会話のない車の中は、息が詰まりそうだ。
不動産会社の駐車場を出て以来、
話しかける勇気がなかった僕は黙ったままで、窓の外を見ていた。もう二時間以上、この状態が続いているような気がする。
——牧田は、ちゃんと治療を受けたのかな……。
牧田の口からは、かなりの量の血が流れていた。いくら、すぐには死なないとはいっても、牧田が死ぬつもりなら、治療は受けないかも知れない。それに——。
『くそっ。やっぱり、やるしかねぇか……』
あの御澄宮司の言葉は、どういう意味だったのだろうか。
遺体とランタンが見つからないと、完全には祓えないと言っていたが、他にも解決策が見つかったということだろうか。色々と聞いてみたいことはあるけれど、今は御澄宮司に話しかけない方がいい気がする。
車は真っ直ぐな田舎道を進んで行く。どこを見ても、山と川しかない場所だ。少し前から民家は見ていない。田んぼや畑も見当たらない。
——こんな山奥に人が住んでいたなんて、信じられないな……。
車は脇道へ入り、道幅はどんどん狭くなる。前から車が来たら、避けられないような気がする。道の横に生えている草が、車に当たっている音がするので、これ以上は避けようがないはずだ。
そっと御澄宮司に目をやると、眉間に
——あの眉間の皺は、これからのことを考えているのか、それとも道幅が狭いことでなのか……どっちなんだろう。
気付かれないように、チラチラと御澄宮司を見ながら考えを巡らせていると、突然、車の速度が落ちた。正面を見ると、車一台がやっと通れるくらいの細い橋がある。
「もうすぐですよ」
ずっと黙っていた御澄宮司が、落ち着いた低い声で言う。張り詰めた雰囲気に、僕は思わず息を呑んだ。
細い橋を渡り切ると、急に空気が変わった——。
肌にピリピリと刺激を受けるような、冷たい空気だ。それは、御澄宮司の神社にある結界の中とは、また違うものに感じる。
「一ノ瀬さん。前にも言いましたが、
「……はい。分かっています」
——そうだ。大事なのは、生きている
僕は自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返した。
それでも、斬られた麗華に駆け寄る
床に横たわり、真っ赤に染まった瑠衣を見た麗華の、悲痛な叫び声が聞こえてくる。
——頼むから、消えてくれよ。
記憶を振り払おうと静かに深呼吸をすると、御澄宮司の視線を感じた。彼は、僕の中にまだ迷いがあるのを見抜いている。だからこそ、念を押すように言ったのだろう。
御澄宮司の目を見ることができなかった僕は、窓の外へ視線を移した。
——なんで、僕の記憶を消してくれなかったんだよ……。
関係がある人間の記憶を消すなら、真っ先に、僕の中にある麗華の記憶を消して欲しかった。そうすれば、なんの迷いもなく、ただ瑛斗を守ることができたのに。
僕がそんなことを考えていると知ったら、瑛斗はどんな顔をするのだろうか。もう友達じゃないと、僕を
「着きましたよ。ここです」
御澄宮司の声に顔を上げると、目の前には
車がゆっくり止まると、竹藪の奥には大きな屋敷があるのが見えた。大正時代の雰囲気がある、木造の屋敷だ。
「あそこに、瑛斗が……」
「えぇ、ここにいると思います。瀬名さんというよりも、あの物の怪の気配を感じますから」
御澄宮司が運転席のドアを開けたので、僕も車から降りた。
竹藪は長いこと手入れをされていないようで、枯れた竹があちこちで倒れている。屋敷を取り囲むように、大きく伸びた竹が生い茂っていて、それはまるで、屋敷を隠しているようにも見えた。
——呪詛を専門としていた家だから、目立たないようにしていたのかな。
人を呪えば、もちろん恨まれることもあるだろう。だからこそこの家は、人けのない山の中に、ひっそりと佇んでいるのかも知れない。
「では、行きましょうか」
声がしたので振り返ると、
——いつの間に、着替えたんだろう……。
先程までは前髪が横に流されていて、目元が見えづらかったが、
竹藪を抜けて崩れかけた門をくぐると、また空気が変わった。
まるで、別の空間に入り込んでしまったかのように、空気が重い。それに、冷たい霧が身体に
——瑛斗の家と、同じだ。
上から押しつぶされるような圧迫感に、思わず足がふらついた。
「大丈夫ですか?」
力強い手が、僕の腕を掴む。
「大丈夫です。……この、押し潰されるような感じは……。やっぱり、麗華はここにいるみたいですね」
「えぇ。それにしても嫌な空気だ。これは、動物の縄張りと同じようなものだと思うんですけどね」
「縄張り……ですか」
「たしかに、死霊が取り憑いている家の中は、霊気が充満していることが多いですが、これは少し違う気がするんです。あの物の怪が子供を守ろうとして『ここへ入ってくるな』と、周囲を威圧しているんだと思いますよ。現にこの周辺には、他の死霊の姿は見当たりませんからね」
御澄宮司に言われて周囲を見まわすと、たしかに、霊の姿はない。
「なるほど……。霊だけじゃなくて僕たちにも効いているのが、ちょっと困りますけどね……」
「そうですね。私たちは霊力が高い分、普通の人間よりも向こうの世界に近い、ということなのかも知れません」
御澄宮司の言わんとしていることは、なんとなく分かる。普通の人たちとは違うものが視えて、声や音も聞こえて、匂いも感じる。たまに自分は、この世とあの世、どちら側の存在なのだろう、と考えることがある。
「ここから先は、私から離れないようにしてくださいね。瀬名さんを見つけたら、一ノ瀬さんは瀬名さんを、屋敷の外へ連れ出してください。物の怪の相手は、私がします」
「はい。分かりました」
僕が頷くと御澄宮司は、獲物を狩るような鋭い目をして歩き出した。