——何の音だ? 奥さんと娘は、まだ帰ってきていないよな……?
ぺた、ぺた、ぺた
音の感覚は速くなり、どんどん近づいてくる。僕の心臓が脈打つ音も、同じように速くなって行く。
ぺた、ぺた、ぺた、ぺた……ぺた
——止ま……った?
全身がざわりと粟立つ。間違いなく、何かが近くに来た。それはおそらく、生きている人間ではない、ということも分かる。
僕は恐怖を押し殺して、廊下をじっと見つめた。
すると、部屋の入り口に、小さな手が姿を現した。位置は随分と下の方だ。そして、その小さな手は、ドアの枠をしっかりと掴んだ。
「ままぁ……?」
声がして、頭が視えた後、幼い子供が部屋の前に立った——。
「はぁっ、あ」無意識に、言葉にならない声が、自分から漏れたのが分かる。全身が震え上がり、思わず顔を背けた。
子供の顔の右半分は、潰れて赤黒い。
首は、潰れた顔の反対側に折れ曲がっている。
あまりにも悲惨な状態の子供を、直視できなかった。
「まま!」
男の子が、真っ赤な手を前に突き出して、僕の方へ走り出す。
「うあぁ!」
僕は、反射的に横へ飛び退いた。心臓が早鐘を打ち、身体はガタガタと震えている。浅い呼吸しかできなくなり、眩暈がする。
「ままぁ!」
男の子は僕の前を通り過ぎて、麗華に飛びつく。
「
「おそいよぉ〜。おなかすいたぁ」
「はいはい。瑠衣は食いしん坊だものね」
麗華はいつの間にか、子供の顔と同じくらいの大きさの、ガラスの入れ物を持っている。丸い形のガラスは、菱形の凹凸とした模様がいくつも並び、青い光を放っていた。上の部分は金色の金属で、細かい装飾が施してある。
——アンティークの、ランタン……?
「わぁ〜! いっぱい、いるねぇ!」
「瑠衣の為に、たくさん
麗華は優しく微笑み、子供の顔の前で、入れ物の蓋を開けた。
青い光が入れ物の中から、ふわりと飛んだ。
——あの光は、何だろう……。ガラスが青いわけじゃなかったのか。
澄んだ空のような、青い光だ。
光の玉が、部屋中に広がって行く。
ふわりふわりと舞う光を見ていると、何かを思い出した。
そうか、蛍だ。
大きな蛍が舞っているようで、幻想的だ。
……でも、よく見たら、丸くない。
歪な形をしている面がある……。
他の光もそうだ。
みんな一面だけ、歪な形になっている。
大きな凹みが、3つ。
何だか、あの形は……。
僕の方へ、光の玉が一つ、飛んできた。目の前で見ると、青はより鮮やかに、明るく見える。暗い部屋の中では眩しくて、眉間に力が入った。
そして、あの歪な面が、僕の方を向いた——。
「うわぁあ!」
歪な面は、
——まさか……!
僕は周りを飛んでいる、光の玉に目をやった。
全ての表情が消えた、
頬を引きつらせ、怯えている顔。
唇を震わせ、泣いている顔。
眉間に
口端を下げ、絶望したような顔。
「嘘、だろ……。これ全部、顔……?」
声が震え、歯がカチカチと音を立てた。
「……魂よ。あなたの中にもあるわ。見せてあげましょうか?」
麗華は震える僕を視ながら、くすくすと笑う。
「あんた、さっき、『獲ってきた』って……。人を、殺してきたってことなのか……?」
「魂を全部引き抜いてしまえば、死ぬに決まっているでしょう。まぁ……少しだけなら、死にはしないけれど」
麗華は事もなげに言う。