「違う違う! 小手先で斬るんじゃなくて、身体を使って斬るんだ!」
八木邸の広い中庭。
怒鳴り声をあげているのは、指導役の沖田だ。
それに入隊したての隊士たちは汗を流しながら「はい!」と声を揃えて返答する。
新入りの彼らは小野川親方や壬生村の有力者の伝手で集められた。
信長が望んだとおり、農村や商家の次男以下の男子が多い。
必死になって鍛錬に取り組む姿に沖田も気合が入った。
何故なら沖田が鍛える隊士は、そのまま彼の隊に組み込まれるからだ。
試衛館派の隊士たちは全員天然理心流ではない。
流派の純粋な使い手は近藤と土方、井上に沖田だけである。
山南と藤堂は北辰一刀流、永倉は
多数の流派が混在しているということは、剣筋や動きを読まれづらくなる利点もあるが、教えるとなると話は別である。まず、剣の構え方からして異なる。教わるほうが混乱するだけではなく、教えるほうもややこしくなる。
そこで信長が提案したのは副長助勤が隊士を選び、それで自分の流派を教えることだった。
己の流派だけ教えれば良いのに加えて、隊全体に一体感も生まれる。
さらに言えば、簡易的な師弟関係となるのも良かった。信頼と共に強い主従も生まれるのだ。
「よし! 今日はここまで! 解散!」
沖田の指導は荒っぽかったが、意外と伸びる者が多かった。
彼が才覚のある者を選んでいるのもあるが。
「ノブさん。せっかくだから稽古に付き合ってくれればいいのに」
「儂は剣術など習ったことはない。それにこいつしか扱えないからな」
短銃を見せびらかす信長に「気構えだけでもいいんですよ」と沖田は柄杓を桶に入れた。
「私は、それだけは教えられないですから」
「であるか。沖田、これから見廻りに出かけるのであろう? 儂も行くぞ」
「いいですよ……って、今日は
祇園の日とは京の祇園を見廻る日付である。
信長はふひひひと笑いながら「鴻池から銭が届いたのだ」と言う。
「久方ぶりに遊びたいのだ。どれ、おぬしも行こうぞ」
「もう。あくまでも見廻りなんですからね?」
信長は「分かっておる」と言いつつウキウキしていた。
沖田は困った顔で溜息をつきながら、信長と一緒にいると楽しいからいいかと気持ちを改めた。
汗を手ぬぐいで十分に拭いて上着を整える。
「それでは、行きますか」
「うむ、参ろうぞ」
◆◇◆◇
「刀は太刀よりも
「……おぬしは本当に剣術馬鹿だな」
男の欲望を満たすため、煌びやかな灯りの元、着飾った女たちがなまめかしく誘う――祇園。
盛況かつ怪しげな雰囲気の中、信長と沖田は見廻りをしていた。
しかし二人の話す内容は色っぽくない。沖田は剣術の話しか話さないし、信長はそれに相槌を打つだけだ。
美少年である沖田を見る女たちは
時折、
その理由を訊ねると「まだ修行中の身ですから」と笑った。
「その年で女を知らんとは。先が思いやられるぞ」
「なんですか。ノブさんのほうこそ、馴染み作らないんですか?」
「良い女がいなくてな」
「ノブさんって奥さんいたんですか?」
過去形になってしまったのは沖田も気づかなかった。
信長は気づいていたが敢えて無視する。
「まあな。初めての妻は
「美濃のマムシ? 蛇から生まれた女性ですか?」
「マムシはあだ名よ。
沖田は「斎藤道三? 斉藤さんの親戚ですか?」ととぼけたことをのたまう。
「油売りから美濃国の国主となった男だ。そうか、もうあまり知られていないのか……」
信長が珍しく寂しげな顔になったので、慌てて「いえ、私が物知らずなだけですから」と否定した。
「山南さんなら知っていると思いますよ」
「であるか。ま、
信長は言葉を止めた。
それは沖田が足を止めたからだった。
視線を追うと――とある女に当たる。
白粉を品良く塗った小柄な少女――否、美少女。
ぱっちりとした目と整った鼻筋。
紅を塗った唇は明るい。
笑顔ではなく、無表情。だがどこか惹きつけられる。
紺色の派手ではない着物を着ていて、地味な印象を受けるが、それがまた奥ゆかしい。
咳をする仕草も様になっていた。
その美少女は格子の中にいた。
つまり、
沖田の頬に赤みが増す。
そして、美少女と視線がぶつかる。
美少女は沖田を見て驚く――すぐに視線を外した。
それでも沖田はずっと、見惚れている。
信長はにやりと笑った。
こやつ、その娘に惚れたな?
◆◇◆◇
「沖田。お前の元気がないと、土方に言われてな。どうしたんだ?」
「…………」
あの日から二日が経つ。
沖田は物憂げに考え事をするようになった。
美少年が悩む姿は絵になるが、壬生浪士組でも指折りの剣士が腑抜けていると、全体の士気が緩んでしまう。
「理由は分かるぞ。あの娘に惚れたんだろう?」
「…………」
「純情だのう。初々しくて見てられんわい」
「…………」
「……土方から今日は休めと言われているぞ」
「…………」
それでも沖田は喋らない。
すると信長は「あの娘、年若いが相当美しかった」と言い出す。
「もう少し成長したら美女になるぞ。その前に儂が囲って――」
「なっ!? やめてくださいよ!」
ようやく反応した沖田に「ふひひひ、冗談だ」と信長がいやらしく笑った。
からかわれたことに気づいた美少年は仕掛けた第六天魔王を睨む。
「そんなに怒るな。さあ、祇園に行くぞ」
「……店の名前も、通りも忘れてしまいました」
「そんなに夢中だったのか? ま、安心しろ。儂は覚えている」
信長は沖田を無理やり引っ張って立ち上がらせた。
「あの娘を誰かに盗られちまう前に急ぐぞ」
「……はは。ノブさんって結構、面倒見良いんですね」
「ああ。家臣の婚約を考えたことぐらい、山ほどあるわい。森可成とかな」
そういうわけで二人は祇園の『
なかなか店に入ろうとしない沖田を押しつつ、中へ入ると何やら騒がしい。
「尋常な空気ではないな。おい、何があった!」
信長がよく通る声で叫ぶと店の奥から「ああ、お侍さま!」と店の者がやってくる。
「お客さんが暴れとるのや! なんとかしてください!」
「――っ! ノブさん、行きましょう!」
信長の返事を待たずに沖田は駆け出す。
「掴みどころのない若者だと思ったら……面白い男である」
信長も後に続く。
そして開け放った襖から部屋に入る。
「なんじゃ貴様ら! 何者だ!」
そこには三人の武士――信長は不逞浪士と判断した――と怯えている例の美少女がいた。
沖田は「その子に何をした!」と怒鳴る。
「いやなに。この娘、客に対して愛想が無くてな。だから少し『指導』してやったのだ」
見ると美少女の頬が赤くなっている。
沖田はますます熱くなる。
「女を殴るなど、武士にあるまじきことだ!」
「はっ。ならば――」
三人はすらりと刀を抜く――美少女はますます怯えた。
沖田も刀を抜こうして――ぱあんと音が響く。
「ぎゃあああああああ!」
先ほどから喋っていた不逞浪士がどたんと仰向けに倒れる。
右肩から血が流れていた。
「なあおい。ふざけたことしているじゃねえか」
信長が短銃を彼らに向ける。
目が完全に据わっていた。
「な、なんだこの親父――」
そう言った不逞浪士にも発砲。
今度は左腕に当たる。
そして悲鳴。
「なあ、おぬし。身体に穴を空けられたくなければ、そいつら連れてどっか行けよ」
「ひいい!? な、何だお前は?」
信長は短銃を残りの男に向けて言う。
「弾はまだ残ってんだ。分かるよな?」
それは誰にでも分かる最後通牒だった。
男が二人を引きずって逃げ出す。
沖田は「良いところを取られてしまいましたね」と苦笑いした。
「いや。まだ取っておらん」
「えっ? だって――」
「女を慰めるのが残っているだろう」
沖田は隅で震えていた娘を見た。
まだ怯えている。
「儂は店の者と話してくる。その間、慰めてやれ」
「ノブさん……」
信長は沖田の肩を叩いてその場を去った。
第六天魔王は人の恋路の邪魔などしないのだ。