じっとしているのに、胸の奥が騒がしい。
この強烈な違和感の正体は、一体何なのだろうか。今、一番危険なのは、家にいる何かと、深く繋がってしまっている娘だ。娘はどうなっているのだろうか——。
「なぁ。土曜日に会った時、娘の様子がおかしいって言っていたよな。あれから何か、変わったことは?」
「いや、同じだよ。相変わらず、何もない場所に話しかけたり、笑ったりはしているけど……。別に、他には……」
——娘は無事なのか。それなら、良かったけど……。
「じゃあ、瑛斗は? 初めて僕に相談してくれた時は、足音が聞こえたり、気配を感じるだけだったよな。もしかして、何かあったんじゃないのか?」
瑛斗がハッとしたように、目を大きくした。
「あっ。そうなんだ。実は、土曜日にその話をしようと思っていたんだけど……。あれ? 何で、忘れていたんだろう……」
「何? なんかあったのか?」
——なんだろう、瑛斗の様子がおかしい……。
「そう、夢を見て……。女の人がいたんだけど、妙にリアルな夢でさ。その人が、ずっと楽しそうに話しかけてくるんだけど、全然知らない人なんだよな。夢って大体は、知っている人しか出てこないような気がするんだけど……。蒼汰は、夢に知らない人が出てきて、目が覚めてもはっきりと、その人のことを覚えていることってあるか?」
「いや。知らない人が出てくることはあっても、起きたらもう、覚えていないような気がする」
「だろ? 俺もそんなもんなんだよ。知らない人が出てきた
「僕が電話をした時には忘れていたのに、今、急に思い出したのか?」
「そうなんだ。蒼汰に、何かあったんじゃないのかって言われて、急に……。忘れられるようなことじゃないのに、何でだろう……」
眉間に皺を寄せて俯く瑛斗を見ていると、どれだけ困惑しているのかが伝わってくる。夢に強い違和感を覚えたからこそ、僕に伝えようとしたはずだ。それなのに、なぜ忘れていたのだろうか。今になって、突然思い出したことも気になる。まるで、夢から覚めたみたいに——。
「瑛斗。他に何か、覚えていることはないか? どんなに小さなことでもいいから、教えてくれ」
——また、忘れてしまうかも知れない。その前に、色々と聞き出しておかないと。
「……匂いが。知っている匂いがしたんだ。甘い匂いがして、どこかであの匂いを嗅いだ気がするなって。俺、ずっと考えてたんだけど、あれは……前に……」
瑛斗は険しい顔をして、左手でこめかみ押さえる。「うぅ……」と唸りながら、必死に思い出そうとしているようだ。額には汗が
——もしかして、忘れたんじゃなくて、夢を思い出しづらい状態なのか? まるで、何かに妨害されているみたいに——。
心臓の脈打つ音が、大きくなって行くのが分かった。冷えた血液を、少しずつ身体中に広げるように。
確かめないといけないのだろうか。
聞きたくない。
今、僕が考えていることが、どうか間違いであって欲しい。
「……瑛斗は、夢に出てきた女の人の顔を、今も覚えているって、さっき言ったよな?」
「ああ、覚えているよ。すごい、美人だったけど……。知らない人だよ」
美人、と聞いて足元の方から、一気に全身の毛が逆立った。
「夢で見た、女の人って、さ……。どんな髪型、してた?」
心のどこかでは、本当は気付いているはずなのに、声が震えてしまう。
「色は黒で、腰の辺りまである長い髪だったよ」
——最悪だ……!
一瞬、喉の奥が痙攣でも起こしたかのように、呼吸が苦しくなった。視界が、ぐわん、と大きく揺れる。『物の怪』という神原社長の言葉が、脳裏を過った。今までに経験したことがないようなことが、起こっている。
瑛斗の家にいる『何か』は、街中で瑛斗に寄り添っていた、あの女性だ。