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 うーん、と唸りながら、瑛斗は何かを考えているようだ。


「あの子は瑠衣くんていうんだけど——。瑠衣くんのお母さんて、いつも、帽子とマスクをつけていたんだよ。だから、顔は見たことがないんだ。噂では、芸能人なんじゃないかって言われていたよ」


「帽子と、マスク……」


「たぶん、顔バレしないように、隠していたんだと思うよ」


 ——それは、違うと思う……。


 日常的に、旦那から暴力を受けていた麗華は、怪我を隠すために、帽子とマスクをつけていたのだろう。


 昨夜の、麗華の記憶がよみがえる。


 狂ったように叫ぶ男の声。何度も蹴られた背中の痛み。口の中に広がる嫌な酸味。顔をくしゃくしゃにして泣く、瑠衣の顔。


 旦那の怒鳴り声は、他の部屋にも聞こえていたはずだ。手を差し伸べる人は、いなかったのだろうか。誰かに助けを求めることは、できなかったのだろうか——。


 瑠衣の泣き声が、頭の中に響く。


「蒼汰!」


 瑛斗の声にハッとした。


「大丈夫か? なんか、顔色が悪いけど。俺が運転しようか?」


 瑛斗が顔をのぞき込んできた。


「いや……大丈夫。もうすぐ着くよ。でも社長が、神社へ続く道の手前が、分かりづらいって言ってたんだよな。大きなイチョウの木が二本あって、その間を通っている、山道があるらしいんだけど……」


「あ! あれじゃないか? 他の木より大きな木が二本ある」


 瑛斗が前方の左側を指差した。


「でも、葉っぱが緑だから、イチョウかどうかは分からないな。一応、道はあるけどな」


 瑛斗は不安げな顔をしているが、間違いなくここだ。近付いてみると、イチョウの木の手前と奥では、空間の色が違う。結界のようなものが張られているのだろうか。


 普段は、霊感なんてない方がいい。と思うことが多いが、こういう時は役に立つ。


「この道を進もう」僕はハンドルを切った。


 神原社長に教えてもらった通りに、細い山道を抜けると、山の中とは思えない程の、開けた場所に出た。


 目の前には、鮮やかな朱色の、大きな鳥居とりいそびえ立つ。ゆうに十メートルを超えていそうだ。


「すげぇな。山の中に、こんなに大きな鳥居があるなんて……」


 瑛斗は窓に張り付いて、鳥居を見上げている。


「おい。遊びに来たんじゃないんだぞ」


「分かってるよ。でも、誰かに運転してもらって遠出なんて、中々ないからさ。実は今、ちょっと楽しいんだ」


 たしかに結婚して子供ができると、こうやって友達と出かける機会は減るのだろう。瑛斗も、小さな不満が少しずつ、溜まっていたのかも知れない。


『ずっと夢の中にいたい』と言っていたのと、『自分だけ楽をしようとは思わない』と言ったのは、どちらが瑛斗の本心なのだろうか。


 車から降りると、鳥居はますます大きく見える。


 鳥居の奥には、一番大きな本殿ほんでんの他にも、四つの建物がある。かなり大きな神社だ。それなのに、他の参拝者さんぱいしゃは見当たらない。


 ——そういえば、紹介がないと入れない、とか聞いたような……。


 山の中にある神社は、まるで、外界から隠されているようだ。だから、こんなに大きな神社なのに、名前すら聞いたことがないのだろう。


「お待ちしておりました」


 すぐ横で女性の声がして、そちらに目をやると、いつの間にか僕の横に、巫女装束の女性がいる。


「っ……!」


 思わず声をあげそうになったが、必死に飲み込んだ。


「あ、あの、一ノ瀬と申します……」


「はい、存じ上げております。こちらへどうぞ」


 女性は顔色を変えずに、建物の方へ歩き出した。


 僕が瑛斗を見ると、瑛斗も目を見開いて、僕を見ている。


「なぁ。あの巫女さん、いつ来たんだ?」


 瑛斗が小声で訊いてきたが、僕も全く気付いていなかった。声がれそうな程驚いたので、まだ心臓が早鐘を打っている。


「分からないけど……とりあえず、行こうか」


 僕たちは急いで、女性の後を追った。


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