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 外が暗くなり、周辺の家からは窓明かりが漏れる。


 ——何時になったんだろう。


 僕が、携帯電話をポケットから取り出すと同時に「さて……」と、御澄宮司が立ち上がった。


「瀬名さんには、おとりになってもらいます」


「えっ? 瑛斗を囮にするんですか?」


「そうです。そうしないと、物の怪は出て来ないでしょう。私と一ノ瀬さんは結界の中で待機。瀬名さんは、部屋の真ん中に座っておいてくれるだけで良いんです」


 僕と瑛斗は、どちらからともなく顔を見合わせた。


 ——そういうことか……。


 今から麗華を祓うというのに、なぜ瑛斗までこの部屋に残れと言ったのかと、不思議に思っていた。祓うだけなら、麗華を視ることができる、僕と御澄宮司だけで良いはずだ。霊力がない瑛斗は、麗華の姿を視ることができないのだから。


「分かり、ました……」


 瑛斗は顔を引きつらせて、うなずいた。


 暗い物置部屋の四隅には、蝋燭ろうそくが置かれている。まるで今から、怪談話でも始めるような雰囲気だ。


 瑛斗が部屋の真ん中に座ると、すぐそばで、御澄宮司はお香を焚く。スティック型の赤いお香からは、甘い匂いが漂った。


「この匂い……。麗華や、御澄宮司の刀と、匂いが似ています。なんの匂いなんですか?」


「呪力を使った時の匂いに、似せて作ってあるんですよ。これは、生きている人間には、甘い匂いに感じますが、霊体にとっては、とても魅力的な『力』に感じるので、寄ってきます。霊体はこの世に留まるために、力を欲していますからね」


「この匂いにつられて、麗華が現れるかもしれない、ってことですよね」


「えぇ。この間、一ノ瀬さんが護符を押し当てたことで、弱っているはずですからね。必ず出てくると思います。それに、瀬名さんもいるので」


 御澄宮司は微笑んだ。


 ——なんか今、瑛斗の名前が、エサだと言っているように聞こえたな……。


 瑛斗に目をやると、正座をして、首から下げた赤い巾着袋を、両手で握りしめている。目をつむって、ぶつぶつと何かを言っているが、あれは、お経でも唱えているのだろうか。


 まるで正反対な2人。なんだか、瑛斗が可哀想だ。






 御澄宮司に黙っているように言われたので、部屋の中はしん、と静まり返っている。


 たまに瑛斗が、すがるような目つきで僕を見てきた。得体の知れないものに狙われているのだから、誰だって怖いだろう。気持ちは分かるが、今は仕方がない。これから先を平穏に過ごす為だ。


 ——もし瑛斗に、部屋に取り憑いているものの正体を言ったら、どんな反応をするんだろう……。


 娘と仲が良かった男の子と、その母親がもう死んでいるという事実。そしてその親子に、自分まで命を奪われるかも知れないというこの状況。なんの関係もないのに、家族から引き離されて、死んでしまった子供の父親にされるなんて。


 僕が瑛斗の立場なら、頭がおかしくなりそうだ。


 娘にも、瑠衣が死んでいることは絶対に言えない。瑛斗が麗華の顔を知らなかったから、今はまだ、死んでしまったことを知らないだけで——。




 すぅっと、冷たい空気が流れてきた。




 蝋燭の火が、不自然にゆらめく。


 ジリジリとした圧迫感を感じ、それは次第に強くなって行く。


 細い木を折ったような、パキッというラップ音が、部屋の至る所から聞こえ始めた。


 ——来た。


 瑛斗の斜め上辺りに、嫌な気配を感じる。僕がじっと見つめていると、白い靄が現れ、それは次第に濃くなり、美しい女性が姿を現した。麗華だ。肩の部分は、後ろが透けている。僕がこの間、護符を押し当てたからなのだろうか。


 御澄宮司が、麗華の力は弱っているはずだと言っていたが、それでも普通の霊とは違う、強い霊気を感じる。全身の毛が逆立ち、呼吸が苦しくなった。出来るものなら、今すぐにでも逃げ出したい。


 しかし、瑛斗は相変わらず赤い巾着袋を握りしめ、何かを呟いている。


 ——あんなに近くにいても、本当に何も感じないんだ……。


 これが、霊感があるものと、ないものの差なのだろう。何も知らない方が幸せだと思うこともあるが、これでは危険を避けることもできない。


 麗華は微笑み、瑛斗の方へ、ゆっくりと手を動かす。


 ——あっ!


 思わず僕が手を伸ばしそうになった時、ダン、っと床を蹴る音が聞こえた。

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