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第84話 開眼

 四刀の猛攻が続く。

 宮本武蔵の振るう四本の白刃は、さながら竜巻の如く切れ目なく沖田に襲いかかる。対する沖田も捌きながら反撃を試みているが、実際のところ牽制の域を出ない。二刀流もともとの堅固さに二刀が加わり、攻撃力が補われているためだ。容易に踏み込めるものではない。

 そのうえ――


 びゅんと甲高い風切音が沖田の耳元を通り過ぎた。

 ぎりぎりで顔をひねったが、頬に一筋の線が走り血が垂れる。


「くくく、呆れるほどに勘がいい。儂の六刀流をここまで見切るか」

「最後の二本は刀じゃないでしょ」


 脚である。

 武蔵の増えた二脚は蹴りに用いられるだけではない。二刀流のときに見せたのと同様、隙を見て鎖分銅を飛ばしてくるのだ。一対一の戦いであるが、巧みに連携する二人三人もの敵を一度に相対しているのと変わらない感覚がしてくる。


「ソージ様! 真核は心臓デス! 左右に二つありマス!」


 アーシアの叫びが耳に届く。

 真琴は無事に守りきってくれたようだ。致命の剣風に晒されながらも、沖田の胸のうちに温かい安堵が広がる。

 視界の端に意識を配ると、すでに援軍が到着したようだ。土方や林太郎が隊士を鼓舞する声が聞こえる。戦況は優勢か。武蔵以外の異形たちはいずれ制圧されるだろう。

 ならば――


「やっとこっちだけに集中できそうだ」


 沖田の動きが変わる。

 振るう剣閃の速さが、鋭さが、力強さが一段高まる。


「ほう、まだ出し切ってはいなかったか。儂を相手にしながら仲間の心配をするなどなんとも生意気な小僧だ」


 だがそれでも武蔵は崩れない。

 それどころか、沖田の身体に傷が増えていく。剣風がかすめて羽織を切り裂き、浮き出した血が飛沫となって風邪を赤く染める。


「いや、出し切ってなかったわけではないのだな。捨て身を厭わなくなったか」

「おかげさまで、後を引き受けてくれる人たちが来たからね!」


 そう、沖田が強くなったわけではない。

 守りを主体にしていた姿勢を攻めを主体に切り替えたのだ。踏み込みがほんの一寸深くなり、回避がほんの一寸浅くなる。皮一枚はあえて斬らせる。剣術の立合いとは致命の与え合い。骨を断てるのならば皮でも肉でもくれてやる。


「お主も生まれた時代を間違えた口のようじゃのう」


 拮抗に押し戻された撃ち合いの最中に、武蔵は二面を歪めて笑う。その笑いは愉しげで、それでいて獰猛で、それでいて哀しそうで。


「儂はな、あと三十年早く生まれたかったのだ。戦国の終焉などではない。戦国の只中に生まれたかったのだ」

「昔話を始めるなんて、あんたもやっぱり爺さんなんだな!」


 刀と刀がぶつかり合い、火花が散り、甲高い金属音が絶え間なく響く。

 囃子か調べか。それを伴奏にするかのように武蔵は言葉を紡ぐ。


「そう、儂は老いた。ただただ勝ち続ければ夢にたどり着くと信じられた歳を過ぎてしまった。否、時代に老いさせられたのだ。斬って殺して奪って手に入れ、斬りに抜いて斬り抜いてたどり着いた先には天守などなく、屍の山しかない時代に産み落とされてしまったのだ」

「羨ましいね! 何なら俺はやっとうよりも、菓子だけ食べて暮らしていけたらよかったよ!」

「それでは歯を病むぞ」

「言葉の綾だっ!」


 剣戟はなおも続く。

 どちらが押しているのか、どちらが押されているのか、いずれにもわからない。ただただ無心に剣を振るう。脚を踏み込む。身体を捻る。視界が狭まり、世界が消えて、時が引き伸ばされ、言葉さえも本当に発しているものかすらわからない。


「儂はそれでは嫌なのだ。すべてを見下したいのだ。すべてに見上げられたいのだ。一番になりたいのだ。日ノ本一などくだらぬくだらぬ。三国一も糞食らえだ。生涯不敗は当然だ。天下無双、天下無双、天下無双。天地あめつちが開いて現在いまの御代、それだけではない。千年万年無限の未来さきまで、太陽の如く燃え盛り続けたいのだ」

「何が言いたいのか、さっぱりだ!」


 沖田の剣が武蔵の右の二刀を跳ね上げた。

 その一瞬のすきを突いて大きく後ろに飛び、間合いを取り直す。

 全身血まみれになりながら、肩を激しく上下に揺らしながら、加州清光の切っ先を水平に伸ばして斜めに寝かせる。

 天然理心流、平晴眼の構え。


「儂とお前は似ているかと思ったが、どうやら儂の勘違いのようじゃ。お主には欲がない。儂には欲がある。有り余るほどに、持て余すほどの欲がある。儂は灼かれながら生きて死に、お主は炭が消えるように死ぬのであろう」

「あんたはとっくに死んだ人だろう」

「ははは! 確かにそうであった!」


 間合いを測る。

 密度を増した空気がぶつかり合い、密度を、圧力を高めていく。


「小僧、貴様を斃せば何かが掴める気がしてならぬ。数え切れぬほど戦ってきたが、こんな風に思うのは初めてだ」

「かの剣豪から頂戴するにはありがたいお言葉だけど――」


 沖田は息を吸い、細く吐く。


「斃されてあげるわけにもいかないんだよねっ!」


 沖田の身体が弾けるように消えた。

 否、凄まじい速度で踏み込んだのだ。

 加州清光の切っ先が武蔵に向けて放たれる。


「はっ! またこれか! 三段突きは見切ったぞ!」


 武蔵は笑い、目に向けた一突きを跳ね上げるべく刃を振るう。

 空振り。

 しかしそれは計算の内。

 二突き目。

 内籠手を狙ったそれを刃を引いて躱す。

 三突き目。

 左の心臓を貫いていく。

 ひとつは構わぬ。もうひとつある。

 これで沖田の一刀は封じた。

 肉を締め、沖田の剣を捕らえる。

 大きく開いた四刀を、獣の顎の如く閉じる。

 沖田の身体が四つの牙で引き裂かれ、鮮血が飛び散る。


――はずだった。閉じることさえ出来ていれば。


「ぐうっ……」


 胸の奥から熱いものがせり上がり、二股に別れ、二つの口からどろりとした液体が溢れる。血だ。生者のそれとは異なる赤黒く粘った血が、口から溢れて顎へ喉へ、胸元までをしとどに濡らしていた。


「どう……やって……」


 血泡まじりの疑問に、沖田の声が答えた。


「沖田総司流二刀術、開眼したり。ってね」


 己の右胸を見下ろす。

 霞む視界に映ったのは沖田の左腕。

 そして胸に突き立つ脇差しの刃。

 三段目の突きのあと、左手で脇差しを抜いて四段目を放ったのだ。


「お見事……。生涯不敗、ここまでか……」

「真琴さんにも負けてるからね。勝負なしにはさせないよ」

「ははっ、最期まで生意気な小僧だ……」


 武蔵の身体が白く変色していき、燃え尽きた炭の如く風に溶けていった。

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