「中沢君、よくがんばった」
真琴の窮地に駆けつけた林太郎は、陣笠の下に隠した額に冷や汗をかいていた。
(嘘や冗談とは思わなかったが……これが総司君や土方君が言っていた「化け物」か……)
宮本武蔵とその一党の捕縛に当たって、林太郎は沖田と土方の二人と事前の打ち合わせをしていた。その際、京や横浜で戦ってきた怪異の数々についても聞かされていたのだ。あるいは、どちらかひとりの話であれば信じなかったかもしれない。しかし、二人が口を揃えて冗談を言うのはありえない。二人とも軽口はよく叩くが、兄弟子である自分を担ぐような悪ふざけはしないだろう。
異形の鉤爪を受けた刀を滑らせ、そのまま内籠手で手首を切り裂く。どろりと粘った体液が溢れ、人面瘡が大口を開いて奇声を上げる。
――オギャァァァアアアァアアアアアア
まるで赤子の泣き声のようだが、耳の奥がざらつき、背筋に怖気が走る。腐った沼を渡る生ぬるい風のような不快さ、不吉さを孕む叫び声だった。
しかし、そんなことで怯んではいられない。返す刀で人面瘡を狙うが切っ先が空を切る。糸繰り人形めいた不規則な動きが、剣術の定石に沿った読みを無効にさせていた。
「中沢君、まだいけるか!」
「はっ、はい!」
「草攻剣! 助攻を頼む!」
林太郎は天然理心流の型の一つを真琴に伝える。疲労により動きが鈍っているが、すぐに異形の側面へと回った。そして小さな動きで膝裏を斬りつけ、異形の体制を崩す。
林太郎もそれに合わせて逆側面に回り、もう一方の脚の膝に斬りつける。しかし、硬い。刃が弾かれる。
「林太郎殿、こやつの鱗は鎧と同じです!」
「承知した!」
一言で意図を察した林太郎は、今度は真琴を倣って膝裏を斬りつけた。なるほど、こちら側なら刃が通る。介者剣術は柳生流の専売特許ではない。実戦を旨とする天然理心流でも必修とされており、林太郎も当然身につけていた。
そのまま挟撃を続け、異形に浅手を繰り返し与えていく。そしていよいよ体勢が崩れたところで渾身の一刀を振り下ろし、人面瘡の額から斬り飛ばした。
(これでやっと一体か……!)
人間相手であればとっくに戦闘不能になるほどの傷を与えていたが、弱ったり怯んだりする様子はまったく見られなかった。普通の人間相手の心づもりで挑んでは返り討ちに遭うだろう。
次の異形に向かいつつ、林太郎は周囲に目を配る。援軍に来たのは新徴組の面々の他、土方率いる新選組が援軍に加わってくれている。とはいえ江戸は新徴組の縄張であり、宮本武蔵は新徴組と因縁が深い。新徴組の面子を気遣い、土方たちも朱色の陣笠と片喰紋の羽織で新徴組の一員として戦ってくれている。
「二人一組で戦えッ! 一対一に持ち込むなッ!」
怒声を飛ばしているのは土方だ。化け物と戦い慣れている新選組の隊士と新徴組の隊士を組み合わせることで動揺を抑えている。剣の腕もさることながら、兵を率いる将としても一流であることがひと目で見て取れる。
また、新徴組と違って新選組は集団戦に慣れていた。草攻剣の型を身に着けさせているのだろう。天然理心流草攻剣とは、他の流派ではほとんど見ることのない、二人で一人を相手取る一連の型だ。二人で交互に対角線から攻撃するという言葉にすれば簡単なものなのだが、実戦で行うのは意外に難しい。息が合わなければ同士討ちも起こしがちだ。
(やはりうちでも取り入れるべきか……)
刀を振るいつつ、林太郎は考える。新徴組は新選組ほど指揮系統の整った組織ではない。江戸住みの士分の参加が多いためで、隊内の身分と家格が一致しないことがざらにある。
剣術においても北辰一刀流や神道無念流といった流儀を身につけている者が多く、草攻剣など卑怯な邪剣だと嫌われる可能性が高い。そのため林太郎は集団戦の重要性を認識しながらも、隊内に徹底させられてはいなかった。
(それにしても……)
見違えたな、と林太郎は思う。
真琴の動きのことだ。疲労による鈍りは隠せないが、それ以上に動きの質が変わっている。以前は対手に応じて型をぴったりなぞる美しい――悪く言えば融通がきかず、読み易い――受けの剣筋だったが、いまは相手の嫌がる動きを先手先手で仕掛ける攻めの剣筋になっている。
「ええいっ!」
真琴の一刀により、また異形の体勢が崩れた。それに合わせて剣を切り上げ、人面瘡を両断する。こうした連携も以前までなら成り立たなかっただろう。真琴は剣客として明らかに一段高みに成長していた。
(総司君は大丈夫だろうか)
林太郎は宮本武蔵――であった双頭の異形と対峙する沖田を視界の端に映す。一刀と四刀の凄まじい攻防が続いており、さながら竜巻同士が衝突しているかのようだ。下手に手出しをすれば反対に足を引っ張りかねない高次元の攻防。
ならば林太郎に出来ることはひとつ。
「さあ、もうひと踏ん張りだ。化け物どもを残らず退治するぞ!」
「はいっ!」
目の前の戦いに集中できるよう、余計な心配をかけないことだ。
一刻も早く異形を全滅させるべく、林太郎は戦場を駆けた。