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第90話 油洞院流退魔之法

 和泉守兼定が縦横無尽に剣閃を描く。

 敵は多数。狭い部屋に、通路に、互いの肩骨がぶつかり合うほどにひしめいている。当たるを幸い、土方の剣は次々と骸骨を砕き、叩き伏せていく。

 しかし、敵の数は減らない。それもそのはず、砕かれ散らばったはずの骸骨の破片が再び寄り集まり、組み上がって人型をなし、立ちふさがる列に加わるせいだ。


 土方一人のときはそれでもなんとか押し通れた。剣風で作った穴が再生する前に、ねじ込むようにその身を突っ込んでいったからだ。

 だが今はその手段を使えない。肩に担いだ女官が邪魔である。十貫目(約38キログラム)もあるかもわからぬ少女など、ただ担ぐだけであれば土方は何の苦にはしない。だがその荷は時に身を縮こまらせ、時にばたつかせ、じっとしていないのだ。


「おいっ! 助けに来てやったんだから、ちったぁ大人しくしやがれ!」

「えっ!? ええええ!? む、無理ですぅ!?」


 肩で暴れる少女を怒鳴りつけるが、それで大人しくなるはずもない。いっそ当身を入れて気絶させてしまおうか。そういう短絡な発想が浮かぶが肩に担いだままではそれもままならない。一旦下ろそうにも前後に骸骨がひしめいていて、その余裕すらもないのだ。


「ちぃっ、雑魚のくせに数だけは多い! 総司ィ! こっちから進むのは厳しい! そっちから頼むわ!」


 骸骨の群れの向こうにいるであろう沖田へ叫ぶ。

 守るだけならば少女を担いだままでも支障はない。いや、正確にはぎゃあぎゃあと悲鳴を上げ、時に首を絞め、足を腕に絡みつかせる少女は支障でしかないのだが――この程度の敵であるなら何ら問題はない。


「はーい! でもこっちからも厳しいですよ!」


 土方の声を聞いた沖田は、加州清光を振るいつつ叫び返した。

 土方の声が聞こえた位置まで、骸骨たちがみっしり埋まって視線すら通らないのだ。剣を振るえばバタバタ倒れるが、斬った端から再生する。さながら骨で出来た泥の壁である。斬っても斬っても、すぐさま傷が塞がってキリがない。


「こりゃ大砲か破城槌でも持ってこないとぶち抜けないんじゃないかなあ」


 手応えは軽くとも分厚くしつこいにうんざりしながら、沖田は加州清光を振るっていた。


「アーシア、何かこう……いっぺんにやっつけられる何かないの?」

「ナニカと言われましテモ……」


 沖田に視線を向けられ、アーシアが口ごもる。

 本国ヴァチカンであれば悪魔祓いの道具がいくらでもある。聖水、聖別された貨幣、主の血潮を象徴する葡萄酒などだ。数が多いとは言え相手は所詮低級霊である。そういうものを使えば、本職の祓魔師エクソシストではないアーシアでも祓える代物だ。だが、その手のものは渡日の際に持ち込めなかった。

 慶喜の伝手を使えば取り寄せられたかもしれないが、〈ネクロノミコン〉が扱う強大な魔術の前では何の意味もなさない。それはそれで間違った判断ではないのだが、どうせ使い途などないだろうと高をくくっていたのがこの場面では仇となっていた。


「ほーほっほっ、情けないのう。所詮は壬生の野良犬に、淫祠邪教の聖女におじゃるか。どうれ、麻呂が手を貸して進ぜよう」


 そこに聞こえたのは油洞院の粘ついた声だった。

 狩衣の裾が汚れぬよう下人に持たせ、荒れた床板をすり足でゆるりゆるりと進んでくる。


「ふうむ、相手はれこうべのあやかしにおじゃるか。どうせ野垂れ死んだ下民どもが、筋違いの恨みを抱いて蘇り、公家屋敷に押し込んだのであろうな。はあ、まったく浅ましいことでおじゃる。そもそも生まれついた血が異なると申すに」


 油洞院は手にした笏で手のひらをぽんぽんと叩きながら、あからさまな侮蔑の表情を浮かべてため息をついた。アーシアの見立てによれば下民の魂どころか人間の霊ですらないということだが、


(アーシア、こいつ大丈夫なの? 余計な手間を増やさせる気しかしないんだけど)

(わたくしも同感デス……。魔を祓える聖気をお持ちにはとても見えマセン……)


 確認すると、アーシアも同意見だった。

 この状況でも女官一人を救い出すぐらいはなんとかできるのではと思っていたが、足手まといが増えてはそれもおぼつかない。どうやってご退場願うか。あるいは妖怪の仕業と見せかけていっそ切り捨ててしまおうかと沖田が真剣に悩み始めたときだった。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前ッ! 急急如律令ッ! エイッッ!!」


 油洞院が笏で九字を切り、口訣とともに気合いを放った。

 するとどうしたことか、笏の向けられた先にいた骸骨たちの動きが止まり、そして黄燐の光を放ちながらバラバラと崩れ落ちたのである。


「え……マジで?」


 想像もしなかった光景に、沖田の口から思わず江戸の下町言葉が出てしまう。

 この醜く太った公家に退魔の力などない。最初からそんなふうに決めつけていたのだ。


「ほーほっほっ! さあ、よーく見るでおじゃる。麻呂の油洞院流退魔之法の素晴らしさを! 土御門流などもう時代遅れなのでおじゃるよ。いずれはとくと見やれ! 従五位下じゅごいのげ陰陽頭おんようのかみとなる麻呂の華麗な術を目に焼きつけるでおじゃる! 鋭ッ! 鋭ッ! 鋭ィィッッ!!」


 油洞院が気合いを発するたび、黄色い光が霧散して骸骨の群れが霧散していく。屋敷の中で動くものが次々と数を減らしていき、あとに残されたのは床にうず高く積もった骨の残骸と、その中で立ち尽くす沖田たちのみであった。


「おいおい、何だこりゃあ?」


 状況のわからない土方は、骨をぐしゃぐしゃと踏み砕きながら沖田たちの元へと戻った。そうしてやっと女官を床に下ろしてやる。


「何だも何も、俺だってわけがわからないですよ」

「わたくしモ……」

「何を申すでおじゃるか!」


 油洞院が苛立たしげに床を踏み鳴らした。


「近頃、妖怪退治とやらで調子に乗っておる新選組の窮地を、麻呂の油洞院流退魔之法が救ってやったのでおじゃる。しかと見たな! ゆめゆめ、この通りに報告するのでおじゃるよ! 手柄を盗んだら承知しないでおじゃるからな!」


 油洞院は踵を返すと、救出した女官には目もくれずにどしどしと屋敷を出ていった。

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