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 瑛斗と御澄宮司が、僕を見つめる。


「瀬名さんは、この護符を身につけていたことで、身体の中にあった悪い気は、浄化されたのでしょう。しかし一ノ瀬さんは、物の怪の霊気を取り込んでしまっている。普通の人間ならもう、自分の意思で動くことができなくなっていてもおかしくはない状態ですが、今はご自身の霊力で、なんとか抑え込んでいるのでしょう。何か、変わったことはありませんでしたか?」


 御澄宮司が言うと、昨夜見た夢が脳裏に浮かんだ。


「あ……。いいえ、特には……」


 ——なんで、僕は嘘をついているんだろう……。


 変わったことといえば、昨夜の夢のことだ。あまりにも生々しくて、ただの夢だとは思えなかった。あれは、麗華の記憶なのだと思う。


 別に、麗華の記憶を視たことは、隠すことでも何でもないはずなのに、なぜ僕は言わないのだろうか。


「……そうですか、それなら良いのですが。この神社の敷地内には、結界が張られているんです。入ってきた時点で、ある程度は浄化されるはずなのに、そんなに身体の中に霊気が残っているとなると……。一応、祓っておいた方が良さそうですね」


「祓う……。あの、失礼だとは思うんですけど……。瑛斗の家にいるのは普通の霊ではなくて。社長に、祓えるかどうかは分からない、と言われていたんです。御澄宮司は、悪霊や物の怪のようなものを祓った経験は……」


 祈りを捧げるとか、その程度では、麗華には効かない。あの護符に効力があるのは分かったが、力があるものを祓った経験がないのなら、あまり期待しないほうがいいのかも知れない。


「あぁ。私の本業は、あの世のものの声を聞き、この世のものへ届けることですからね。でも、時と場合によっては、祓うこともありますよ。人に害を及ぼすような悪霊の類は、放っておくわけにはいきませんからね」


「そうですか……。良かった」


 御澄宮司の言葉を聞いて、一気に全身の力が抜けた。横を見ると、瑛斗も安堵あんどの表情を浮かべている。


 まだ、麗華と対峙した御澄宮司が、どんな反応をするのかを考えると不安になるけれど、祓う力があると聞けただけでも、希望が持てる。


「では、ここで待っていてくださいね」


 御澄宮司は立ち上がり、拝殿の奥にある、本殿へと入って行った。


「蒼汰。本当に何ともないのか? ごめんな、俺に関わったせいで」


 瑛斗が心配そうに、眉間にしわを寄せる。


「大丈夫だよ。別に体調が悪いわけでもないし、僕は瑛斗みたいに、夢の中で暮らしたいとは思っていないからさ」


 僕が笑うと、瑛斗は唇を尖らせた。


「それ、ずーっと言うつもりだろ。あ! そういえば。俺が、今の生活から逃げたい、みたいなことを言ったのを、里帆は知っているのか?」


「さあね」


「何でだよ! でも、知っていたら、もっと機嫌が悪いはず……。このことは、里帆には内緒にしておいてくれ! 怒ると怖いんだよ。頼むよ、蒼汰」


 瑛斗が、叱られている子供のように情けない顔をして、僕の肩にすがり付く。


「まぁ、考えておくよ」


「蒼汰ぁ〜」


 瑛斗は悲痛な声で言うが、僕と奥さんは、泣きたくなる程の絶望を味わったのだから、このくらいの意地悪はしてもいいだろう。でも別に、奥さんには、そのことを言うつもりはない。不安な状況でも気丈に耐えていた奥さんに、これ以上、つらい思いはしてほしくないからだ。


「お待たせしました」


 御澄宮司が戻ってきた。手には、刀を持っている。刀は全体が真っ黒で、紫色の紐で縛ってあった。そして何やら、嫌な気配を感じる——。


 冷たいものに身体中を撫でられているようで、思わず、眉間に力が入った。そんな僕を見て、御澄宮司がくすりと笑う。


「やはり、一ノ瀬さんには分かりますか」


 御澄宮司は紫色の紐を解く。そして、刀が抜かれると同時に、紫色のもやがふわりと溢れ出た。


 ——なんだ? あの靄は……。


 紫色の靄は、御澄宮司の隣に集まって行く。靄は次第に大きな塊になり、ぐにゃりと動くと、若く美しい女性の姿になった。


「え……?」思わず声が漏れた。


 女性は、無表情で僕を見つめた。紫色の長いローブを羽織り、目深にフードをかぶっている。そして——大きな鎌を持っている。柄も刃も真っ黒で、刃の長さは女性の身長と変わらない。そんな重そうな大鎌を、女性は軽々と片手で持っている。


「一ノ瀬さん」


 御澄宮司は僕の目をじっと見つめている。すごく嫌な予感がした僕は、思わず立ち上がり、一歩下がった。


「大丈夫ですから、動かないでくださいね」


 御澄宮司がまぶしいほどの笑顔で言う。


「えっ?」


 一気に全身が冷えて行く。拒否した方がいい気がするが、混乱していて、頭が働かない。


 御澄宮司が刀を振り上げると、女性も大鎌を振り上げた。


 そして二人が勢いよく、腕を振りおろす——。


「うわああぁ!!」


 僕は両手をかざし、目をつむった。


 左の肩から腹の右側へ向けて、冷たいものが貫いて、頭の中が真っ白になった。自分の心臓の音だけが、頭の中に響く。






 ——あれ? 痛く、ない……。


 そっと目を開け、自分の身体を見ると、血は出ていないようだ。たしかに、女性が持っている大鎌で斬られたはず——。


「何! 何があったんだよ!」


 隣で瑛斗が騒いでいる。僕が大声で叫んだので、驚いたのだろう。


「いや……。今、大きな鎌で斬られて……」


「鎌? 鎌が、どこにあるんだよ」


 瑛斗は、きょとんとした顔で僕を見る。


 ——瑛斗には、視えていないのか。


「一ノ瀬さん。気分はどうですか」


 御澄宮司が微笑んでいる。


「そういえば、身体がすごく軽くなった気がします。別に、重いとも思っていなかったんですけど……」


「霊気は少しずつ溜まっていくと、気が付かないこともあるんですよ。一ノ瀬さんは、何度も、物の怪と遭遇したのではないですか?」


「たしかに……そうです」


「その度に、少しずつ霊気を取り込んでしまったのでしょう」


「そうなんですね……。自分では、そういったことには敏感な方だと思っていたんですけど、全然、気付きませんでした」


「今回は相手が特殊ですからね。そのせいかも知れません」


 素人の僕が視ても、麗華は、普通の霊とは違うのが分かる。初めて感じる気配なので、分からなかったのだろうか。


 僕は大鎌を持っている女性に目をやった。


「瑛斗には視えていないということは、その女性は、霊体なんですよね? まるで、生きている人間みたいだ。それに、鎌も本物みたいだし……」


「この紫鬼しきはたしかに霊体ですけど——。刀が強力な呪具で、この刀を媒介としている紫鬼は、呪力と霊気が混ざり合った状態なんです。気配が強くなるので、本物の人間のように視えると思いますが、いくら気配が強くても、霊感が弱い人間は、視ることはできません。あくまでも霊体ですからね」


 ——霊体なのに、まるで本物の人間のように……。そうだ。麗華と一緒なんだ。そういえば、さっき大鎌で斬られた時、一瞬、甘い匂いがした。麗華とは少し違うけど、でも、同じ系統の匂いだ。あの刀が呪具というものなら、もしかして……。


「一ノ瀬さん? どうかされましたか?」


 御澄宮司の声にハッとした。


「いえ……。もしかして、あのランタンは——」


「ランタン?」


 ——しまった! 僕は、余計なことを……!


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