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第21話信長、務めが増える

「芹の草を枯れさせて、沢の水も飲み干して、鴨を食い殺す壬生狼みぶろ、おそろしやおそろしや♪」


 京の市中で童たちが楽しげに歌っている。

 それを見て沖田は「噂は馬鹿になりませんね」と苦笑いした。


「京の者共は無駄に教養があるからな。是非もなし」


 信長は大きな欠伸をしつつ返した。退屈しているらしい。


「そんな悠長なこと言って。永倉さんや島田さん、怒ってましたよ。芹沢さん殺したこと。特に同じ神道無念流の永倉さんは」

「言わせておけば良い。あの者は頑固だがそむくことはせん。事前に何も言われなかったことに憤っているだけだ」

「そうですね。永倉さんは文句や不平は言いますが、それで終わる人ですから」

「……それにしても、暇だのう」


 信長は再び欠伸をする。沖田は「しょうがないですよ」とつられて欠伸した。


「私たちは攘夷がしたくて京へ来たのに、やっていることは治安維持なんですもの」

「儂はその経緯をよく知らん。武蔵国むさしのくにの田舎道場の出なのだろう? それが何故――京に上洛してきた?」

「話すと長くなりますよ?」

「構わぬ。どうせやることなどないのだ」


 沖田は「せっかくだから茶屋で話しましょう」と誘う。

 信長と共に入ったのは馴染みの店だ。以前、坂本龍馬と食したところでもある。


「そもそも、江戸で浪士が集められたのがきっかけなんですよ」

「ふむ……名目はなにぞ?」

「将軍、家茂いえもち公の護衛です。近藤さんが『これで一旗上げよう』と皆を誘って浪士組に参加したんです」

「話していて分かるが、あやつは幕府が好きなのだな」


 信長の時代には幕府はなかった。

 一応、足利将軍はいたが、幕府という名称は存在しない。


「ええ。尊皇攘夷じゃなくて、幕府のために攘夷しようと考えている方ですから」

「ふむ。その浪士組が今の新選組の前身となったのか?」


 信長が団子食べつつ、そう結論付けると「ところがそうじゃないんですよ」と沖田は汁粉を啜る。


「浪士組の発起人の清河八郎って人がいたんですけど、京に着くと『将軍の警護は嘘。本当は尊皇攘夷のさきがけとなる集団を作るため』って言って。朝廷に取り入ってしまったんですよ」

「なんじゃいそりゃ。滅茶苦茶だな……江戸で集められたってことは幕府の許可を得てやったんだろ?」

「ええ。つまり幕府の役人も騙したんですよ」

「詐欺師としては一流だな。ということは――近藤たちは梯子はしごを外されたわけか。気の毒にのう」


 茶をゆっくりと飲み干す信長。

 それから空になった茶碗を店の女中のマサに見せる。


「あーい。かしこまりました」


 そう答えつつ、まるで殿様みたいね、とマサは思った。


「それで浪士組はいろいろあって江戸に戻ることになったんですけど、近藤さんと芹沢さんが京に残るって言いだしたんです」

「将軍の警護もせず、利用されただけでは面目丸つぶれだからな」

「あとはノブさんも知っての通りですよ」


 沖田は美味しそうにところてんを食べた。

 信長は「その清河八郎はどうなった?」と訊ねる。


「ああ、死にましたよ。江戸で斬られたようです」

「ふうむ……斬ったのは誰ぞ?」


 沖田は顎に手を置いて「近藤さんと顔見知りだったはずです」と思い出すように言う。


「そうそう、佐々木只三郎ささきたださぶろうって人です。旗本はたもとの方でしたっけ」



◆◇◆◇



 沖田との見廻りを終えて、新選組の屯所に帰ってきた信長。

 水戸派を一掃したことで個人部屋を与えられた彼は、自室で休もうとのんびり廊下を歩いていると「信長さん」と声をかけられた。振り返るとそこには山南が腕組みをして立っていた。


「おう。どうした?」

「今後について話したいことがあります。私の部屋へ来てください」

「……まあいいだろう」


 腹も膨れて夜飯まで昼寝でもしようかと思っていたが、立場が上である山南の誘いは断れなかった。ま、信長がその気になれば断れたが、話したいことというのが気になる。

 山南の部屋に入ると「暮れには大坂にまた出向きます」と単刀直入に切り出した。


「あなたは鴻池さんと親しい。挨拶に出向いてくれると助かります」

「あい分かった。いつぐらいになる?」

「十一月に予定しています。それまで怪我や病気などせぬように、ご用心ください」


 信長は「留意しておく」と答えた。


「それとあなたの役職――浪士目付役の権限を増やします」

「権限? 元々無かっただろう?」

「それでは些か不味い。新選組は一枚岩で動ける体制になりました。これ以上、派閥争いや内部分裂はしたくない」

「儂に見張れと申すか?」


 はっきり言えば、信長は余所者である。

 彼自身そう思っているし、そうでいいと納得していた。

 沖田と親しく関わっても、所詮は部外者だと感じていた。


「あなたも分かっているように、新選組は警邏けいらしかしていなく、攘夷を行なうどころではありません。しかし組織を拡大すれば、幕府も私たちのことを無視できなくなります」

「渦中である京で巨大な勢力となれば可能性はあるな」

「そのためには隊の規律を引き締める必要がある。だが土方くんや私だけでは手が回らない」

「近藤はせんのか?」

「あの方には幕府の方々とのやりとりに集中していただきたいのです」


 信長は「そこで儂の出番か」と頷いた。


「ええ。あなたは統率力がある。新選組に程よい緊張感を与えてくれると期待しています」

「随分と控えめな言い方だな。ま、良かろう……と言いたいが。一つ確認がある」


 山南は油断なく「なんでしょうか?」と問い返す。


「局中法度に『訴訟を勝手に取り扱ってはならぬ』とある。しかし目付として隊士を罰する場合――訴訟になる可能性がある」

「…………」

「皆の前で宣言してくれ。あるいは一筆書け。『浪士目付役は訴訟を取り扱っても良い』と」


 山南はふうっと溜息をついて「油断が全くないみたいですね」と言う。

 それからにっこりと笑った。


「あなたが暴走したら、それで処罰しようと思ったのに」

「であるか。当然だな」

「分かりました。近藤さんと土方くんには私から伝えておきます。今、ここで一筆書きましょうか?」

「ああ頼む」


 山南が書き終えたのを見て「それから部下をくれ」と信長は要求した。


「ただの相談役なら要らぬが、本格的に務めをやるとなると手が足らんかもしれん」

「ええ、いいですよ。平隊士の中から選んでください」

「なんだ、沖田は駄目なのか。吝嗇けちだのう」


 山南は「彼にはやってほしいことが山ほどありますから」と言う。


「皆の補佐というよりも、皆の魁となってほしいのです」

「あやつはそっちのほうが向いておる。ならば……」


 しばらく悩んだ信長。

 そして「この二人を貰おう」と言う。


吉村貫一郎よしむらかんいちろう山野八十八やまのやそはち。こやつらならば問題あるまい」


 山南は慎重に「どうしてその二人なんですか?」と問う。


「吉村は最近入隊した者の中でもずば抜けて強い。沖田ほどではないが、一通りの剣術は修めているだろう」

「山野は?」

「あやつは顔がいい。目の保養になる」


 山南は「面食いなんですね」と笑った。

 しかし吉村や山野は彼自身、良い人材だと思っていた。

 それを取るとは、目敏いと感じた。


「ま、山崎丞やまざきすすむなども良いが、あれは内部調査よりも敵方を探らせたほうが向いておるわい」

「私もそう思います。では吉村と山野をあなたの部下にします。正式な決定は明日になりますので、気に留めてください」


 信長は「であるか」と言って立ち上がった。

 そして部屋から出る前に「そうだ。一つ聞いておこう」と呟くように言った。


「沖田の技――おぬしから見てどうだ?」


 おそらく芹沢を殺したときの三回連続の突き――三段突きのことを言っているのだろう。

 山南は「恐ろしく素晴らしい技だと思いました」と答えた。


「あれを繰り出されたら――負けますね」

「そうか。ならばよし」


 信長が去った後、山南は土方に言われたことを思い出す。

 ――秤にかけていたことを。


「……それでも、新選組にとって有益なら」


 その気持ちだけは、変わらなかった。

 不思議なことに、山南は信長のことを――信頼していたのだ。

 彼自身、知らないうちに。

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