三階まで上って廊下へ出ると休日にもかかわらず、しん、と静まり返っている。
他の部屋には人が住んでいないのではないだろうか。と思うような雰囲気だ。耳を澄ませても、何の物音もしない。
「ここが、今の家なんだ」
そう言って瑛斗が鍵を回すと、カリッと何かに引っかかったような音がした。水色のドアは
——こんなに古かったら、事故物件じゃなくても、安い家賃で借りることができるような気がするな。いくらで借りているんだろう。
僕が周囲を見まわしていると、瑛斗がドアを開けた。
「入って」
「あぁ、うん」
瑛斗に続いて、玄関に足を踏み入れようとした瞬間——僕の足が止まった。
部屋の中からは、嫌な威圧感が漂ってくる。頭痛は酷くなり、胃の中から何かが込み上げてきた。このまま部屋の中に入ったら、一体どうなってしまうのだろう。
「瑛斗。やっぱり、僕……」
言いかけたところで、ふと、玄関の靴箱の上にある、破魔矢と護符が目に入った。
——若い夫婦の家の玄関に、破魔矢が飾ってあるなんて……。
普通のことなのかも知れないが、僕は違和感を覚えて、言葉を失った。別の友人たちの家へ行ったこともあるが、どこの家も、奥さんの趣味で可愛らしかったり、もっと家庭的な雰囲気だったからだ。破魔矢と護符を置いたのは瑛斗だと思うが、奥さんは何も言わなかったのだろうか。
それに、高校時代の瑛斗を思い出してみても、オカルトなんて、信じていそうにないイメージだった。やはり心霊現象が起こることに、相当な恐怖を感じていたのだろう。
——やっぱり、逃げるわけには行かないよな……。
僕は大きく息を吸って、玄関の中に足を踏み入れる。
ひんやりとした霧が、身体に
——なんだ? この家……。
僕は戸惑いながら、瑛斗と娘に目をやった。すると、二人は何も感じていないのか、平然としている。
——なんで、二人は何ともないんだ……? 僕がこれだけ酷い状態になっているんだ。いくら霊感がないと言っても、多少の霊障くらいは、あってもおかしくないはずなのに……。
僕が様子を
「どうした? ……やっぱり、何かの気配を感じるのか?」
不安げな表情で僕を見る。心霊的なことは、やはり口にしたくはないのだけれど、瑛斗は『自分の家には何かがいる』と理解している。それに、訊かれたのなら、本当のことを言った方がいいのかも知れない。
「すごく嫌な感じがするんだけど……。瑛斗は、何ともないのか?」
「う〜ん。俺は別に、霊感があるわけじゃないからな」
瑛斗は首を傾げる。
「何かの気配っていうよりも。たとえば、耳鳴りがしたり、頭痛がするとか、体調不良になるとか。それもないのか?」
「特に、何もないかな」
「そうなんだ……」
僕も、そんなに霊感が強いわけではないのに、ここまで差が出るものなのだろうか。妙な胸ざわぎを感じながら、瑛斗の後について行く。
リビングに案内されると、娘はすぐに奥の部屋へ行って、おもちゃ箱をひっくり返す。楽しそうに声を上げているということは、やはり娘も、何も感じていないのだろう。
早く帰りたかった僕は、椅子には座らずに、室内を見てまわった。しかし、嫌な圧迫感があるだけで、あの長い髪の女性や、男の子の姿はない。それはまだ明るい時間だから、視ることができないのか。それとも、向こうが姿を隠しているのか——。
僕が、リビングの隣にある部屋へ入ると、娘は畳の上に、おもちゃを並べていた。先程は恥ずかしがっていたが、今は遊ぶのに夢中で、僕が入ってきたことには、気付いていないようだ。
——ひとり遊びが好きな子なんだな。
夢中で遊んでいる娘を見ると、張り詰めていた気持ちが一気に和む。この子に何かあったら。と心配している瑛斗の気持ちが、今なら分かる。瑛斗だけでなく、娘と奥さんの為にも、早く何とかしてやりたい。
その時ふと、誰かに呼ばれた気がした——。
「何?」
振り向いて訊いたが、誰からも返事は返ってこない。
娘は相変わらず、おもちゃに夢中のようだ。瑛斗に目をやると、彼は洗い物をしていて、僕の声にも気付いていない。
——気のせいだったのかな……。