「――よし、ここまでするか」
「そうだな。おマサさんのとこで飯でも食おうぜ」
永倉と原田が木刀と稽古用の槍で修練をし、それが終わったところを見計らって「素晴らしい動きだったな」と信長が話しかけた。
「おお、信長さん。こんなとこによく来たな」
原田が言うこんなとことは、
八木邸では稽古しようにも場所が狭い。
だから新選組は間借りしていたのだ。
「山野のうつけが寺の者に迷惑をかけたらしくてな。その謝罪に来た」
「ああ。突然裸になったあれか」
「語るほどでもない。しかし、それにしてもよくぞそこまで鍛錬を積んだものだ」
信長は改めて感心する。
豪快な原田の槍捌きと力で押す剣術の永倉。
おそらく新選組でも指折りの使い手であることは間違いない。
「素晴らしいというより、凄まじいと言えるな」
「ははは。そんなに褒めても、何も出ねえぞ?」
陽気な原田はそう笑うが、沈黙のままでいる永倉は無表情を貫いていた。
そんな彼に「永倉、少し話せるか?」と信長は言う。
「話したいことがあるのだ」
「なんだよ。俺はのけ者か?」
「マサのところで飯を食うのだろう?」
「……それもそうだな。うんじゃ、また」
原田が下手な鼻歌を鳴らしながらその場を去ると「何の用ですか?」と永倉が慎重に言う。
「いやなに。おぬしこそ儂に訊きたいことがあるのではないか?」
「…………」
「ほれ。そこの縁側で話すとしよう」
壬生寺の本堂近くの縁側に腰かけた信長。
永倉は少し間を開けて座った。
「寒くなってきたのう。京の秋はいつもすぐに終わる。夏と冬しかないのではないかと錯覚してしまうほどに短い」
「世間話なら付き合うつもりはありません」
「だったら訊きたいことを言うんだな」
永倉は少し迷ってから――信長に質した。
「あなたが――芹沢を殺したのか?」
信長は「違う」と短く答えた。
「儂は殺しておらん。斬った張ったができる歳でもないしな」
「では、誰が殺したのか、分かりますか?」
「土方たちだな」
永倉は目線を落として「やはりか」と呟く。
「近藤さんは『私は殺していない』と言っていたが……」
「嘘をついてはいない言い方だな」
「だが
永倉の溜息に「女々しいことを申すな」と信長は笑った。
「人は変わるのだ。あるいは成長する。いちいち気にしていたら身が持たんぞ」
「私が甘いのは分かります。けれど、変わらずにいられるのなら良いではありませんか」
「尊皇攘夷を志すおぬしがそれを言うか? 世の中を変えようとしておるのに」
永倉は「変えようとはしていません」ときっぱり答えた。
「幕府のために、尽忠報国の士として働く。近藤さんの教えだが……私はそれに惹かれてしまった」
「であるか」
「翻ってあなたはどうなんですか? 志があるんですか? ――信長さん」
信長は上を見上げた。
青く雲がまばらになっている空。
「志などない。儂が生きていた頃は、生きてゆくのに必死だった」
「…………」
「殺さねば殺されてしまう。親兄弟で争う。いつ叛くか分からぬ家臣。今のおぬしのように志を持つどころか、人を信じることなどできんかった」
永倉は信長が演じていると思っていた。
今でもそう考えている。
けれど、どうしても戦国乱世を生きた魔王の発言としか思えない――
「もう一つだけ、訊きたいことがあります」
「申してみよ」
「芹沢さんの妾――お梅を殺しましたね?」
信長は「そのとおりだ」と認めた。
間を置かずにはっきりと。
「女を殺すことに躊躇はないんですか?」
「比叡山、伊勢長島に
「それでも、汚いからと言ってそのままにしておくのはどうでしょうか?」
永倉は信長を哀れに思った。
女を殺すことを何とも思っていない。
しかしそれでも罪悪感を抱いていることは分かる。
矛盾しているようだが――しょうがなく殺したとか思えないのだ。
だからこそ、すらすらと虐殺を行なった土地の名が出てくるのだ。
「厠でも汚れるからと言って清潔にしないわけにはいきません」
「それを言うなら。厠を奇麗にするために、儂は手を汚したのだ」
永倉は「あなたは新選組でも同じことをしようとしている」と首を振った。
「あなたはその生き方でいいんですか?」
「…………」
「たくさん人を陥れて殺して。それでいいんですか?」
「…………」
「あなたにとって、息子の死や本能寺の裏切りは――どうでもいいことだったんですか?」
信長は「先ほど、おぬしは言ったが」と永倉を見ずに言う。
「一つだけ訊きたいのだろう? 答える義理はないわい」
「……少し疑問に思いました。どうしてあなたは私の問いに答えたんですか? 正直に、真っすぐと。いくらでも誤魔化せるはずなのに」
信長は「儂は嘘をつく者を選んでいる」と答えた。
「隠し事や偽り、策を講じる者には本音を語らん。おぬしや沖田はそれがない」
「それが、理由なんですか?」
「ああ。儂に正直に真っすぐ物を申す者はあまりいない」
信長はふと「乱丸と弥助ぐらいだったな」と思い出す。
「キンカン頭や禿ネズミなどはどうも信用ならんかった」
「……信長さんはおかしな人だ。私のような単純な男を騙そうと思わないなんて」
「騙す気にすらならないと言ったほうが正確か。そのぐらい単純なのだ、おぬしは。ゆめ出来た人間だと自分で思うな」
辛辣な物言いではなく、率直な忠告を言った信長は「実を言えば、おぬしに聞きたかったことがある」と立ち上がりながら言う。
「私に答えられるのならどうぞ」
「沖田……あやつの剣、最近鈍っておらんか?」
永倉は少し考えてから「ほんの少しですが」と思い当たることを言った。
「鋭さは無くなっています。芹沢さんが亡くなった前後は凄まじかったのですが」
「であるか」
「しかしそれでも私よりは数段上です」
永倉は「信長さんは沖田に目をかけているようですね」と言った。
それに頬を掻きながら無言でいる信長。
「もし、鈍っているのなら――賭け事か女でしょうね」
「ほう……」
「賭け事をする人間は剣術が疎かになる。女に夢中になる人間は剣術に集中できない」
信長は「良いことを聞いたぞ」と言う。
「礼を申す」
「いえ。それより信長さんも剣術をしてみるのはいかがですか? まだ体が衰えていない様子ですが」
信長は「馬鹿言え」と笑った。
「この歳で新しいことを始めるのは
◆◇◆◇
その夜のことだった。
信長が祇園の牡丹屋に訪れたのは。
「店主。訊ねたいことがある」
信長は沖田の馴染みである細雪を預かっている店主と会っていた。
店主は噂の人斬り集団の者と相対していて恐ろしかった。
「へ、へい。なんでしょうか……」
「細雪とやら、沖田とどんな様子だ?」
「仲良くやっていると聞いております。流石に部屋の中までは見ておりませんが」
「あの娘、男を怖がっていたが、何かあったのか?」
店主は言いにくそうにしていたが、信長の圧に負けて白状した。
「初めての客が酷い方で。あまり口には出せないことをされたようです」
「ようです、だと? ……おぬしが宛てた客であろうが!」
無責任な発言に怒鳴ると店主は縮こまって「す、すみません!」と平伏した。
しばらく店主を睨みつけていた信長は「細雪を呼んで来い」と言う。
「少し話がしたい。客ではなく、新選組の浪士目付方筆頭として」
店主は大急ぎで細雪を呼び出した。
客は取っていなかったらしく、すぐに彼女はやってきた。
緊張していて、肌は病人のように白い。
信長を恐れているようで、目も合わせない。
「…………」
「こほ。私に何か、ご用でも……」
信長は観察するように細雪を見た。
それから彼女に言う。
「おぬし、沖田に惚れているのなら――」
信長は一拍置いた。
そして――
「――もう二度と会うな」
――最も残酷で卑怯なことを言った。