必死に説明をする瑛斗の目は、濡れているように見える。
「そうですねぇ……。別に私は、瀬名さんが嘘をついているなんて、全く思ってはいないんですよ? ただ、本当に古いマンションなので、建物が
「そんな……」
落胆の色を隠せない瑛斗を尻目に、牧田の口角は上がったままだ。そんな牧田を見ていると、やはり最初から分かっていたのではないか、と確信に近いものを感じた。
「もう一つ、聞きたいことがあるんですけど」
僕が声を大きくすると、牧田はこちらに身体を向けた。
「はい、何でしょう」
勝ち誇ったような笑顔が、本当に腹立たしい。
「賃貸物件の契約期間って、大体は二年ですよね? なんで、瑛斗の部屋は三年になっているんですか?」
「まぁ、二年が多いのは確かですが、今回は家賃を大幅に安くする代わりに、最低でも三年は住んでいただくように。と大家さんのご希望があったんですよ。別に、法律で二年と決まっているわけではないので、問題はありませんよ」
「大家さんの、希望……」
「ええ。大家さんは家賃を安くするだけでなく、瀬名さんの事情を汲んで、敷金礼金も無しにしてくださったんですよ。本当に、良い大家さんですよね!」
満面の笑みを浮かべて、大家を褒め
「それと、中途解約の際の違約金も! 僕が自分の部屋を借りた時は、ちゃんとした理由があれば、家賃の一ヶ月分だと言われました。それなのに、なんで瀬名が借りた部屋は、三ヶ月分なんですか? 高過ぎるでしょう! しかも、さらにハウスクリーニング代まで請求するなんて!」
「それも契約によりますよ。別に定期借家ではないので解約はできますが、今回は特別に、敷金礼金を無しにしていますからね。もちろん、他の入居者の方はちゃんと支払っているんですよ? そこを踏まえての金額です。
それに、三ヶ月分というのは、一年未満で解約した場合ですから、安くしたいのであれば、一年が過ぎるまで待てばいいだけの話です。瀬名さんも、承知の上で契約をされたのですから、何の問題もありませんよ。契約書にも、しっかりと書かれていますから」
「だったらあの部屋は、絶対に事故物件じゃないってことですね?」
僕が言うと牧田は、ハハ、と小さく笑った。
「あまり事故物件という言葉を、出さないでくださいよ。悪い噂が立つと困ります。それに私は、瀬名さんが借りた部屋で誰かが亡くなったなんて話は、聞いていませんよ?」
「本当に、違うんですね?」
僕は牧田の目を真っ直ぐに見ながら言う。彼の表情に変化がないかを、確かめる為だ。しかし牧田は、表情どころか、声のトーンさえも変えない。
「ええ、そんな情報はありません。まぁ、一度何かが気になり出すと、怖くなる気持ちも分かります。また何かありましたら、いつでもお越しください。お話を聞くことは出来ますので」
確かにネット上の情報は、僕も探した。事件事故はなかったようだし、事故物件の情報サイトにも載っていなかった。牧田の言う通り、本当に何もなかったということなのだろうか。
最後まで笑顔を崩さない牧田に、僕はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
僕たちが外に出ると、牧田も見送りをする為についてきた。
「今日は、わざわざお越しいただいて、ありがとうございました。久しぶりに瀬名さんにお会いできて、嬉しかったですよ」
牧田は、笑顔の仮面を貼り付けたような顔で言う。見ているだけで、顔が筋肉痛になりそうだ。
「瀬名さん。僕には、娘さんと同じ歳の甥っ子がいるんです。失礼かも知れませんが、僕は瀬名さんに親近感のようなものを感じていまして。次はぜひ、娘さんと一緒にお越しください。お待ちしていますね」
これ以上口を開くと、暴言を吐いてしまいそうなので、僕は瑛斗の腕を掴んで、歩き出した。
「何が親近感だよ! 事故物件を押し付けたくせに!」
「でも……。何もなかったって、言っていたし……」
「嘘に決まってるだろ! 絶対に何かを隠しているよ、あいつは!」
少しくらいは、瑛斗の家にいる女性の霊について、分かることがあるのではないか、と思っていた。それなのに、手がかりどころか、完全に否定されてしまった。実際に奇妙な現象は起こっているのに。
牧田に言い返せなかった自分にも腹が立つ。もし何かを隠していれば、表情の変化で分かると思っていた。そこを突いてやろうと思っていたのに、牧田は瞳すら、ぴくりとも動かさなかった。本当に、瑛斗が借りている部屋では、何もなかったのだろうか。
「蒼汰。今日は一緒に来てくれて、ありがとう。やっぱり、頑張ってお金を貯めてから引っ越すよ。契約が切れるまでには、何とかなると思うからさ。それまでは我慢するよ」
「瑛斗……。ごめんな、役に立てなくて」
「そんなことはないよ。蒼汰が気にかけてくれて、嬉しかったよ。ありがとう」
瑛斗は嘘の笑顔を残して、帰って行った——。
なぜ、悪いことなんて何もしていない瑛斗が、苦しまないといけないのだろう。金が無いのがいけないとでもいうのか。そんなのは、間違っている。
「絶対に、僕が何とかするから」
去っていく瑛斗の背中を見ながら、僕は、ぎゅっと拳を握りしめた。