人と人外。沖田と武蔵。
その壮絶な戦いの傍らで、真琴は目の前の敵の対応に全力を尽くしていた。
「ええいっ!」
気合いとともに一刀を振るい、飛びかかる異形の鉤爪を打ち払い、返す刀で人面瘡に斬りかかる。しかし、容易には届かない。人体急所の中でもっとも動きが激しく、狙いにくいのが頭部なのだ。実戦の戦いの中で頭部や頚部の傷による死亡はじつは少ない。負傷のほとんどは前腕から先、膝から下に集中し、死因は失血や傷口からの感染症が多くを占めるのだ。
おまけに敵はまともな人間ではない。人面瘡を生やした異形は時が進むごとにその姿を変え、今では人間の面影はなく、あちこちが青銅色の鱗で覆われた何かになっていた。
それがゆらゆらと左右に身体を揺らしながら、不規則な緩急で迫ってくる。柳生流として積んだ剣理が通用しないのだ。受けに回れば見てから対応しなければならず、後手後手に回ることを強制される。
となれば、必然的に攻め続ける他に選択肢がない。
急所を一撃できぬのであれば、削る他に仕方がない。
指切り。五指が根本まで鉄の如き鉤爪に変わっている。弾かれる。
籠手。手の甲が頑強な鱗で覆われている。弾かれる。
内籠手。柔らかい。肉を切り裂き血が吹き出る。
下段、外腿。鉄板を斬りつけたような感触。弾かれる。
向こう脛。外腿と同じ。
内腿、股間、ふくらはぎ。斬れる。肉の感触。
(なるほど、甲冑と同じか!)
真琴は理解する。
異形の外皮は甲冑と同じく変化をしているのだ。動きの少ない外側は硬く、動きの大きい内側は柔い。それも道理で、いかに化け物とて石の如く硬い鱗を柔軟に曲げることはかなわないのだ。異形とて、人の形を取る以上は人の形の制限を受ける。
真琴は頭を切り替える。
これは素肌剣法ではない。介者剣術だ。戦場において、鎧武者同士の闘争のために編み出された技。甲冑の防御を打ち破るため、全力を攻撃に振り向ける先の先。竹刀剣術が失った、戦のための剣の本質――すなわち、斬。
「うおおおおっ!」
真琴は高々と剣を掲げると、満身の気合を込めて真っ向唐竹割りに振り下ろす。
対する異形は両手を重ねて受けようとする。
刀と鉤爪が衝突し、鈍い金属音と火花が散る。
しかし、剣閃は止まらない。ぶれない。天地を左右に分かつが如き軌道を描き、異形を脳天から股間まで一刀で切り下げた。
異形の身体が二つに別れ、粘った血が糸を引いてどうと地面に倒れ伏す。
不思議なことに、手応えはまるで感じなかった。
まるで水を斬ったようだ。
右手から新手。
真琴は無心で刀を横薙ぎにする。
刃はすっと異形の手首に吸い込まれ、分断する。
血潮が間欠泉の如く噴き上がるが、目もくれずに振り返って勢いのまま逆袈裟切り上げ。腰から肩まで断たれた異形の上半身と下半身が時間差で地面に落ちる。
斬れる。斬れる。斬れる。
斬れば斬るほど切れ味が増している気さえする。
なぜなのかはわからない。
わからないが、考えている暇などない。
剣を振るう。振るう。振るう。
――柳生流秘奥・
という呼び名を真琴が知るのはずっと
かつて流祖柳生但馬守宗矩が戦場で編み出したという無想の剣だ。縁起は大阪夏の陣まで遡る。将軍徳川秀忠の近習として従軍した宗矩は、豊臣方の決死隊による奇襲を受けた。秀忠の護衛が次々と討ち取られる中、宗矩は唯一人奮戦し、鎧武者七人を両断する奮迅の働きを見せたと云う。
宗矩本人からして「あれこそが無想の境地。我が人生で
この土壇場で真琴がかの剣聖と同じ境地に至ったのはただ必死の一念故か。あるいは柳生の血が持つ宿命なのか。いずれであるかは神仏にさえわかるまい。しかし、今この場で意味があるのは「魔物を斬っている」という事実のみ。
一陣の剣風と化した真琴は血と肉片を巻き上げながら、ついに異形の囲みを破って林を背にした。後に続いたアーシアが、木を盾にして身を隠す。アーシアの手裏剣は奇襲の役には立つが、そうでなければ払い落とされるかかわされてしまう。足手まといにならぬため、己の身を守ることに集中した。
真琴の正面から異形の群れがゆらゆらと近づいてくる。数体を斬ったとはいえまだまだ多勢に無勢だ。しかし、今ならば斬れる。そう思い、八相に刀を構えるが、
(重い……!?)
一瞬前まで羽毛ほどにも感じなかった刀が重い。刀だけではない。全身の血管に鉛を詰めたようだ。無理もない。七領断ちの正体は無想の境地に入ることで潜在能力のすべてを引き出す技である。現代風に云うならば、「脳のリミッターが外れた状態」だったのだ。
七領断ちを成した柳生宗矩も、戦いを終えた直後に凄まじい疲労感に襲われ、三日はまともに刀が握れなかったと述懐している。限界を超えて発揮した力の代償だ。
(不味い……!)
じりじりと近づいてくる魔物を睨むが、今や視界さえもぼやけ始めた。異形が迫る。鉤爪を振りかぶる。鉤爪が振り下ろされる。受けなければ。だが、刀が重い。腕が重い。間に合わない――
ぎぃんと、甲高い音が響いた。
霞む視界の中、力強い背中が見えた。
朱色の陣笠に
彼の振るった刀が、異形の一撃を受け止めていた。
「中沢君、よくがんばった」
温かく微笑むその横顔は、新徴組組頭沖田林太郎その人であった。