目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第17話信長、御所の警備をする

 八月十七日の夜のことだった。


「おう。雁首揃えてどうした? 事件でもあったのか?」


 八木邸の大広間に信長が入ると、壬生浪士組の幹部が勢揃いしていた。

 水戸派の芹沢と新見、平山と平間、野口に佐伯さえき

 試衛館派の近藤、土方と山南。沖田、永倉、斉藤、井上、藤堂、そして原田。

 土方が「早く席に座れ」と己の隣を示した。


「それでは、軍議を始める」


 信長が座ったのを契機に、筆頭局長の芹沢が宣言した。

 芹沢が酔っていないのに信長は気づく――こりゃ大事だな。


「帝の密命で長州藩と急進派の公家を排除することとなった。その上で我らは会津藩の要請で警備にあたる。かの藩の出動命令があるまで待機だ。何か質問がある者はおるか?」


 珍しく水が流れるようなすらすらとした口調の芹沢。

 すると信長は「こうなった経緯を整理してくれ」と言う。


「儂はまったく状況が分からん」

「ま、そうだな。今日に至るまでには複雑だ……他にも分かっていない者が多い」


 芹沢は「山南、説明してやれ」と命じた。

 山南は「かしこまりました」と受ける。


「皆も既に知っていることを改めて話すかもしれない。しかし、説明のためには必要な事柄も含まれるのでそこは承知していただきたい。まず、長州藩は攘夷において急進派、会津藩とこたびのことで手を結んだ薩摩さつま藩は穏健派なんだ」


 信長は「攘夷とは外国を排斥することだろう?」と問う。


「派閥などあるのか?」

「一口に攘夷と言ってもやり方が異なります。急進派は『条約を破棄して国を閉じ、日本にいる外国人を排除する。そして外国が攻めてきたら徹底的に戦う』のが信条です。対して穏健派は『外国の力は侮れない。今の日本では太刀打ちできないので、国を強くしてから外国と戦う』という考え方です」

「であるか。その急進派の長州藩が何か仕出かしたのだな?」


 信長の指摘に「そのとおりです」と山南は首肯した。


「公武合体で幕府と朝廷は結びつきました。けれど、幕府は攘夷に後ろ向きでした。それに長州藩は反発し、単独で諸外国の軍艦に砲撃した――今年の五月のことです。それに幕府の上層部は怒り、長州藩は孤立することとなりました」

「なるほど。他に賛同した藩もいなかったわけだ」

「ええ。そのため、長州藩は朝廷に近づくようになりました。彼らの思想に賛同する公家も多くいます。しかも、朝廷への工作が成功してしまった。ついに帝自ら軍議を行なうこととなりました」


 信長は腕組みをして「さっき芹沢が『帝の密命』と言っていた」と山南を見た。


「つまり、帝は軍議やそれに伴う行幸ぎょうこう……京を離れることを良しとしなかったのだな?」

「ええ。公武合体で帝の妹君が上様に嫁ぎましたし、帝は幕府が朝廷を補佐するやり方……『佐幕』を望んでいます。また本心では穏健派なのでしょう」

「ま、帝の立場からすれば長州藩に利用されているんだな」


 山南は「結局、長州藩は帝や朝廷を政治の道具でしか見ていないのですよ」と断言した。


「それで、密命とはなんだ?」

「詳細は私たちには明かされていません。しかし、予想はできます」

「まあ儂も分からんでもない。しかし大胆なことをするものだ」


 信長は腕組みを解いて後ろに手をついて天井を見上げる。

 沖田が「ねえ、ノブさん。私、分からないので教えてくださいよ」と言う。


「今の話を聞いても予想すらできません」

「儂たち壬生浪士組は警備にあたるとのことだが、それがどういうことか分かるか?」

「はあ……敵から帝を守るためですよね?」

「その場合の敵を考えてみよ」


 沖田ら副長助勤たちが考え込む。

 いち早く答えに行きついたのは、斉藤一だった。


「長州藩か? しかしどうして奴らが攻めてくる?」

「ふひひひ。決まっているだろう……長州藩とそれを支持する公家たちを締め出して、穏健派の公家が政策を決めるのだ」


 信長が実に悪そうな顔で答えを言った。

 どよめく大広間。


「こんな夜中に警備を集めたのは、深夜に穏健派の公家たちが参内し、その後で急進派の公家たちが入らないように儂らが『警備』するのだ。ひょっとしたら長州藩が攻めてくるかもしれんがな」

「ということは……戦ですか?」

「ああ。長州藩による政変への会津藩と薩摩藩の反撃と言ったところか」


 そこまで信長が言うと、芹沢が「今ので分かっただろう」と皆に告げる。


「要は長州藩を京から排除するためだ。戦も覚悟しておけよ」


 それから近藤が「皆に渡したいものがある」と告げた。


「揃いの羽織が完成した。これを着て、京に壬生浪士組ありと大いに目立ってほしい」


 井上によって各隊士に赤地に黒のダンダラ、後ろに誠が書かれている隊服が配られた。

 全員が羽織ると、どことなく陰鬱で凄惨な雰囲気がある。

 特に信長が羽織ると魔王がこの場にいるような雰囲気を受けた。


「隊士はこの場にいる者を含めて百人ほどいる……全員で出陣するぞ!」


 芹沢の言葉に一同は「応!」と声をあげた。



◆◇◆◇



 日が越えて、八月十八日。

 会津藩からの急使により、壬生浪士組は八木邸から出陣した。

 揃いの派手な羽織を着た百人の隊士たちを見て、京の住人たちは度肝を抜かれた。

 深夜だというのに見物人が大勢いる。


「なあなあ。こんなに目立って長州藩の奴らにばれねえかな?」


 そう言いつつ、わくわくしている原田に永倉は「とっくにばれているだろう」と言う。


「なにせ、既に会津藩と薩摩藩が動いているのだ。いつ戦闘になってもおかしくない」

「本当かよ? うわあ、楽しくなってきたなおい」


 そんな二人に「戦にはならん」と信長は言う。


「長州藩は京から撤退するだろう」

「なんでそう言い切れんだ? 信長さん」


 永倉の問いに「帝の意思だからだ」と信長は答えた。


「帝に今すぐ攘夷を行なう気が無いと分かれば、攻めても仕方あるまいよ。あいつらは急進派であるとともに尊皇派でもあるんだろう?」

「……そうだな。しかし、信長さんはよく分かるな」


 永倉の感心に賛同するように原田も「俺もそう思うぜ」と言った。


「人の心を隅から隅まで読んでいるみたいだ」

「いや、儂は人の心など分からんよ」


 信長は寂しそうな顔で呟く。


「人の考えや策は読めるが……心までは知ることなどできん」


 その横顔が切ないものだったので、永倉と原田は顔を見合わせた。


 行軍し、御所の蛤御門はまぐりごもんに着くと、そこには会津藩が守備していた。

 兵士たちは槍を構え「貴様ら、何者だ!」と誰何する。


「壬生浪士組である! 会津藩の命により、御所の守りをするように仰せ仕った!」


 近藤が怒鳴るような大声で名乗る。


「なにい? 壬生浪士組? ……おい、聞いたことあるか?」


 どうやら会津藩には壬生浪士組のことを知っているものが少ないらしい。

 まだ結成して大した活躍もしていないから当然である。


「うろんな奴らめ! ここから立ち去れ!」


 会津藩の兵に睨まれ、隊士たちは怯む。

 そのとき、芹沢が愛用の鉄扇を取り出して、向けられた槍を扇ぐように逸らす。


「な、何をするか!?」

「俺たちはなあ。会津藩の藩主、京都守護職の松平容保公から直々命じられて警備するように言われたんだ――三下は引っ込んでろ!」


 槍を向けられながら啖呵を切るとは、余程の胆力がなければできない。

 これには敵味方共に度肝を抜かれた。


「ふひひひ、やるではないか」


 信長は短銃を取り出して会津藩の兵に向けた。


「ま、行き違いがあったということは認めよう。水に流してやるから、儂らを警備につかせろ」

「ば、馬鹿なことを――」

「なら、死ぬか?」


 信長が本気で撃つと分かったので会津藩はさらに戦慄した。

 だが大事に至ることはなかった。

 会津藩の軍事奉行の西郷十郎右衛門さいごうじゅうろうえもんが馬でやってきて事情を説明したのだ。

 おそらく、派手な恰好の壬生浪士組を見て、報告が上がったのだろう。

 こうして壬生浪士組は堂々と警備に着くことができた。


 そして八月十八日の政変と呼ばれる事変は、長州藩の撤退と急進派の公家の排除で決着がついた。

 これで会津藩の京の影響力は強くなり、壬生浪士組が活躍する地盤が固まりつつあった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?