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第22話信長、部下に金を渡す

 信長の個室に二人の隊士が訪れた。

 それも午前の内である。


「ご挨拶遅れまして、申し訳ございません。本日より浪士目付方に配属されました、吉村貫一郎でございます」

「同じく配属しました。山野八十八といいます」


 信長は二人の隊士を見て満足そうに「であるか」と頷いた。

 さっそく山南が手配してくれたようで、彼らは信長の元にやってきた。

 二人共、二十歳そこそこの若者で精悍せいかんな顔つきをしている。


 吉村は目が細いが、物腰が穏やかだ。誰でも礼儀正しく丁寧に接するらしいので、壬生村の子供たちにも人気が高い。筋肉質だと着物の上からでも分かる。信長は一目見て腕の立つ男だと分かった。


 山野は新選組の中でも一、二を争う美男子である。吉村と比べたらだいぶ劣るが、剣はまあまあ強いようだ。正直見た目で選んでしまった信長だが、直で見ると案外使えそうだなと感じた。


 先ほど吉村が言ったように、信長の部署は『浪士目付方ろうしめつけかた』と命名された。

 その頭である信長は『浪士目付方筆頭』に任じられている。

 名前が変わり具体的な務めができた信長だったが、余程のことが起きない限り仕事をしないことに決めていた。何故なら彼の目的は楽に生きること――楽隠居らくいんきょだったからだ。


「ま、適当に座れ。話でもしようではないか」


 信長が二人分の座布団を用意して座らせる。

 二人がかしこまりつつ折り目正しく正座すると「おぬしらは何のために入隊した?」と信長は訊ねた。


「ははっ。尽忠報国の士として――」

「ああ。そういうのは良い。建前より本音で話せ」


 吉村が述べようとするのを信長は止めた。

 山野が「どういうことでしょうか、筆頭」と問う。


「その筆頭というのもな。芹沢を思い出すわい。普通に信長様でいいぞ」

「はあ……」

「尽忠報国とか尊皇攘夷とかがしたいがために入隊したのか?」


 吉村と山野は顔を見わせた。

 信長がまるでそれらに興味を示さないことに驚いているのだ。


 新選組は尊皇攘夷を行なうための集団である。

 近藤を始めとして、幹部や隊士はそれを念頭に活動していた。

 しかし、今やっていることは不逞浪士の取り締まり――京の治安維持だ。


「ま、尊皇攘夷とやらがやりたくて入隊する者もいるだろうが、おぬしらの場合は違うであろう?」

「…………」

「正直に言わねば土方と山南にあることないこと言って新選組から追い出す」


 明らかな脅しだった。

 動揺した吉村は「そ、それだけはご勘弁ください!」と平伏した。


「妻や子のために、どうしても金が必要なのです!」

「目的は金か。分かりやすくて良い」


 罰せられると思っていた吉村だったが、信長にその気がないことに驚いた。

 そして今度は山野に向けた問いを発する。


「おぬしはどうだ?」

「……私は、尊皇攘夷などには興味ありません」


 神妙な顔で言った後、急に笑顔になって言う。


「入隊したら格好良くなれると思ったからです!」

「格好良く?」

「もっと強く美しく気高い人間になれると……そう思えたんです。あの沖田様を見て!」


 恍惚な表情を見せる山野。

 信長は「正気かこやつ」と吉村に訊ねた――何度も首を横に振った。


「初めて沖田様を見て思いました……ここに入隊しさえすれば、その美しさを手に入れられると」


 何故か立ち上がって「そして今、好機がやってきた!」と喚く。


「浪士目付方という重要な職務につくことで、また一歩私は格好良くなった!」

「大丈夫かこやつ」

「信長様。私は美しくなるために入隊しました。正直であることは美しい……また一歩、私は美しくなった!」


 信長は「……まあいいだろう」と無理やり納得した。

 吉村は「よろしいのですか?」と信長に言う。


「不逞浪士ではなくとも、京で見かけたら斬らねばならない胡乱うろんな男ですよ?」

「あっはっはっは。吉村さん。あなたは何をおっしゃっているのかな?」


 吉村の言っていることは正しいが、奇妙な者を好む傾向にある信長にしてみれば、捨てるには惜しい人材だった。かなり奇天烈きてれつな山野を手放すより近くで見ていたほうが面白いだろうと信長は判断した。


「面白過ぎるから合格だ」

「ありがたき幸せ」

「……あのう。やはり私は――」


 自己愛の強い同僚と何を考えているのか分からない上司の元より、別のところで働きたいと願った吉村が異動を願い出ようとしたとき。

 信長は「おぬしも合格だ」と間髪なく申し渡した。


「家族のために働く者は上司にも忠誠が高い。それにおぬしの立ち合いを見ていたが、素晴らしい腕前であった。だから是非とも働いてもらいたい」

「いや、しかし……」

「……なんだおぬし。もしかして儂と共に働くのが嫌と申すか!」


 吉村は平伏し「それは語弊があります!」と額を突いて訂正した。


「ならば儂と共に任務に当たれ。良いな?」

「か、かしこまりました……」

「ああ、そうだ。おぬしらに渡す物があった」


 信長はおもむろに懐に手を入れて――小判が包まれた金包を取り出した。


「十両ある。今日はそれで遊んで来い」

「じゅ、十両……!?」


 吉村と山野は度肝を抜かれた。

 どうしてそんな大金を――


「鴻池の主から付届けが毎月来るのだ。無論、返さなくてよい」


 鷹揚に信長は動揺している二人に言う。


「祇園や島原に行くのも良し。美味いものをたらふく食うのも良し。好きに使え」


 信長はこのとき、無邪気な笑みを見せた。

 吉村と山野は、この人こんな顔もできるんだと驚愕した。


 二人の信長に対する印象は『第六天魔王の名を騙る意味不明な男』だった。

 また良くない噂も多数聞く。芹沢を殺したのは信長だとも言われていた。

 さらに八月十八日の政変のとき、会津藩の兵に向けて発砲したという逸話もある。


 そんな変な初老の男から十両を貰った二人の心境は計り知れない。

 結局、震える手で彼らは各々の懐に仕舞った。



◆◇◆◇



「……それで、身辺調査は終わったのか? 山崎」

「はい。信長はんのおっしゃるとおり、隅から隅まで調べました」


 それから三日後。

 大坂訛りの男――山崎丞は信長の部屋で報告をしていた。


 山崎の顔は至って普通である。

 しかしこれと言って特徴がない。

 顔を印象付けるもの――目や鼻が大きいとか、逆に小さいとかもない。

 まるで日本の男の顔を全部集めて、普通と呼ばれる部位を集めて調整したような顔なのだ。


 だがそれゆえ、山崎は何でも化けられるしどこでも潜入できる。

 没個性的な顔だからこそ可能な芸当だ。

 それに特徴がないからすぐに人から忘れられてしまう。

 だから土方は彼を監察方かんさつがたの隊士に抜擢したのだ。


「吉村はんは貰った十両を家族に仕送りしたみたいですね」

「そっくりそのままか?」

「ええ、そうです。なんや満足げにしておりましたわ」


 信長は顎を触りながら「もう少し話を聞けば良かったな」と呟く。


「その際、仕送りした男がいらんことをしようとしていたので、懲らしめておきました。無事に吉村の家族の元に送金されたと思います」

「流石である。良い仕事をしたな、山崎」


 褒められた山崎は「ありがとうございます」と嬉しそうな顔をした。

 しかし反応が普通過ぎるので印象に残らない。


「山野はどうした?」

「……聞きはりますか?」

「なんだ? もしや密偵だったのか?」


 信長の剣呑けんのんな声に山崎は「そんなんではありまへんが」と困った顔になった。


「芸者を呼んで自分の顔や身体を褒めさせていました。朝から晩まで」

「…………」

「芸者は皆、げっそりしていましたよ」


 信長は「あまり聞きたくなかったな」と後悔した。


「しかし、よくやったぞ。これで安心して使えるな」

「信長はんは剛毅なお方ですね。身辺調査のために二十両も使うとは」


 山崎はそのこと自体に驚いていた。

 信長は「人間、大金を得たときに起こす行動こそ、真実を写す」と語った。


「その者の欲望や大事にしていることがよく分かる」

「それはそうですが……」

「逆に言えば、儂は臆病でもある」


 信長はにやりと笑って山崎に言う。


「そこまでしないと部下を使えなくなったのだから。まったく、裏切りは人を病ませるわい」

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