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第100話 女は化粧も込みどすえ

「どうどすか? 可愛いなりましたやろ?」

「あの、いかかがでしょうか……?」

「お、おう」


 菱屋に戻った土方を出迎えたのは、仕立てたばかりの着物に着替えたミチの姿だった。

 京紫の地に梅の花をあしらった小袖と、黄枯茶色の帯という組み合わせはいかにも地味だが、そこは菱屋の見立ての妙なのだろう。細身の体が柳のように柔らかくしなやかに見える。公家の女官らしくまっすぐに下ろした長髪はそのままで、朱色の紐でまとめられていた。


「髪結いはんがつかまらんと、髪は間に合わへんかったけど、こらこれで乙なもんやろう?」

「お気に召せばよいのですが……」

「お、おう」


 切り揃えられた前髪の下から見上げる切れ長の瞳におずおずと見つめられ、土方は「オレが気に入るかなんて関係ないだろう」という言葉を思わず飲み込んで、またも口ごもった。

 公家の別邸からの救出、そして新選組屯所での奉公と、化粧をする暇もなかったのだろうが、薄化粧でも白粉をはたき唇に紅を差したミチの姿は、少女ではなく大人の女の色香をはっきりと匂い立たせていたからだ。


「さっきから『おうおう』って。おしやあるまいに、褒めるんならきちんと褒めたったらいかがどすか?」

「お、おう……。べっぴんだな。見違えたぜ」


 女将から促され、土方はどうにかこうにか言葉を絞り出す。

 土方は別に奥手というわけではないが、相手をするのは水茶屋や遊郭の商売女ばかりだ。初めから化粧をして着飾った女ばかりを相手にしているので、こうも化けられてしまってどうしたものかわからなくなったのだ。


「女は化粧で化けるってのは本当だな……」と思わず漏らしたつぶやきを聞きとがめられ、目を三角にした女将に「土方はん、化粧も込みで女どすえ」と言われてしまう。確かにこれは失言だった。


 ミチを見れば、顔を俯けて肩を震わせている。

 しまった。泣かせてしまったのか。 

 土方は慌てて、


「いや、すまなかった! 化けたなんてのは嘘だ。それがミチさんの本当なんだな。掛け値なしにべっぴんだぜ!」


 と早口でまくしたてる。

 するとミチの細い肩がますます激しく震え始める。

 土方は助けを求めて女将に視線をやるが、返ってくるのは冷たい半眼の視線だけだった。


「いや、本当にすまねえ。オレとしちゃ素直に褒めたつもりで……」

「うふっ、うふふふふ……」


 ますます土方が慌てると、今度はミチが吹き出した。

 なんだこれはと土方が目を丸くしていると、


「ご、ごめんなさい。その、土方様がそんなお顔をなさるとは夢にも思わなくて、つい」


 顔を上げたミチの顔はほんのり上気し、目の端には涙が溜まっている。これは傷ついた涙ではないだろう。うろたえる土方の様子が可笑しかっただけらしい。

 振り返ると女将までにやにやと笑っている。どうやらかつがれたようだ。土方は苦笑いをして頭を掻いた。


「それにしても、そんな涙が出るほど可笑しかったかい? オレぁ近藤さんほどしかめつらしい顔ばっかしてたわけじゃねえと思うんだが」


 浪士たちには泣く子も黙る鬼の副長と恐れられている土方だが、そんな姿を見せる相手は限られている。普段の土方は笑いもすれば冗談も好み、下手なりに俳句もひねる人間である。自分では付き合いやすい部類だと思っているのだが、数日とはいえ身近にいたミチに怖がられていたのだとしたら心外だ。土方は唇をへの字に曲げた。


「いえ、そうではないのです。兄様あにさまを思い出して、懐かしさもあって、つい……」

「なんだ、ミチさんには兄妹がいたのかい?」

「はい、血は繋がっていませんでしたが、仲の良い兄が」

「へえ、兄さんが家を継ぐから奉公に出たってところか。兄さんってのはそんなにオレに似ているのかい? ってことはよほどの色男だ」


 これ幸いと土方は新しい話題に切り替えた。

 令和日本では血の繋がらない兄がいるなど触れづらい話題であるが、この時代では珍しいことではない。男子に恵まれない家が養子を取ることもあるし、あるいはミチが養女の可能性もある。養女に取った娘をさらに奉公に出すというのは少し珍しいが、公家に行儀見習いに出したのであるからそう悪い話ではないだろう。


「はい。あ、いえ……お顔はそれほどでもないのですが、雰囲気が似ていらっしゃると言うか」

「まあオレほどの色男はそうはいねえわな」


 そう言って、土方はわざとらしく胸を張って笑う。

 冗談に怒っても始まらない。このまま話題を流してしまおう。


「それで、兄さんは元気にしてるのかい?」


 そう思って、何の気なしに口にした言葉だった。

 しかし、今度もまたミチが目を伏せた。おかしくて俯いたわけではない。前髪に透ける瞳に沈鬱な色が宿っていた。

 梅の花びらのような唇が弱々しく動き、小さな声が絞り出すようにつむがれる。


「兄様は……兄様とは、ずっと昔に別れ別れになりまして……」


 これを聞いて、土方は奥歯を噛んだ。


「そうか、それはすまねえことを聞いたな」

「いっ、いえ。土方様に謝っていただくようなことでは……」


 ミチは慌てて顔を上げるが、その表情から暗さは拭えていない。

 土方は乱暴に顎を掻き、地団駄を踏みそうになるのをかろうじてこらえる。

 さっきからなんだ。どうもよくねえことばかり口にしてしまっている気がする。

 菱屋に戻ってきてからどうも調子が狂う。

 腕を組み、二三回深呼吸を繰り返してから再び口を開く。


「ところでミチさん、腹は減ってねえか?」

「えっ?」


 唐突な言葉に、ミチが驚いて顔を上げる。


「さっきな、うめえ居酒屋を見つけたんだ。ちょっと一杯引っ掛けてえからよ、付き合ってくれねえか?」

「えっ、でも夕餉の仕度が……」

「気にすんな。隊士連中にゃ自炊も仕込んでんだ。ミチさんが来てから任せっきりのやつも増えたからな。足りねえ手は自分らで面倒を見させりゃいい。これも訓練だ」

「は、はい」


 そういうと、土方はミチを連れて、ついさっき出たばかりの居酒屋への道のりを辿り直すのだった。

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