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第4話信長、着物を買う

「ノブさん、朝ご飯食べたら早速行きたいんですけど」

「であるか。儂もこのような恰好でいるのはあまり好まぬ」


 八木家が用意した朝食を手早く食べた信長は、沖田を伴い京の市中に出向いていた。

 その際、永倉に「揉め事は起こすなよ」と忠告をされた。京の治安維持が目的の組織の人間が無用ないさかいを起こすのは本末転倒である。信長は軽く頷いて了承した。


「おっさん、髭が伸びっぱなしだけど、らねえの?」


 その買い物には原田も参加していた。当人は見張り役だと永倉たちに言っていたが、面白がって付いていくのは全員分かっていた。原田は肩に自身の得物である槍を担いで信長と会話していた。


「毛抜きがないからな。しばらくはこのままだ」

「毛抜き? 剃刀かみそりで剃らねえの?」

「剃刀? それは出家するときだろう?」


 当時の戦国武将は剃刀ではなく毛抜きで手入れしていた。

 会話にずれを感じながらも面白いおっさんだなと原田は笑った。

 信長も原田のことをお気に入りだった森長可もりながよしのようだと思っている。乱丸と似ている沖田らというと森家に囲まれている気がして懐かしいと感じた。


「着きました。ここの呉服屋ごふくやにしましょう」


 沖田が指さしたのは京でも指折りの商家だった。

 信長は満足そうに「であるか」と言って中に入った。


「これは壬生浪士組の皆さま……既に貸付かしつけをしておりますが……」


 三人が入るなり、店の番頭ばんとうらしき中年の男が帳簿を持って出てきた。

 沖田は「いえ。今回は買い物です」とやんわり否定した。


「この方に合う着物を用意していただきたいです。予算はこのくらいで」

「はあ……この方に? かしこまりました。少々お待ちください」


 番頭は手代てだいたちを呼んで信長の採寸さいすんをし始めた。

 信長が着物を脱ぐと五十路いそじとは思えないほど引き締まった身体が露わになった。

 同時に痛々しい古傷も見えた。商人たちは何者だろうと疑った。


「ノブさん、傷だらけですね」

「まあな。尾張国おわりのくにを平定するまでは、儂自ら先頭に立たねばならんかった」

「苦労してんだな、おっさんも」


 三人の会話を聞いても信長の正体が判然としない。

 気になる商人たちだったが、関わりになるのも嫌だったので、手早く済ませようと急いだ。


「それで、色はどうなさいますか?」

「赤と黒で頼む」

「あ、赤と黒ですか? そんな派手でよろしいので?」


 番頭が驚く中、沖田は「予算内でできるだけ希望を叶えてあげてください」と告げた。

 お金を出さない原田も店の者が出した粗茶を飲みつつ頷く。


「しかし、派手にしたら不逞浪士ふていろうしに斬られませんか?」

「不逞浪士? ……そんな者ども、こやつらが斬り捨ててくれるだろうよ」


 信長が言い切るものだから、番頭も受け入れざるを得なかった。

 彼が店の奥で着替えている間、沖田は原田と話していた。


「左之助さん。本当に信じているんですか?」

「いや。でも面白れえと思っている」

「のん気ですねえ。私は半信半疑ですよ」

「はあ? 死人が蘇るわけねえだろ」


 けらけらと笑う原田に「切腹せっぷくで死に損なったあなたがよく言えますね」と呆れる沖田。


「いつまで面倒を見るか分からねえけどよ。あのおっさん――」


 最後まで原田は言葉を続けられなかった。

 乱雑に出入口が開かれ、浪人風情の男ども五人が「店主はいるか!」と怒鳴りこんできたのだ。


「な、何用でございますか?」

「俺たちは尽忠報国じんちゅうほうこくの士である! 尊皇攘夷そんのうじょういのため協力しろ!」


 要は強請ゆすりである。今の京ではこのように武士たちが商家に押し入って金銭を要求しているのだ。

 さっと立ち上がった沖田と原田。

 沖田はつばに指をかけて、原田は槍を立杖りつじょうしている。


「協力なんてする必要ありませんよ。どうせ遊ぶ金に使うのだから」

「なんだと!? 貴様ら何者だ!」


 五人の男たちが殺気立つ。

 原田は「へへへ。聞いて驚くなよ」と得意そうに言う。


「壬生浪士組の副長助勤、原田左之助だ」

「同じく副長助勤、沖田総司」

「はあ? 壬生浪士組だと? なんだそりゃ?」


 嘲笑う男たちに「あんまり俺ら知られてねえのかな……」と落ち込む原田。


「まあこれから頑張りましょう」

「うん……てめえら、表出ろ!」


 原田が槍先を向けた。

 沖田はいつでも刀が抜けるようにしている。

 店の者は悲鳴を上げて奥へ引っ込んでいく。


「あんまり店をお前らの血で汚したくねえんだ」


 原田の殺気に五人の男たちは背筋がぞっとする。

 しかしこちらのほうの人数が多いと踏んで一人の男が「ふざけるな」と言う。


「田舎侍風情が、調子に――」


 一歩進んで、原田の間合いに入ってしまった――原田は素早く喉笛のどぶえを突いた。

 店に血が飛び散る。男はこぽこぽと声にならない音を立てて、後ろに倒れてしまう。


「左之助さん。汚してしまいましたよ?」

「はん。俺は『あんまり』って言ったはずだぜ?」


 ここで残された四人は原田がとんでもない達人だと気づく。

 しかも殺しに躊躇がなかった。

 元々、商家を強請って大金を得ようとする者共である。大した度胸はなかった。


「ち、ちくしょう! こいつならどうだ!」


 慌てて一人の男が懐から何かを取り出そうとする――沖田が素早く近づいて、左端の男を斬りつける。仲間の挙動に気を取られていたのか、あっさりと斬られてしまった。

 しかし斬られたと言っても峰打ちで、沖田の素早い手首の返しで本当に斬られたと思ってしまったようだ。懐に手をやった男以外の二人は逃げ出してしまう。


「お前ら! くそ、だがこれでどうだ!」


 震える手で取りだしたのは――短銃たんじゅうだった。

 沖田と原田はなんで浪人がそんなものを持っているのか不思議に思った。


「へ、へへ。貴様らがどんだけ腕が立とうと、これには……」

「なんだ。騒がしいな……」


 間がいいのか悪いのか、信長がすうっと奥から出てきた。

 赤い上着に黒い袴の派手な恰好だ。

 不逞浪士の男は信長に短銃を向けながら「何奴だ!」と怒鳴る。


「うん? なんだそれは?」

「短銃だ! そんなことも知らんのか!」

「短銃……ほう。このようになっているのか」


 興味深そうに信長は見て――男に近づく。


「なっ――う、撃つぞ!」

「ならさっさと撃て。遅いぞ」


 信長は銃身の向きを気にかけながら男に接近して、いきなり鳩尾みぞおちを殴った。

 くの字に折れ曲がる男の身体。

 信長は慣れた手つきで短銃を奪った。


「……沖田。原田。使い方知っているか?」


 信長の気の抜けた声に戦闘態勢だった二人は気が削がれてしまったらしい。

 沖田が「確か、後ろのでっぱりを押してから引き金を引くみたいです」と答える。


「どれ……」


 信長は沖田の言葉通り、撃鉄げきてつを落として、引き金を引いた。

 ぱあんっと音が鳴って――倒れている男の真横に銃弾の穴が開く。


「あ、ああ……」


 男は気を失ってしまった。

 信長は「難しいものよ」と短銃を懐にしまう。


「あれ? おっさん、それ貰う気なのか?」

「こやつが持っていても仕方あるまい」

「そうですけど……なんで彼がそんなものを?」


 疑問に思う沖田。

 そこへまた、男が入ってきた。

 まさか新手かと沖田と原田は警戒する――


「はあ、はあ。ここで銃声したきに、誰か短銃持っとらんか?」


 その男はむさ苦しい恰好をしていた。

 細目で髪を後ろで縛っているだけ。浪人そのものの恰好。

 だがどこか魅力を感じるような端正な顔つき。

 きちんと風呂に入り、身なりを整えれば、それなりの武士に見えそうだ。

 しかし今は埃だらけで汚らしい見た目をしていた。


「ああ。持っているが。おぬし、何者ぞ?」


 懐に仕舞った短銃を見せると、その男は「良かったぜよ」と笑った。


「道で落としてしもうた。あんたが持っていて――」

「あれ? あなた、近藤先生の知り合いじゃないですか?」


 沖田の指摘に男は「近藤先生? ああ、試衛館の近藤勇こんどういさみか」と笑顔を浮かべた。


「そういえば、おまんの顔も見たことあるぜよ。沖田……」

「沖田総司です。えっと、あなたは……」


 知り合いの知り合いだからか、名前がはっきりしないらしい。

 男は「改めて名乗ろう」と自己紹介した。


「俺は坂本龍馬さかもとりょうまちゅうもんぜよ。よろしくな」

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