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第98話 居酒屋

「お客さん、何にしましょ」

「とりあえず燗をつけてくれ。それと漬物を適当に」

「はい」


 奥の座敷に腰を下ろした土方に、中年の女中が声をかけていった。こういう店は若い女を看板娘に据えて客寄せにするものだが、この店はそうではないようだ。壁に貼られた品書きを見るとその分料金を安くしているようだ。

 注文を選んでいるふりをして、そのまま店内に視線を巡らせる。店内には男たちが何組か。床几で酒を飲んでいる町人風が三組、座敷の反対側に浪人風が一組いる。浪人たちはいずれも月代と無精髭をだらしなく伸ばし、大声で何かを喚いている。


「お待ちどおさま。他にご注文は?」

「そうだな、おすすめはあるかい?」

「早掘りのタケノコさんを煮たんがありますが」

「お、だいぶ早えな。初物は縁起もんだ。そいつを頼む」


 盆に乗った銚子を傾け、手酌で一口すする。酒の甘い香りがふわっと香り、酒精がじんわりと胃を温める。水で薄められてはいないようだ。漬物は壬生菜と野蒜のびる。しゃきしゃきとした食感がほどよい苦みが甘口の酒に合う。安居酒屋だが、なかなか当たりだったらしい。これなら煮物の方も期待できるなと思いつつ、客たちの会話に耳をそばだてる。


「まったく、都に来れば仕官先にありつけると聞いたんだがなあ」

「用心棒の口ひとつ見つからん」

「いっそ倒幕派にでも鞍替えするか」

「馬鹿っ、滅多なことを言うな。役人の耳にでも入ったらどうする」

「壬生狼もうろついてるしなあ」


 浪人たちの会話を盗み聞きながら、壬生狼ならここにいるぜ、と土方はほくそ笑んだ。薩長土肥の訛もなく、土方の顔も知らないとなれば地方から上ってきたばかりの食い詰め浪人だろう。探りを入れる必要はなさそうだ。


「おまちどおさま。タケノコさんどす」

「おっ、ありがとさん」


 女中が運んできた鉢の中ではタケノコと油揚げがほかほかと湯気を上げている。散らされた小ねぎの緑がまた鮮やかだ。タケノコに歯を立てるとしゃくりと心地良い歯ごたえ。噛みしめるたびに昆布だしのきいた煮汁がじんわり染み出してくる。京風の薄味で醤油が弱いが、これはこれで美味い。油揚げで塩気を補充しながら、今度は町人たちの会話に耳を注意を向ける。


「最近、お前さんとこの景気はどないや」

「いやはや、まったくいけませんわ。近頃気味の悪い噂ばかりで」

「公家さんたちのお屋敷に幽霊が出るって話やろ。立派なお屋敷を遊ばせて、手入れもせんからバチが当たっとるんや」

「なんや陰陽師のお偉いさんがお祓いに回っとるらしいけどな」

「なんゆうたっけ、油洞院だったか?」

「ああ、あの食い過ぎの達磨さんみたいな」


 町人たちの笑い声が上がる。油洞院の評判は町人の間でも悪いようだ。はっきり言って邪魔なのである。通行人は足を止めて道を譲らなければならないし、商売人は商いを止められる。さっさと通り過ぎてくれればよいのに殊更にノロノロと進むものだから迷惑この上ない。


「幽霊騒ぎだけやない。近頃は人攫いも出るよってに」

「子供ばかり狙うんやろ。そんで、異国に売り飛ばすっちゅう話やで」


 町人の一人が顔をしかめ、視線をちらちらと浪人者に向けた。それから小声で付け足す。


「なんでも長州の浪人がそれで倒幕の資金を集めてるんだとか」

「うちが聞いた話やと土佐もんやって」

「おっかないなあ」

「まったく、かなわんかなわん。子供らが表出んようになってすっかり商売上がったりや」

「まったくかなわんなあ」


 町人たちは子供向けの商売をしているらしい。よくよく見ると、足元に置かれた背負子には風車や独楽などの玩具が入っていた。土方は女中に声をかけ、燗酒を一本追加する。そして銚子を持って町人たちの方へ行った。


「よお、さっきの話、詳しく聞かせてくれねえか」


 町人たちに銚子を向けて、にいっと笑う。


「ど、どちらさんどすか?」


 侍から突然声をかけられ、ぎょっとした町人たちが腰を浮かせかける。

 土方はそれを「まあまあ、楽にしてくれ」と押し留め、銚子をぐいと押し出した。町人たちはおずおずと盃を出し、土方の酌を受ける。


「この店の酒は美味いな。いままで気づかなかったが穴場だぜ」

「へえ、町家のもんは重宝しとりますが……」

「お、あんたは常連か。なんかおすすめの肴はあるか?」

「うちは大根をよくいただきますが……」

「大根か。いいな、温まりそうだ。おおい、大根も追加で頼む。三人分だ」


 土方は町人二人の間にどっかりと座り込んだ。町人たちは慌てて左右に避けて場所を開ける。


「いきなりこんな奢ってもろうて。うちら、単なる町人なんやけど……」

「なあに、話を聞かせてもらおう礼だ。たかったりはしねえから安心してくれや」

「はあ……」


 思いもよらぬ闖入者に、町人たちは目を白黒させるばかりだ。

 そこで土方はぽんと手を打ち、「いけねえいけねえ」と大げさに呟いた。


「そういえばまだ名乗ってなかったな。俺は――」


 そして、裏返しにしていた羽織を歌舞伎役者のような芝居がかった仕草で脱ぐと、ばさっとはたいて表に直し、袖を通し直した。

 土方の背中に姿を表したのは浅葱地に白抜きのだんだら模様。町人たちは「あっ」と息を呑んだ。


「――新選組副長、土方歳三だ」

「げえっ!?」


 潰れた蛙のような悲鳴を上げたのは座敷で酒を飲んでいた浪人たちである。


「おや、どうしたね。あんたらも一緒に飲むか?」

「い、いや、結構だ。我らは遠慮する」

「そうか。ついでにお上に楯突くような馬鹿な考えも遠慮してくれると助かるな」

「と、当然だ。せ、拙者急用を思い出した。失礼仕る」

「せ、拙者もだ」


 慌てて店を出ていく浪人たちの背中を土方は愉快そうに見送ると、「それで、さっきの人攫いの噂、詳しく聞かせてくれるかい」と町人たちへ再び銚子を差し出した。


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