どのくらいの間、立ち尽くしていたのだろうか。
外から聞こえたカラスの声で、僕は顔を上げた。
いつの間にか日差しは、赤みを帯びた色に変わりつつある。この世のものではないものたちが、活発に動き始める時間だ。昼間は視えないものたちも、視えやすくなる——。
「一ノ瀬さん……」
御澄宮司は
「これは、一ノ瀬さんに渡しておきます」
「はい……」
黒い文字が書かれた赤い札の束には、白い帯封がついている。
——これ……。麗華がランタンの箱に貼っていた札と、似てる……。
「先に話しておきますが、刀の呪力は無限ではありません。もし、大量にあったランタンが全て呪具だったとしたら、刀の呪力の方が、先に切れてしまう可能性が高い。私が物の怪を祓えなかったら、屋敷の四方にこの札を貼り、逃げてください」
「え……?」
「まぁ、足止めにしかならないかも知れませんが……。逃げたら、その足で私の神社へ行き、
「それって……御澄宮司を、置いて行くってこと、ですか……?」
「そうです」
「何……言ってるんですか……? そんなこと、できるわけがないじゃないですか」
「私は……私一人なら、なんとかなりますから。お二人が先に屋敷を出てくれたら、私も後で逃げますよ」
——うそだ。
瑛斗を逃したら、今度こそ麗華は本気で怒るだろう。呪力が使えなかったら、身を守ることができない。それくらいのことは、御澄宮司も分かっているはずだ。
「心配しなくても大丈夫ですよ。それと、札を貼る時は、呪具をつけている左手で貼ってくださいね。呪具には、一ノ瀬さんの霊力が溜まっているので、問題なく効力を発揮できるはずです」
「でも……」
「一ノ瀬さんなら、できますよ。瀬名さんは神社の結界に守られますし、一ノ瀬さんも、その呪具を着けている限りは安全ですから、なんの心配も……」
「そうじゃなくて! 御澄宮司を置いて逃げるなんて、できません! 瑛斗もきっと、同じことを言うと思います!」
「……あなたはやはり、優しいですね……」
御澄宮司は目を
「でも、その優しさは、今の状況では命取りになる。一ノ瀬さんは、私たちも、物の怪も、両方を守ろうとしていますよね? でも向こうは、私たちを殺してでも、瀬名さんを自分のものにしようとしますよ。命がかかっている状況では、甘いことは言っていられないんです。今は、瀬名さんを救うことだけを考えてください」
「っ……!」
御澄宮司が言っていることが正論すぎて、言葉が出てこない。僕はただ奥歯を噛み締め、視線を床に落とした。
それでも、もし本当に逃げなければいけない状況になった時、僕は御澄宮司を置いて逃げることは、できないと思う。誰かを犠牲にして逃げるなら、僕が——。
御澄宮司は札の束を、僕の左手にぐっと握らせた。
「瀬名さんを守れるのは、一ノ瀬さんだけですからね。それだけは絶対に、忘れないでください」
「……はい」
札に反応するように、数珠は淡い光を放っている。御澄宮司の言う通り、僕も呪具を身につけていれば、この札を使うことができるようだ。
『札を貼って、逃げろ』ということは、この札は霊気を封じたり、結界の役目をする札のはず。そして僕に渡したのなら、霊体に直接貼る札ではないということなのだろう。
——御澄宮司の考えが正しいのかも知れないけど、やっぱり、誰かを犠牲にするのは嫌だ。甘いと言われてもいいから、僕は別の方法を考えよう。
僕は、それ以上は何も言わずに、札の束を上着のポケットに差し込んだ。