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第97話 土方とミチ

 沖田とアーシアが壬生寺で聖水づくりに勤しんでいた頃。

 昼餉を終えた土方は、暇を持て余していた。

 溜まっている事務仕事を手伝おうと局長室を訪れたのだが、近藤と山南敬助に「お前は疲れているだろうから休め」と追い出されてしまい、手持ち無沙汰になったのだ。油洞院の相手が疲れることは、近藤と山南も骨身にしみてわかっており、連日の退魔行に付き合わされている土方に気を使ったのだ。


 道場も覗いてみたが、昼餉の後では案の定誰もいない。新選組の稽古は午前中がほとんどであり、午後は隊務や私用でみんな忙しくしている。一人で素振りをしていてもつまらない。土方は道場を後にした。


「散歩にでも行くかあ」


 土方はだんだらの隊服を羽織ると、八木邸の門を出た。隊服をまとったのは、暇つぶしの散歩とはいえ一応は巡察の体を取ろうと思ったからだ。実際、江戸から戻ってきてからというもの、ずっと油洞院に付き合わされたせいで市中の様子をまともに観察できていない。近藤から話は聞いているが、やはり自分の目で直接見ておきたい。


「もし、もし、土方様。お待ち下さい」


 少し歩いたところで後ろから呼び止められた。

 振り返ると駆け寄ってくるミチの姿があった。


「まだ冷えますので、どうぞこちらを」

 ミチが差し出したのは襟巻きだ。現代風に言うならマフラーである。

「おいおい、俺は病人でもジジイでも――」

 と言いかけて土方は口をつぐんだ。薄紫と灰色に染めた薄手の木綿生地が組み合わさって、他には見ない柄と作りだったからだ。


「こいつはあんたが仕立てたのかい?」

「はい。端切れを縫ったものでみっともないかもしれませんが……」

「いや、いい。ありがたく使わせてもらおう」


 土方は襟巻きを無造作に首に巻く。そして再び大股で歩き始めた。

 その後ろを、ミチがちょこちょこと小走りで着いてくる。

 土方は足を止め、また振り返った。


「おいおい、ミチさんはなんでまだ着いてくるんだ?」

「わたしもお休みを頂戴して、近藤様から土方様の供をしろと言われまして……」

「あー……近藤さんの仕業か」


 土方はぼりぼりと頭を掻く。

 そういえばミチに関する勘違いについてまだ釈明をしていなかった。戻ったらきちんと説明をしなければと心に決める。追い返せばミチの立場がないだろう。仕方がなく、土方はミチが道連れになることを許した。女の足に合わせて歩調を緩める。

 小路を東に抜けて堀川通に出ると、人通りが増えてきた。行き交う人々の顔は心なしか暗く、活気がない。そしてすれ違いざまに土方たちにちらちらと視線を送ってくる。


「さすがにこりゃ居心地が悪りぃな」

「どうかなさいましたか?」


 土方はミチの服装にちらりと目をやった。

 公家屋敷を追い出されたミチは白い上衣に紅袴の女官服しか持っておらず、今日もその恰好なのだが、これでは強面の土方が女官の少女を連れ回しているように見えてしまうのだ。


「はあ、仕方ねえ」とつぶやいて、土方は堀川通を北に進んだ。

 もともと浪士の多い島原や祇園に行こうと思っていたが、はっきり決めていたわけではない。どこに向かおうがかまわないのだ。のんびり歩く土方の後ろを、ミチがぴったりと着いてくる。なんだか犬の散歩をしているようだと土方は内心で苦笑した。


 山名町で小路を左に折れ、一軒の店に入った。太物屋の菱屋である。いつだったかアーシアの変装に協力させた呉服問屋であった。


「あら、土方さんやおまへんか。またかわいらしいお嬢さんを連れて」

「または余計だ、または」


 出迎えたのは菱屋の女将だった。

 土方の背中にいる女官服のミチを見てにこにこと笑っている。


「あの、土方様、どうしてこちらに……」と戸惑うミチを無視して、土方は女将に「この娘に適当に服を仕立ててくれ」と告げた。


「お急ぎどすか?」

「ああ、急ぎだ。払いはちゃんとする」

「どないな感じがお好みどすか? なんでも似合いそうなお嬢はんどすなぁ」

「好みも何もあるか。目立たんようにだ」

「はあ、そらもったいない」

「もったいないも何もない。このままじゃオレが公家の娘をかどわかしたようで閉口するんだ」

「ご人徳のなせるわざどすなぁ」

「嫌味はよせ」


 土方は口をへの字に曲げて、女将に紙入ごと金を渡した。


「あらまあ、剛毅なこと。土方はんどしたら支払いは結構どすのに」

「押し借りは隊規で禁じたと何度言わせんだ。局中法度を定めたオレが率先してそれを破ったら形がよくねえだろうが」

「うふふ、顔に似合わず真面目どすなあ。そやけどそないなところがええ男どすなぁ」

「嫌味の次はおだてかよ」


 土方はますます苦い顔をする。

 近藤や沖田だけでなく、土方は町人からも女遊びが盛んだと思われているのだ。いや、土方にしても堅物というわけでなく、そこそこ遊んではいるのだが、実際には平隊士に比べても地味な方である。しかし、遊女や水茶屋の娘の方から勝手に入れあげるものだから、派手に遊んでいるように誤解されるのだ。


「そないしたら普段着を三着でよいどすか? 二三刻いただきますけど」

「それでかまわん」


「ほなこれくらい頂戴して」と、女将は紙入から銭を抜いて土方に返した。土方は中身を確かめもせず紙入を懐に戻した。


「それじゃオレはそのへんで時間を潰してくるから、よろしく頼んだぞ」

「あ、あの、お待ち下さい」


 菱屋を出ようとする土方を、ミチが呼び止めた。


「なんだ?」

「着物のお代が……その……」

「奉公に来たばかりで給金がまだだろ。支度金代わりだと思ってくれ」

「しかしそれでは……」

「いいんだよ。どうせオレの金じゃねえ。あとで隊の予算から精算しておく」


 土方はぶっきらぼうに言い残して菱屋を後にした。

 なお、隊の予算うんぬんは口から出任せである。女中の衣装に回せる予算など新選組には存在しないのだ。完全に土方の自腹なのだが、それを言えば遠慮すると思ってそういうことにしたのだ。


「さて、どうやって暇をつぶそうかねえ」


 土方はすっかり軽くなった懐を撫でつつ、堀川通に戻った。

 島原や祇園に足を伸ばすには予算不足になってしまったが、居酒屋ならば十分だろう。盛り場には浪士が集まり、酒で軽くなった口を滑らせる。情報収集にはうってつけなのである。

 土方は羽織を裏表逆にして柄を隠すと、目星をつけた居酒屋の暖簾をくぐった。

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