『やっと、引っ越せることになったんだ』
「良かったな。いつ引っ越すんだ?」
『本格的に引っ越すのは、来週の日曜日だけど、少しずつ、荷物を移動させているところだよ』
「そっか。結構早く決まったな。結局、奥さんが親からお金を借りたのか?」
『そうなんだ。まぁ、条件付きだけどな……。新しい部屋を、里帆の実家の近くに借りるならってことで、貸してくれたんだ。契約も、お義父さんの知り合いのところで借りたから早かったよ。話をするときに俺はいなかったんだけど、里帆が、早く実家の近くに引っ越したいって言ったら、お父さんが喜んで、すぐに手配してくれたらしいよ』
「そっか。さすが奥さんだな。引っ越せるって聞いて、僕も安心したよ。奥さんの実家も、そんなに離れてはいないんだろ?」
『うん。電車で三駅くらいだよ。俺の仕事場からは遠くなるんだけど、仕方ないよな』
「まぁ、三駅くらいなら我慢しろよ。それに、実家が近いなら、娘を預かってもらうこともできるじゃないか。今までは大変だったんだから、たまには預かってもらって、奥さんと二人で出掛けたりしたら?」
『そうだよな……。幽霊の件でも色々と迷惑をかけたし、埋め合わせをしないとな』
「別に、瑛斗が悪いわけじゃないよ。たまたま引っ越した先が、事故物件だっただけだよ」
——思っていたよりも、すんなりと言葉が出てきたな……。僕はいつから、上手に嘘をつけるようになったんだろう……。
瑛斗があの部屋に住むことになったのは、おそらく、偶然じゃない。三人もの人間が不幸な死を
——そういえば、旦那の霊は一度も視ていないな。
そんなことを考えた時、ふと、麗華のランタンが脳裏に浮かんだ。最初に瑠衣が食べたのは、もしかすると、父親の魂だったのかも知れない。そう思ったが、別に同情する気にはなれなかった。あの男がいなければ、こんなことにはならなかったはずだ。
麗華と瑠衣はもっと生きられたはずで、瑛斗も、命を狙われることはなかっただろう。
『——だからさ、今度遊びに来いよ。里帆も蒼汰に、直接お礼を言いたいって言ってるからさ』
「え? あ、あぁ。分かった」
『ちゃんと聞いてるのか? さっきからずっと、黙ったままでさ』
「聞いてるよ。大丈夫。今度、遊びに行かせてもらうよ。それと、ちょうど僕も訊きたいことがあったんだ。その後は、怪奇現象は落ち着いた?」
『今のところは、何も起こっていないよ』
「それならよかった。でも、もしまた何か、おかしなことが起こったら、すぐに教えてくれよ」
『分かった。その時は、すぐに連絡するよ。でも、護符をちゃんと持っているから、大丈夫だよな……?』
「うん。その護符は、きっと瑛斗を守ってくれるから、大丈夫だよ。じゃあ、また連絡する」
『あぁ。またな』
僕は、電話が切れるまで、耳を澄ませる。
何度も聞こえた幼い男の子の声も、耳障りなノイズも、もう聞こえない。静かな間の後に、電話は切れた——。
瑛斗が、やっとあのマンションから引っ越せる。そう思うと、身体の力が一気に抜けて、僕はその場に座り込んでしまった。
今日の瑛斗の声は、高校時代と同じように明るくて、こちらが本当の瑛斗なのだろう、と思った。再会してからの瑛斗が変わってしまったように感じたのは、やはり、不安を抱えていたからなのだろう。
紫鬼に斬られてからは、麗華は姿を現していない。このまま、全てが終わって欲しい。そう願わずにはいられなかった——。