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第23話信長、永倉に打ち明ける

「――よし、ここまでするか」

「そうだな。おマサさんのとこで飯でも食おうぜ」


 永倉と原田が木刀と稽古用の槍で修練をし、それが終わったところを見計らって「素晴らしい動きだったな」と信長が話しかけた。


「おお、信長さん。こんなとこによく来たな」


 原田が言うこんなとことは、壬生寺みぶでらのことである。

 八木邸では稽古しようにも場所が狭い。

 だから新選組は間借りしていたのだ。


「山野のうつけが寺の者に迷惑をかけたらしくてな。その謝罪に来た」

「ああ。突然裸になったあれか」

「語るほどでもない。しかし、それにしてもよくぞそこまで鍛錬を積んだものだ」


 信長は改めて感心する。

 豪快な原田の槍捌きと力で押す剣術の永倉。

 おそらく新選組でも指折りの使い手であることは間違いない。


「素晴らしいというより、凄まじいと言えるな」

「ははは。そんなに褒めても、何も出ねえぞ?」


 陽気な原田はそう笑うが、沈黙のままでいる永倉は無表情を貫いていた。

 そんな彼に「永倉、少し話せるか?」と信長は言う。


「話したいことがあるのだ」

「なんだよ。俺はのけ者か?」

「マサのところで飯を食うのだろう?」

「……それもそうだな。うんじゃ、また」


 原田が下手な鼻歌を鳴らしながらその場を去ると「何の用ですか?」と永倉が慎重に言う。


「いやなに。おぬしこそ儂に訊きたいことがあるのではないか?」

「…………」

「ほれ。そこの縁側で話すとしよう」


 壬生寺の本堂近くの縁側に腰かけた信長。

 永倉は少し間を開けて座った。


「寒くなってきたのう。京の秋はいつもすぐに終わる。夏と冬しかないのではないかと錯覚してしまうほどに短い」

「世間話なら付き合うつもりはありません」

「だったら訊きたいことを言うんだな」


 永倉は少し迷ってから――信長に質した。


「あなたが――芹沢を殺したのか?」


 信長は「違う」と短く答えた。


「儂は殺しておらん。斬った張ったができる歳でもないしな」

「では、誰が殺したのか、分かりますか?」

「土方たちだな」


 永倉は目線を落として「やはりか」と呟く。


「近藤さんは『私は殺していない』と言っていたが……」

「嘘をついてはいない言い方だな」

「だが欺瞞ぎまんでしょう? ……試衛館にいたときはあんな嘘をつく人ではなかった」


 永倉の溜息に「女々しいことを申すな」と信長は笑った。


「人は変わるのだ。あるいは成長する。いちいち気にしていたら身が持たんぞ」

「私が甘いのは分かります。けれど、変わらずにいられるのなら良いではありませんか」

「尊皇攘夷を志すおぬしがそれを言うか? 世の中を変えようとしておるのに」


 永倉は「変えようとはしていません」ときっぱり答えた。


「幕府のために、尽忠報国の士として働く。近藤さんの教えだが……私はそれに惹かれてしまった」

「であるか」

「翻ってあなたはどうなんですか? 志があるんですか? ――信長さん」


 信長は上を見上げた。

 青く雲がまばらになっている空。


「志などない。儂が生きていた頃は、生きてゆくのに必死だった」

「…………」

「殺さねば殺されてしまう。親兄弟で争う。いつ叛くか分からぬ家臣。今のおぬしのように志を持つどころか、人を信じることなどできんかった」


 永倉は信長が演じていると思っていた。

 今でもそう考えている。

 けれど、どうしても戦国乱世を生きた魔王の発言としか思えない――


「もう一つだけ、訊きたいことがあります」

「申してみよ」

「芹沢さんの妾――お梅を殺しましたね?」


 信長は「そのとおりだ」と認めた。

 間を置かずにはっきりと。


「女を殺すことに躊躇はないんですか?」

「比叡山、伊勢長島に越前国えちぜんのくに。儂の手は汚れきって奇麗には拭えぬよ」

「それでも、汚いからと言ってそのままにしておくのはどうでしょうか?」


 永倉は信長を哀れに思った。

 女を殺すことを何とも思っていない。

 しかしそれでも罪悪感を抱いていることは分かる。

 矛盾しているようだが――しょうがなく殺したとか思えないのだ。

 だからこそ、すらすらと虐殺を行なった土地の名が出てくるのだ。


「厠でも汚れるからと言って清潔にしないわけにはいきません」

「それを言うなら。厠を奇麗にするために、儂は手を汚したのだ」


 永倉は「あなたは新選組でも同じことをしようとしている」と首を振った。


「あなたはその生き方でいいんですか?」

「…………」

「たくさん人を陥れて殺して。それでいいんですか?」

「…………」

「あなたにとって、息子の死や本能寺の裏切りは――どうでもいいことだったんですか?」


 信長は「先ほど、おぬしは言ったが」と永倉を見ずに言う。


「一つだけ訊きたいのだろう? 答える義理はないわい」

「……少し疑問に思いました。どうしてあなたは私の問いに答えたんですか? 正直に、真っすぐと。いくらでも誤魔化せるはずなのに」


 信長は「儂は嘘をつく者を選んでいる」と答えた。


「隠し事や偽り、策を講じる者には本音を語らん。おぬしや沖田はそれがない」

「それが、理由なんですか?」

「ああ。儂に正直に真っすぐ物を申す者はあまりいない」


 信長はふと「乱丸と弥助ぐらいだったな」と思い出す。


「キンカン頭や禿ネズミなどはどうも信用ならんかった」

「……信長さんはおかしな人だ。私のような単純な男を騙そうと思わないなんて」

「騙す気にすらならないと言ったほうが正確か。そのぐらい単純なのだ、おぬしは。ゆめ出来た人間だと自分で思うな」


 辛辣な物言いではなく、率直な忠告を言った信長は「実を言えば、おぬしに聞きたかったことがある」と立ち上がりながら言う。


「私に答えられるのならどうぞ」

「沖田……あやつの剣、最近鈍っておらんか?」


 永倉は少し考えてから「ほんの少しですが」と思い当たることを言った。


「鋭さは無くなっています。芹沢さんが亡くなった前後は凄まじかったのですが」

「であるか」

「しかしそれでも私よりは数段上です」


 永倉は「信長さんは沖田に目をかけているようですね」と言った。

 それに頬を掻きながら無言でいる信長。


「もし、鈍っているのなら――賭け事か女でしょうね」

「ほう……」

「賭け事をする人間は剣術が疎かになる。女に夢中になる人間は剣術に集中できない」


 信長は「良いことを聞いたぞ」と言う。


「礼を申す」

「いえ。それより信長さんも剣術をしてみるのはいかがですか? まだ体が衰えていない様子ですが」


 信長は「馬鹿言え」と笑った。


「この歳で新しいことを始めるのは億劫おっくうなんだ。精々、若者を育てることに集中するわい」



◆◇◆◇



 その夜のことだった。

 信長が祇園の牡丹屋に訪れたのは。


「店主。訊ねたいことがある」


 信長は沖田の馴染みである細雪を預かっている店主と会っていた。

 店主は噂の人斬り集団の者と相対していて恐ろしかった。


「へ、へい。なんでしょうか……」

「細雪とやら、沖田とどんな様子だ?」

「仲良くやっていると聞いております。流石に部屋の中までは見ておりませんが」

「あの娘、男を怖がっていたが、何かあったのか?」


 店主は言いにくそうにしていたが、信長の圧に負けて白状した。


「初めての客が酷い方で。あまり口には出せないことをされたようです」

「ようです、だと? ……おぬしが宛てた客であろうが!」


 無責任な発言に怒鳴ると店主は縮こまって「す、すみません!」と平伏した。

 しばらく店主を睨みつけていた信長は「細雪を呼んで来い」と言う。


「少し話がしたい。客ではなく、新選組の浪士目付方筆頭として」


 店主は大急ぎで細雪を呼び出した。

 客は取っていなかったらしく、すぐに彼女はやってきた。


 緊張していて、肌は病人のように白い。

 信長を恐れているようで、目も合わせない。


「…………」

「こほ。私に何か、ご用でも……」


 信長は観察するように細雪を見た。

 それから彼女に言う。


「おぬし、沖田に惚れているのなら――」


 信長は一拍置いた。

 そして――


「――もう二度と会うな」


 ――最も残酷で卑怯なことを言った。

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