から出た時点で、生死を彷徨っている状況だった」
「そんな……あの強い山南さんが、まさか……」
山南と同じ北辰一刀流を学んだ藤堂は信長の言うことに衝撃を受けていた。
その藤堂の肩に手を置きながら「助かる見込みはあるのでしょうか?」と井上が訊ねる。
「鴻池が大坂の名医を何人か寄越してくれた。その者たちが言うには……天に任せるしかないらしい」
「はん。医者が言う台詞かよそれ」
毒づく原田だが目が血走っていた。
今にもここを飛び出して下手人を殺しそうな雰囲気だ。
しかしその下手人は全員、山南によって斬られたので叶わないことだが。
「ま、冬だから
手早く報告を済ませて場を去ろうとする信長に「……それだけか」と待ったをかけたのは斉藤だった。
「あんたは、他に言うべきことがあるんじゃないか」
「……何が言いたい?」
「もし、あんたが鴻池の辺りを巡回していたら、防げただろう」
確かにそうだが、それは仮定の話である。
信長は事前に定められた道筋に沿って隊士たちと共に巡回しただけだ。
そして道筋を決めたのは――山南だった。
「まあな。否定はしない」
信長は敢えて斉藤を肯定した。
斉藤はしばらく信長を睨みつけていたが、やがて逸らした。
「他に言いたい者がいればこの場で言え」
信長の言葉に「責めるつもりはありませんが」と永倉が言う。
「どうしてこの場に土方さんがいない? あの人にも知らせるべきでしょう」
同じ副長である土方には知らせるべきと永倉は言っている。
「ああ、あの者にはおぬしたちより先に知らせた。それが道理であろう」
「土方さんは何と言った?」
信長は今日の空模様を知らせるような気軽さで言う。
「悲しんでいた。それしか言えん」
「何故、それしか言えないのです?」
「おぬしは、親友が死ぬかもしれない状況の男の
ハッとした永倉は「すみませんでした」と一言謝った。
それから「源。おぬしは他の副長助勤に伝えてくれ」と頼んだ。
「歳のせいか、儂は疲れた……」
「承知致しました」
「では、これにて解散してくれ」
信長は立ち去って、全員が沈痛な思いの中、沖田は「歳のせいではないでしょうに」と言う。
「仲間が死ぬかもしれないって報告、何度もしたくないって……言えばいいのに」
沖田の呟きに、納得した空気が漂うが、次第に重くなる。
それほど山南敬助という男は新選組に必要だったのだ。
◆◇◆◇
「よう、土方。少し付き合え」
「…………」
二本の酒瓶を持って土方の部屋に訪れた信長。
紙に何かを書き込んでいた土方は「下戸じゃねえのか?」と筆を置く。
「儂は茶だ。入れ物はこれだけどな」
「酒を飲む気になれねえよ」
「ふひひひ。そうだろうな……だが飲め」
信長は酒瓶をそれぞれに置いて、真ん中に井上が漬けたたくわんを膳の上に載せた。
土方は「誰から聞いたんだ?」と不機嫌そうに言う。
「俺が源さんの漬けたたくわんが好物だって」
「当人よ。酒をかっぱらってくるときに教えてもらったのだ」
「ああ、そうかい」
「源もまた、得難い男よな」
信長が盃を取り出そうとする――酒瓶のまま、土方は酒を飲んだ。
そして――
「どうして俺が酔いたかったって分かるんだ? つくづく恐ろしい野郎だぜ」
「儂も何度か同じ経験をしたからな。大事な者を失う……いや、まだおぬしは失っておらんか」
失敬したなと信長は笑い、不謹慎だと土方は笑わなかった。
それから酒と茶を飲み交わす。
二人の間に会話はなかった――のだが。
「……山南、死なねえよな」
「知らん。人はあっさりと死ぬからな」
「そこまで達観できねえよ」
「当たり前だ。まだまだ若いわい」
ぽつりぽつりと会話をしていく二人。
酒の酔いのせいでも、茶の爽快感のせいでもない。
山南のことを思っているからこそ、話すのだ。
「なあ信長。お前の大事な人っていつ死んだんだ?」
「そうさな。最初は親父殿だな。次に
指を折って数えていたが途中でやめてしまった信長。
土方は「最初の二人は分かるが」と酒を飲みつつ言う。
「弟の信勝は、お前に謀叛を起こした奴だろう?」
「よう知っておるな」
「山南さんに聞いたんだよ……それで、どうして大事なんだ?」
信長は「できれば殺したくなかった」ときっぱり言った。
「家臣たちが儂よりも後継者に相応しいと推すほどの器量があった。もしあやつが生きていれば……五年は短く天下を取れただろう」
「高く評価していたんだな」
「それに可愛い弟でもあった。叛いてもな」
土方は「山南さんが言っていたけどよ」と信長に言う。
「あんたは苛烈な決断を何度もしてきたらしいな」
「君主とはそういうものだ」
「もし、俺にそれが迫られたら――」
言葉を一度切って、それから一気に言う。
「――できるかどうか、不安だ。山南さんがいなくて」
「……甘えたことを言うな」
信長は「そういうのは島田の汁粉だけで十分だわい」と笑った。
「おぬしは副長なのだ。皆を引っ張っていく立場の人間だ。弱音を吐いてどうする?」
「…………」
「しかし、おぬしはもっと人を頼ってもいいかもしれんな」
土方は「さっきと言っていることが違うじゃねえか」と笑ってしまった。
「儂は人に頼ることができなかった。いつも孤独であった。だから最後に叛かれた。儂の人生は、五十年は――無に帰した」
「……そうだったな」
「だがおぬしはまだ間に合うぞ。もっと人を頼れ。近藤や沖田、源なんかにな」
第六天魔王にしては酷く暖かみのある言葉だった。
親友が死ぬかもしれない状況の中で、土方は安堵できた。
「それを言うならよ――信長のおっさんも間に合うんじゃねえか?」
「うん? 何ぞ?」
土方は地元でバラ餓鬼と呼ばれていた頃を思い出しつつ。
子供みたいな笑みを見せた。
「だってよ。あんたの人生は終わってねえ。今も続いているじゃあねえか――新選組の一員として」
「…………」
「無に帰したなんて、枯れたこと言ってんじゃねえ――魔王さんよ」
信長は思いもよらぬことを言われて呆然とした――そして土方の得意そうな顔を見つける。
そのまま大笑いしてしまった。
「ふひひひ! こやつ、言いよるわ!」
◆◇◆◇
それから一か月が経った。
その間、信長は『副長代理』として雑務に勤しんでいた。
本来は井上源三郎がなる予定だったのだが、固辞されてしまった。
信長も断るつもりだったのだが、一人では新選組が回らないと土方に言われて、仕方なく引き受けた。
信長はまず、隊士の訓練に集団戦法を取り入れた。
つまり、一対一での戦いではなく、多数での連携を重視したのだ。
死傷者を減らす効果を期待してのものだったが、信長の脳裏には山南のことがあったことは言うまでもない。
また銃器などの取り扱いも行なうようになった。
最新鋭よりも型落ちした銃だが、調練には間に合う代物だった。
これらは会津藩より借り受けたものである。
そうした日々を過ごしているうちに、もうすぐ年が暮れようとしていた。
そんな折、山南の意識が回復したとの知らせが来た。
試衛館の仲間は大いに喜んだ。
山南を慕っている隊士も同様だった。
信長もようやく、副長代理の役目をやめることができるとほっとした。
これで新選組は元通りになる。
誰もがそう信じてやまなかったのだ。