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 御澄宮司は結界から勢いよく飛び出し、瑛斗の腕を掴む。


「立って!」


 御澄宮司が声を大きくして言うと、瑛斗も察したのか、急いで立ち上がった。立ち上がった瑛斗を、御澄宮司は僕の方へ突き飛ばす。


「うわっ!」


 ずっと正座をしていたせいか、瑛斗はよろけてしまった。


「瑛斗!」


 僕は両手を広げて瑛斗を抱き留め、結界の中に引きずり込んだ。


 御澄宮司が助けなければ、また瑛斗は、眠り続けることになってしまっていたかも知れない。もし、間に合わなかったら——と考えると、冷たいものが背筋を這い上がった。


「大丈夫か?」


 僕が言うと、瑛斗は何度も小さくうなずいた。


 突然起きた出来事に、瑛斗は驚いたようで、目を大きく見開いている。まだ何の影響も受けていないようだ。そんな瑛斗を見て僕は、ほっと胸を撫で下ろした。


 御澄宮司と麗華の方へ目をやると、二人は身動き一つせずに、睨み合っている。


「あなたは、誰……」


 麗華は怪訝けげんそうに、目を細めた。


「別に、答える必要はない」


「瑛斗さんを、どこへやったの……」


「それも、お前には関係ない」


 やはり、結界の中にいれば、麗華からは見えないようだ。


 御澄宮司はゆっくりと刀を抜き、さやを後ろへ放り投げた。


 紫色のもやが刀からふわりと溢れ出し、それは次第に大きな塊になって行く。そして、ぐにゃりと動くと、若く美しい女性が現れる。自分の身長と変わらない程の大きな鎌を持った紫鬼しきだ。


 麗華は霊体なので、生きている人間の攻撃は通じないが、同じ霊体の紫鬼なら、麗華を斬ることができる。


 ——やっぱり、斬るのか……。


 分かっていたことなのに、胸の奥が締め付けられるように痛む。大鎌を向けられた麗華は、自分が死んだ時の恐怖を思い出してしまうのではないだろうか——。


 僕は麗華に目をやった。すると麗華は、無表情で紫鬼を見つめている。特に怯える様子はない。


「あなたには興味がないの……」


 そう言って、麗華はきびすを返し、すうっと薄くなる。


 ——あ、消える……。


 僕がそう思った瞬間、御澄宮司が袖に手を入れ、白いものを取り出した。


「逃げられると思うなよ!」


 御澄宮司が白いものを床に叩きつけると、パリパリッ、と音がして、部屋の中は淡い光に包まれた。青白い光は、おそらく結界なのだろう。


 ——そういえば、壁や天井に札を貼っていたな。あれは麗華を閉じ込めるための結界だったのか。


 麗華の姿が、またはっきりと視えるようになった。逃げるのをやめたのだろうか。先程までは無表情だった麗華が、眉を吊り上げ、顔を歪める。


「どうして、私の邪魔をするの。私はただ、幸せに暮らしたいだけなのに……!」


 麗華の声と共に、部屋の中が、ミシミシときしむ音を立てた。


「関係のない人間を巻き込んで、何が幸せだ! お前は自分で、人間であることを捨てたんだ! これ以上、この世に留まることは許されない!」


 御澄宮司は刀を構えた。


「紫鬼!」


 声と共に紫鬼が、トン、と床を蹴る。そして麗華めがけて、大鎌を斜めに振り下ろした。


「あっ」


 思わず声が漏れた。こんなに一瞬の出来事なら、麗華も恐怖を感じずに済むだろうか——。


 次の瞬間、麗華はなぜか、右側にある窓の前に立っている。


 ——あの攻撃を避けたのか! いつ移動したのか、全然分からなかった……。


 チッ! と、男性の舌打ちが聞こえた。


 御澄宮司が左下に刀を構えると、紫鬼も同じように左下に大鎌を構えて跳ぶ。そして麗華めがけて、左下から大鎌を振り上げる。


 麗華の後ろにあったカーテンが、バサっと音を立てて揺れた。霊体でも呪力が混ざっていれば、物に影響を与えることができるようだ。


 部屋には結界が張られ、麗華は外へ逃げることができない。それでも、麗華の表情にあせりの色は見られない。避けながら、どうするかを考えているのだろうか。


 避ける麗華を紫鬼は追いかける。


 何度も大鎌を振っているが、麗華には当たらない。生きている人間のように、疲れたりはしないのだろう。これではいつまで経っても、決着がつかないような気がする。






 ——ん?


 ふと気が付くと、いつの間にか小さな男の子が、ドアの前に立っていた。


 ——瑠衣……!


 瑠衣は人差し指をくわえ、不安げな顔で麗華を見つめている。


 子供の目の前で、母親を斬ることになるのだろうか。そう思うと、瑛斗を抱き留めたままになっている腕に力が入った。




「あの女の人、夢に出てきた人だ……」


 瑛斗がつぶやいた。


「えっ?」


 瑛斗の目は、まっすぐに麗華の方を向いている。霊感がない瑛斗には、霊体の麗華は視えないはずだ。


 ——なんで、視えるんだ……? 


「蒼汰。俺、今は起きているよな……?」


 瑛斗は戸惑いの表情を浮かべ、僕の腕をギュッと握りしめた。瑛斗は、麗華が霊体だと理解しているようだ。なぜ、急に視えるようになったのだろうか。


 ——あ、そういえば……。


 慎也しんやに、街中を連れ回された時の記憶が、よみがえった。


 慎也も霊感がないはずなのに、麗華のことが視えていた。あの時は、慎也が僕の肩に掴まっていて、だから視えたのかな。なんて、なんとなく思った気がする。


 そして今は、僕が瑛斗を抱きしめているような状態だ。瑛斗も僕の腕を握りしめている。やっぱり僕に触れていると、霊体が視えるのだろうか。


 ——ということは……。瑠衣のことも、視えるってことか……!


 瑛斗に、瑠衣の姿を視せたくない。瑠衣が死んでいることを、知られてしまう。


 僕は勢いよく、瑛斗から離れた。トン、と音がして、白い布から外れた僕の両足は、部屋の床を踏んだ。


 紫色の淡い光の中から、瑛斗が目を丸くして、僕を見ている。


「一ノ瀬さん! 結界から出ちゃダメだ!」


 御澄宮司の叫ぶ声が聞こえて、僕は声の方へ目をやった。


 すると、御澄宮司ではなく——麗華と視線がぶつかった。


『眠らされて夢の中へ入られると、手出しができなくなります。決して、結界の中から出ないでくださいね』


 御澄宮司の声が、脳裏によみがえった。


 ——あ……。僕は今、何を……。


 麗華は表情を和らげ、目を細める。そして、ふわりと僕の方へ跳んだ。


 美しい顔が一瞬で目の前に来て、頭の中が真っ白になった。


 人形のように、真っ黒で大きな瞳が、僕の目を見つめる。


「一ノ瀬さん!」


 遠くで、御澄宮司の声が聞こえた気がした——。


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